STARMANN

眩しくて 手を振れば 遠く輝いて瞬く星座

推し&ハニー in 演劇アベンジャーズ〜『迷子の時間 -語る室2020-』

インスタに収まりきらないからブログにしたよシリーズ、予想外の第三弾。

インスタ用だからそんなに気合い入れてなくて結構箇条書きです。

これから大阪公演で初見だよっていう人は、念の為見ないでね!




推しの広大くんとマイスイートハニーかめたんの夢の共演!発表されたときは全然信じられなかったし、前川さん演出の舞台もイキウメも観たことなかったから恐る恐る観に行ったけど、期待以上の面白さで2回おかわりした。広大もそうだけど、かめたんがこんなに面白い演劇に出てくれたのが嬉しいな。

全体的な所感

日常の途中にぽっかり空いた穴のように存在する非日常、常識を超えたこと。ある奇怪な現象から物語が回っていくけれど、現象そのものではなく、それを経て今を生きる人間の生き様にフォーカスしているから、SFファンタジーではなくリアルな群像劇っていう印象。


ある日を境に人生が変わった人たちが、変わった先の人生をしっかり歩んでいく。会話の中で真実が明らかになっていくけど、全ての真相を知っているのは観客だけで結局一本には繋がらず、各々が別の日常を歩んでいく。この作り込まれた感じがとっても好きなストーリーだった!伏線回収して単純に\大団円/になるより、リアルで逞しいお話だった。




問題の虹の輪のシーンすごかった…スモークで丸い光線を可視化していて、銀河鉄道の石炭袋のシーンみたいに虚空に虹の輪が現れていて、幻想的だった。霧が出てくるシーンもスモークと照明でリアルに再現されていて、演出された舞台を見ているというより、本当にその場所に立って、ガルシアと一緒にその現象を目の当たりにしているかのようなリアルな光景だった。


ガルシアが未来人っていう設定は、前情報として公開しないほうがよかったんじゃないかな〜…木更津で言う「裏」の回があるのに、設定を知ってるから、「表」のシーンで「まぁそういう反応になりますよね」ってなっちゃう。じゃあ初日前のメディア露出でどう役どころを説明するのかと言われたらぐうの音も出ないけど笑


会話に関与しない人でも誰かしらずっと舞台上に居るのが気になってたんだけど、最後の譲の台詞でわかった。


あれは未来からの視点。譲たちが過去の出来事を思い出すように、未来の譲たちもいつかこの日を思い出す。それを思い出される側の視点で見たのが、舞台上にいる傍観者たちであり、譲が見る幽霊の正体なんだと思う。


事件から5年経ち、過去を思い出す譲たちの視線も、だんだんと遠のいていくのだろう。悲しい出来事を忘れることはなくても、常に悲しみを背負って生きていくのではなく、ごはんが美味しかったとか面白い人に出会ったとか、ささやかな幸せで笑顔になれる日があってもいいし、それに罪悪感を覚えたとしても悪いことじゃない。それぞれが置かれた状況の中で前に進んでいく。それが人間の強さなんだと思った。

亀梨和也ナチュラルなお芝居

一言目を話しはじめた瞬間から「いつもの亀梨和也」じゃなくて、こんな\薄井ペラ男/みたいな普通〜の人な和也初めて見た()いろいろ抱えてはいるけど常にそれを背負って生活してるんじゃなく、二階堂譲という人間のニュートラルが薄井ペラ男で、かめたんがそういう他人のニュートラルを演じている感じが新鮮だった。


開始数分間の会話部分、みんな本当にナチュラルに「喋ってる」な〜と思った。とってつけたような演技の痒さが全く無い。古屋さんや忍成くんと、この次元でナチュラルにお芝居できるかめたんすごォ…ちょっとごめんびっくりした…


姉ちゃんと譲の会話もめちゃくちゃナチュラル。姉ちゃんと話すときがいちばん譲の反応が自然な気がする。会話以外でも反応が素直で、叩かれるのも毎回ガチだから、姉ちゃんが手上げただけで譲の肩がビクッてしてて、とってつけた芝居じゃなく人間のガチ反射運動が板の上で起きてることへの興奮がやばかった。かめたんのこんないい芝居を引き出してくれるカンジー姉ちゃんありがとう…

錚々たる演劇アベンジャーズ

カンジーさんは序盤ずっといっちまってるけど、いっちまってる間もずっと目に涙を浮かべてるから「うわ何この人やば…」と普通にドン引きできない痛々しさがすごい。ゴリゴリの憑依型だな〜と、生で見て改めて思った。




浅利くんのあの空気感は本当にズルい笑 浅利くんって広くんと同い年でしょ?その若さであの熟練のバイプレイヤーみたいな独特の空気持ってるのは強すぎる。ドラマとかでもそうだけど、初めて舞台で見たらより一層そう思った。




それから古屋さん!素晴らしかった!!


信者を作るタイプの予備校の先生みたいで()「本当かよ」と思うんだけど、彼の中での理論がしっかりしていて、彼自身がその理論を信じているから、妙に説得力があって引き込まれる語り口。


客席に話しかけるようなセリフもとってつけたようないやらしさがなく、会話もとってもナチュラルで、すごく好きなお芝居をされる方だと思った。こんな人と推しが共演してくれてありがたすぎる。


松岡広大 in 演劇アベンジャーズ

そして、演劇アベンジャーズの中で自分の武器見せつけてた自慢の推し~!


大真面目な顔でボソッと面白いこと言う広大くんの面白さは折り紙付きなので、今回みたいに、何か爆発的にウケるギャグを飛ばすわけではなく、文脈的にぶっ飛んだこと言ってクスクス笑わせるお芝居合うな~と思った。毎回ウケてて嬉しい。




身体が利くことでストプレでも身体表現が通用していて、武器を活かしてもらえてありがたい。普段からダンスで表現し慣れた身体の使い方と、人並外れた目力と目の表現力で、本当に目の前に幻想的な光景が広がっているかのような驚嘆を表していて、これは彼にしかできない仕事だと思った。


異世界に独りぼっちで誰にも信じてもらえない、誰も信じられない状況で5年間を過ごしてやさぐれた目をしていたのに、佐久間に「私があなたの存在を証明する。もう幽霊じゃない」と言ってもらえた瞬間、暗い目に光が戻って、まさに幽霊が実態を取り戻したように見えた。飼い主に捨てられて人間を信じなくなった子犬が、久しぶりに人間の愛情に触れたかのうような融解。




My初日カテコの広大は、一人一人にお礼を言うみたいに視線を向けて嬉しそうにしていて、また舞台に立ってお客さんの前で芝居をする姿が見られた喜びとか、今年いろいろあったこととか、いろんな思いがこみ上げてしまって泣きそうになった。悲しいことがいっぱいあったけど、あの姿を見られたからもういいや。


稽古中毎日楽しそうにしてるから、逆に「この推しのテンションに私が付いて行けなかったらどうしよう」ともちょっと思ってたんだけど、実際に観ると、テンションが上がるのがよくわかるほど面白い演劇で、推しが楽しめる作品と自分の好きな作品にギャップが無かったことが嬉しいし、安心もした。そこにズレが無いから応援しがいがあるし、「彼が出るならきっと面白い」と信じてお金を出せる。




夢にも思わなかった広大と和也の共演、今年は会えないと思ってたかめたんに会えて、(和也亀梨の投げチューまで頂き)作品も面白くて自分なりに消化するまで観られたし、大満足!イキウメの他の作品も気になる!




あぁ〜広大くん〜今年も君を好きでいられて良かったよ〜スリミも楽しみだよ〜

ココが好きだよ!ミュージカル『刀剣乱舞』髭切膝丸 双騎出陣2020〜SOGA〜

インスタに入りきらなそうだからブログにしたよシリーズ第二弾。
2020年てぃーみきアワード 楽しかった現場大賞ノミネート作品。
プチ遠征(と言いつつ自宅からの距離は年内最短)も含めて、伝説の福井遠征の次に楽しかった!!源氏最高!!




初演時から賛否両論あったらしい本作。私は初演は現地で見られずライビュのみで、再演で初めて生で観たのだけれど、肌で体感して改めて思った。


私はもう最高にどちゃくそ大好き!!今まで観た刀ミュのお芝居の中で一番好き!!

まぁこれは、私が中の人込みで三浦宏規と高野洸の演じる髭切・膝丸が、そもそも演劇が好きでこの沼に突っ込んだおたくで、『演劇』という観点に重きを置いて観ているからそう思うわけで、『刀剣乱舞』に重きを置くともしかしたらまた話が違ってくるのかもしれない。それも分かったうえで、今から「双騎のココが好き!」という賛辞しか述べません!!



刀ミュ×曽我物語


まずはお話がめちゃくちゃ好き。史実に基づいているとはいえ、悠久の長きにわたって日本人好みの「仇討ち」の物語として語り継がれてきた曽我物語がベースなので、話自体の面白さ、わかりやすさは折り紙付き。



<雁>


他の曽我物語関係の作品を知らないけれど、SOGAでは「雁」が象徴的に登場する。曽我兄弟が雁の姿に亡き父を想ったことは伝承として残っているらしいけれど、そこに焦点を絞って物語の軸に持ってきた脚本がとても好きだった。敵討ちを果たさんとする二人の強い思いが、「あの日見た雁の家族」というかつての自分たちの幸せの象徴の1点に集中し、より一途に、より切々と伝わってくる。


幼い頃、父を亡くし弟と生き別れた喪失感を「今はもうあの鳥の音が聞こえない」と喩えた十郎が最期に聞いた雁の鳴き声は、本懐を遂げ幼き日の心の安寧が戻ってきた証で幻聴なのかもしれない。空耳だと思おうと、十郎の心の中で雁が音が再び響いたなら良かった…十郎が五郎に手を伸ばしながら最期に見せた笑顔が眩しくて儚なくて美しかった。


先に雁を見つけてそんな十郎に「あにうえ!とりです!」と教えてくれるのは、ちっちゃい頃から最期まで五郎だった。これ、二人の亡くなった日に雁は飛んでいなかったし、失血で目も見えなくなってるから幻聴・幻覚だっていう解釈もあるみたいだけど、私は雁飛んでてほしいし、少なくとも五郎には見えててほしいし聞こえててほしい!!
五郎が最期に雁が音を聴いて「空耳ではない。確かに聞こえます」と歌うとき、合いの手で「ガァガァ〜♫」の旋律が入ってるの憎すぎるよね…刀ミュはそういう仕掛けをたくさんしてくるから、本当は何度も見てそういうのに気づきたい。



<モノが語り継ぐ物語>


曽我兄弟の結末は悲しいし、SOGAも始終物悲しい雰囲気だけれど、1部ラストのG線上のアリアの後、最後の一音がすごく綺麗な和音で締めくくられていて、命を懸けた覚悟の美しさ、潔さが胸に残ってスッと終わっていくのがまた泣ける。


主人公たちがマスクを外して始まった物語が、主人公たちに再びマスクを被せて終わっていく。始点から終点までがひとつの物語としてしっかり結ばれていて、悠久の想いと生き様が現代のSOGAの物語の中に「保存されている」と感じる。曽我物語のストーリーに加えて、このSOGAで伝統芸能との融合によって刀ミュが伝えたかった『語り継ぐ』ということ、ずっと刀ミュの根っこに在る『モノが語る故物語』というテーマが色濃く表れていたように思う。ヒトの思いを語り継ぐモノ。こうして伝承は語り継がれていくのか…





演出、美術、配信


更に、美術がすごい。美術?というか、衣装、ウィッグ、メイク。ただでさえ2次元を再現するクオリティーの高い刀ミュ美術陣営の本気。


ベースの衣装は変えていないのに、羽織るものや袖・裾の長さを変えるだけで人間の成長の表現をここまでデフォルメできるのが凄い。髪の長さもウィッグを替えずに変化させて、しかも演出によってエモエモにしよって、アイディアが凄い。ポニーテールはずるいよねって洸くんも言ってたぞ。


ナルステの衣装の話で読んだんだけど、首元からフェイスラインを隠すことでだいぶ幼く見えるそう。宏規も洸くんも首太いのに、あのピンクの可愛いやつのお陰で一万と筥王がバブバブ見えてるんですな…


ピンクのかわいいやつを脱いだ青い和服は、2部もひっくるめた全編で一番好き。髭切要素、膝丸要素、歌舞伎要素いろいろぶっこんでるのに、ごちゃごちゃせずまとまっていて、しかもちゃんと二人のデザインが対になっている。こういうの大好きだよおたくはよぉ(泣)


そしてSOGAの醍醐味・隈取。KUMADORI。

よくやった刀ミュ!!!!!!(n回目)


兄は薄く、弟はバチバチに隈取してるのは、歌舞伎の十郎が和事、五郎が荒事で表現されるのに則ってるっぽい。バレエが得意な宏規の優雅な髭切と、ストリート・ポップス系が得意な洸くんの質実剛健な膝丸っていう、中の中の人(?)にまでシンクロしてて、源氏兄弟と曽我兄弟を演じたふたりの宿命を感じて何度拝んだことか…!




尺もよかった!1部で1時間、2部で1時間、休憩30分込みで2時間半。This is 最高にちょうどいい尺。


4歳と2歳の兄弟が、たった60分で生き別れて元服して再会して仇討ちして死んじゃうので本当にあっという間に終わってしまうんだけど、全シーンが重要で尊くて無駄がなく、間延びもしないから観客の集中力も持続しやすい。*1




おまけに、配信チームの仕事ぶりも素晴らしかった!全公演生配信で、公演回数を経るごとにスイッチングや分割がどんどん凝っていって、最後のほうは「ここが見たい!」と思う箇所は全部映してくれていた気がする。千秋楽には、それまでの配信では見たことがないカメラがいっぱい入っていて、千秋楽配信特別バージョンでお送りしてくださった。よりエモい映像を流すことに日々妥協しない配信チームに脱帽した。ありがとうございました。



今回の再演では、感染症対策のため、演者同士が触れ合わず距離を取るようにしてたけど、衣装替えは初演から変わってないし、本公演とは一線を画したからこそ出演者も少なくステージが密になることはない。感染対策が万全な環境だったのもここまで入れ込めた要因かな、個人的に。最期に手を握ることすら許されなかったことに関しては感染症絶対許さないけど。



Starring 三浦宏規 高野洸


もうこれに尽きるんだけど、宏規も洸くんも、芝居も歌もダンスも上手いから、1部の芝居も2部のパフォーマンスも両方格段にクオリティが高くて満足度がすごい。本当によくぞ彼らを見つけてきてくれた刀ミュくん。


三浦宏規の髭切と高野洸の膝丸を2年ないしは3年預かり、ミュ審神者が喜ぶ兄弟シンメとして担ぎ上げてきたクリエイター陣の手にかかれば、三浦宏規の髭切と高野洸の膝丸が演じることによる物語への付加価値を最大限に活かした超尊いものが出てくるに決まっている。


泣きじゃくる弟を見て仇討ちを決意しひたむきに鍛錬に励む兄と、そんな兄に寄り添おう追いつこうと大きく成長する弟。
「私が追いかけたいのはあなたの背中。強くなりたい。追いつきたい」
「私が凛としていられるのはお前のまなざし、しゃんと立つ背中を見せたいのだ」
過不足なくお互いに影響し合って強くなっていく兄弟。誰かが『SOGAは髭切と膝丸の聖書』って言ってたな…これが兄弟(概念)…




そして、なんといっても巣立ちの舞。

五郎がしっとりと歌って兄者が優美に舞い、兄者は雄々しく歌い五郎が力強く舞う。それぞれのイメージと踊りの得意分野に合わせた構成・編曲で作られているし、なんなら舞のくだり自体が刀ミュオリジナルだそうで、三浦宏規と高野洸のために作られた演目として最大の見せ場(大拍手)

ステージを横から見るような位置で観劇したので、最後のユニゾンの羽ばたくような振りを並んで踊る二人の背中がよく見えた。若き鳥たちが今まさに母鳥の元から飛び立とうとする姿を、概念ではなく視覚的に叩きつけられる。実はステージ奥にカメラ入ってたりしないかな…母上アングル円盤に入らないかな…




個人のスキルはもちろん、「似ているようで似ていない源氏兄弟」もしくは「似ていないようで似ている洸と宏規」*2対比による調和がこのふたりの良さだという持論がありまして、これが遺憾なく発揮されるのが2部。




例えば獣で、ひざぴが常にガシガシ!ってエイトビート刻んでるのに対して、ビート感じつつゆらりとした佇まいで色気振りまく兄者っていう、この対比よ…得意ジャンルが違えば個性もバラバラだけど、対比によって調和を生むという奇跡。…前にもこんな話したな*3


今回新しく増えた新衣装も、髭切はシンプルな白いふわふわのシフォンのシャツに裾がひらひらするジレ、膝丸は装飾ゴテゴテで身体のラインにぴったり合ったレザーパンツ、という具合に完全に真逆。舞台上でひとり、歌でしっとりと魅せる髭切ソロと、ダンサーを引き連れて情熱的なダンスを披露する膝丸ソロ。それぞれのソロ曲にもマッチするし、この衣装のままふたりで踊ると対の衣装に見える。シフォンとレザーってシンメだったんですね…


同じ振りで踊ると腕を回す速度とか立ち姿とか個性出まくってて、それぞれ一人で踊っても成立するけど、ふたりで並んで踊っても「揃ってない」とは感じさせずむしろマリアージュする、こんなふたりが他に居ます???私は洸と宏規以外だとKinKi Kidsしか知りません。*4




作品の話を中心にしてきたけれど、刀ミュの源氏兄弟に「歌える」「踊れる」「身体が利く」「仲良し」「尊い」などなどの付加価値を与えてここまで人気を押し上げたのは、洸と宏規自身の力。相性的にも二人がここまでマッチするなんて、キャスティングした側も思わなかっただろう。何かと物議をかもしたっぽい2.5次元俳優総選挙では並んでランクインという奇跡。洸と宏規の物語を奇跡にしたのは洸と宏規です(哲学)


洸と宏規が好きだけど、髭切と膝丸、一万と筥王の歴史を背負ってきたからこそ二人を好きになったわけで、洸と宏規として一生一緒に居てほしい反面、髭切と膝丸という役も背負い続けてほしいの…エグいことを言う審神者でごめん…



刀ミュの新たなチャレンジとしての『髭切膝丸 双騎出陣〜SOGA〜』


SOGAは従来の刀ミュからするとかなり異色だけど、古典の伝承と伝統芸能・現代の新しい演劇の融合という点で考えれば大成功だと思う。和物のオリジナルミュージカルをシリーズでやってきて、そこに曽我兄弟にまつわるキャラクターが出ていて、演出家が花組芝居にツテがあって笑…という巡り合わせもまた奇跡だな。
刀ミュチームでこの融合を見せるなら、それを為し得るのは髭切と膝丸の双騎出陣でしかあり得なかったとも思う。曽我物を演るなら花組芝居が出ることは必定だけれど、通常の本公演に出ても脈絡が無く、刀剣男士6振の物語に加えたらくどくなる。いろんな縁と奇跡が重なって実現してるんだと思う。


って観た当時は思ってたけど、あれからいろいろ見て考えて、そもそも刀ミュに髭切と膝丸を出した目的が曽我物語をやることにあったんじゃないかとさえ思えてきた。二振りを出してから「曽我ものをやろう!」と思い付いたにしては、あまりにも条件が整いすぎている笑 これがやりたかったんだろおじさんたち~~~やり切った感あるけど、どうかまた本公演に源氏出してねえええええええ




2部はアレルギーある人にはキツいだろうけど、1部のSOGAは刀剣乱舞ミリしらでも全然平気だし、曽我物語だから当然わかりやすく面白くて尊いから、CS放映とかやっていろんな人に見てほしい。12月1日からアーカイブ配信始まったので、どうか見てほしい。
双騎を見ていない人が少なからず存在することが悔しいわ…全人類見て…

*1:連日双騎配信見たあとに、幕末で刀ミュのスタンダード尺に戻ったら、体感めちゃくちゃ長かった

*2:驚くなかれ、これ宏規本人が言ってるんだよ…(頭抱)

*3:参考:KinKi Kids『薔薇と太陽』MV(2016年)

*4:参考:KinKi Kids 『We are KinKi Kids Live Tour 2016 ~TSUYOSHI & KOICHI~』(2016年)※Amazon Primeで視聴可能

これが私のお気に入り〜音楽劇『銀河鉄道の夜2020』〜

インスタに入りきらなそうだからブログにしたよシリーズ第一弾。
2020年てぃーみきアワード 軽率に行ってよかった現場部門ノミネート作品。

一言でいえば、「恋」だった。



演出が恋


演出は白井晃さん。白井さんの舞台は、観る前は漠然と難しそうで、「よくわかんなかったらどうしよう」と思いながら臨むものの、始まってみると、抽象画のような背景の上に具体的なものがたくさん置いてあって、その一つ一つを私はよく知っているし、全体を俯瞰で見てもクリアに理解できる。

恐るべき子供たち』もコクトーの小説の舞台化だったけれど、小説だけでは混とんとして掴めなかった世界が、抽象性も残しつつ具体的に可視化されていく感覚。可視化されるのはその小説の1解釈なんだろうけど、私にとっては参考書と言える。



参考書であり、美術品。瞬きするのが惜しいくらい、毎秒毎秒絵画のように美しい。



まずは背景などの映像。3階から見ると、渡り鳥の羽や波打つ川が床にも投影されていて、壁面もセットも床も一体に見えて1枚の絵みたいだった。
背景の絵だけでもポストカードにしてセットで売ってほしいくらい、めちゃくちゃ好きな世界観だった。


背景の映像もだけど照明も凄い。どうすればあんな絵に描いたみたいな光景を照明とスモークだけで出現させられるんだろう。特に石炭袋のシーン。スモークを焚いてその奥から光が刺すだけで、中空にブラックホールのような穴が出現する。「こんな画にしたい」って想像する分にはいくらでも出来るけど、それを実現できるアイデアといい技術といい…光と煙だからその都度消えていってしまうのが惜しいほどだった。


カムパネルラの幻影が現れるときの見せ方が、本当に幻が現れたように見えるんだよな〜。他の舞台だったら、一瞬ライト当ててるだけでそこに居るって頭でわかっちゃうけど(最低)銀河鉄道では、幻影はフッと現れてスーッと消えるように見えるから、本気で「消えた…」と思えちゃう。
ラストシーンでカラスウリの灯りの向こうからカムパネルラが現れては消えるのとかは、ライトに頼るわけじゃなく人を動かすことで消えたように見せているのがお洒落。




ほとんどのキャストが複数役兼ねていて、入れ替わり立ち代りいろんな役で出てくるから、アンサンブルがもうワンチーム居るのかと思った。メインキャストを除いたら10人居ない人数でやってるんだ。カテコで出てきた人数が想像以上に少なくてびっくりした。青山劇場での初演のパンフレットを見ると、当時はもっと大人数でやっていたらしい。当時と同じ人数でやっていたら密が気になりそうだけど、兼役のみなさんの活躍で、少人数で安全に作品を成立させていてこちらの集中力も削がれず、そんなところにも恋しちゃうよ...




生オケだったのもめちゃくちゃよかった。楽器を組み合わせて汽車の音を再現するとか大好きで、抽象的なセット+照明+オケで銀河鉄道を観客の頭の中のレールに乗せる。車体なんて一度も出てこないのに、ヘッドライトみたいな一筋の光が射して汽車の走る音が聞こえると、「銀河鉄道が来た」って思える。すごいんだ!!演劇ってすごいんだ!!



役者が恋


秋人、「お父さんかららっこの上着が来るよ」っていうザネリの台詞を劇中で何度も言うんだけど、毎回同じトーンで言うのすごいなと思った。半分ぐらいはジョバンニの回想でトラウマをリフレインするシーンだから、同じトーンで何度も繰り返すことで恐怖感を煽っててすごくよかった。


そして、なんといってもタイタニックの乗客の青年。沈没の瞬間の自己の思いに沿って、ストーリーテラーの役割も担う。パニック状態と理性の葛藤と状況説明ってとんでもない離れ業だなおい...
「子供たちを守りたい」「死にたくない」「自分たちが助かるために他人を押しのけ見殺しにしていいのか」「できない」「まことのみんなのしあわせのために」
極限状態の人間の葛藤を文字通り体当たりで演じていて、その必死さから出る命の輝きが眩しかった。


カムパネルラと青年と蠍の話が交錯し、「まことのみんなのしあわせのために」という普遍の想いが重なって大きくなって押し寄せてくる。自分で小説を読むだけでは見えてこなかった命の美しさを見せてもらった。これがきっと、名作を可視化・舞台化することの醍醐味なんだ。





はい、達成の話をします。

すごいんだ達成すごいんだ!どう見ても子どもなんだ!仕草とか表情とか心許無さそうに立つ後ろ姿とか、客席から見る分にはまだ10歳くらいの男の子でとても27には見えないんだ!サラッとしたシンプルなシャツとパンツが線の細さを際立たせるんだけど、他の共演者と並ぶと急に182センチでびびる。


いっちばん最初、夜空を見上げるジョバン二が、ただそこに立っているだけで目から全身から無垢な光を放っているのを見た瞬間、なんだかよくわからない涙が出てきて驚いた。「今の彼は、大人になると誰もが失くしてしまう輝きを宿してるんだ。その一瞬のうちの物語が今から始まるんだ」と察して尊泣きしてしまうほどの眩しさ。




生活苦や仕事の辛さや学校でのいじめや、小さな身体に抱えきれない理不尽に蝕まれていくジョバンニのシーンが、痛々しくも胸に突き刺さってきて好きだった。小さくてままならなくて、とても182センチには見えない()


でも、侵食されやすい分順応もできるから、結果として自己を解放し、理不尽を排除するのではなく受け入れることができる。無色透明の心が曇ったり、理不尽に侵食されていったり、急に暗い色に染まったり、色を変えて水のように流れていく達成ジョバンニは、子供だけが持ってる輝きを放ってたんだよお〜。


脱線するけど、『恐るべき子供たち』のエリザベートとポールが固執した秩序っていうのは、かつて彼らも持っていたであろう、ジョバンニのような無色透明な輝きだったのかもしれない。ひとはそこから自然と色づくことで様々な個性を持つ大人になっていくけれど、いつまでも無色透明のふりをして子供のままで居ようとした子供たちの成れの果てが、エリザベートとポールだったんだろう。




演じている間は一旦自分の人生置いといて役の人生背負うからその役にしか見えないような感じ、広くんみたいだとすら思った。
達成はロミジュリも良かったし僕明日も良かった。歌も(顔も)良いんだけど、私が「達成いいな」と思う大きな要因は、やはりお芝居。今回でそれを確信した。






これは恋。

細分化すればこの「恋」の中には、達成が良かったとか秋人が良かったとかも含まれるんだけど、可視化された銀河鉄道の夜の世界観から、舞台美術から、音楽から何から、劇場で受け取った全てが「これだ!」と思えるお気に入りばかりで、頭の中でずっと天使の歌が聴こえてた。




最後に、


カムパネルラやタイタニックの乗客が水中に沈んでいくときに見た光景は泡が星のように輝く美しいもので、絶望の真っ只中にある人を包み込む優しさを感じた。だからといって死を助長するわけではないし、死は自ら選ぶべきものでは決してないとは思う。でも、生きる中で散々苦しんできた人の精神が肉体を離れ「銀河の中心に向かう」とき、せめて最期に美しいものを見て、魂の救いになっていてほしいと願ってしまう。


美しい人が、美しい場所へいけますように。

Who Loves You?〜波乱の中で推しの最高な帝劇デビューを目撃した話

2020年7月、
推しの矢崎広さんが、帝国劇場デビューしましたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!


おめでとうおめでとうありがとうありがとう!!
でもね、まじでいろいろ大変だった。
というか、今も大変。彼らが初めて立った劇場からせいぜい数百メートルしか離れていませんが、たどり着くまでには、トータルで帝劇一杯分くらい涙が必要でした。ここ、帝国劇場に!

日本演劇界の象徴であり、舞台に立つ役者のだれもが目指すと言われる帝国劇場。「推しの帝劇デビュー」に至るまでに起こりすぎたさまざまな出来事とその都度感じたリアルな思いと、帝国劇場に立つ推しの姿を見た今の心境を、記録として残しておく。


※ころな禍で劇場に行った話です。もちろんできる限りの感染対策はしていますが、「こんな時世に劇場に行くなんて」というお考えをお持ちの方は、宗教上の都合により閲覧をご遠慮願います。

※行きたくても行けない、我慢してるっていう人もいると思います。そういう方を傷つけるつもりはありませんが、嫌な思いをされるかもしれないので、精神衛生上閲覧をおすすめしません。お互いいろいろ落ち着いたら分かち合おうね…!

推しの帝劇デビュー、最高の形で決まる。

東宝ミュージカルに出る俳優を推すおたくとして、夢のひとつである帝劇デビュー。もともと私はジャニヲタで、今も応援しているジャニーズタレントを好きになったその場所が帝国劇場だったりした。ジャニーズでは、若手が経験する舞台の主な箱として帝国劇場が頻繁に利用されるので、私もよく足を運んだけれど、実のところ帝国劇場はいわば日本のオンブロードウェイ。私が「帝劇デビュー」の特別な意味を理解したの自体が俳優のおたくにシフトしてから。つまり広くんを応援しはじめてからだ。

スカーレットピンパーネル、ロミジュリ、そしてジャージーボーイズといったミュージカルを経験するごとに、そんな帝劇デビューへの意識は強くなった。広くんが帝劇デビューするならサイゴンがいいな~クリスがいいな~なんて妄想を友達と話して夢を描いてきたが、予想外の事態が起こる。ジャージーボーイズ(以下JB)の帝国劇場での再再演の発表だった。

「奇跡のミュージカルは、
 ついに帝国劇場へ」


もうこれじゃん!!これしかないじゃん!!

広くんは、2016年の初演、2018年のコンサート版、同年の再演と、フォー・シーズンズのボブ・ゴーディオを演じつづけてきた。歌はもちろん、複雑なお芝居も見どころのJBは、広くんの武器を遺憾なく発揮できる作品だし、今や矢崎広の代表作と言える。ミュージカル界にその名を轟かせるきっかけとなった作品でもあり、この作品で広くんが得たもの、ファンに分けてくれた喜びは計り知れない。個人的には、矢崎広という役者を観に行くことに対するイチゲン気分が抜けて本腰入れたのがJB初演だった。

いくつものインタビューでの話から広くんのJBへの思い入れはよくわかるし、ファンクラブ企画で行われたファン投票による「好きな作品、好きな役」総選挙では、作品部門でJBが1位、役部門でボブ・ゴーディオが2位。まぎれもなく、広くんとファンにとって大切な作品だった。

広くんの帝劇デビュー作品としてこれ以上のものなどあるかいや無い!!!!!!!!!!!!!!!(即答)


しかし、この時点ではまだキャストは未発表(中川ヴァリ教様を除く)
ここから年明けの出演発表まで、んまぁ~~~~~胃が痛かった!だって、再演の千秋楽で「今後どうなるかわからないけど、いずれは僕も1JBファンとして皆さんと一緒に応援していきたい」なんて、さももう続投しないかのような挨拶してたじゃん?!それでも当時の私は悔いは無かったんだけど、JBが帝劇に行くとなったら話は別じゃん?!?!

しかも、2019年末の会報で、「2020年は大きな舞台が二つある」「ひとつは『やっとここまできたか~』という感じ。FC会員の方にはきっと喜んでもらえる」とまで話してくれてた。いやもう絶対JBじゃん!!!!!!!!!!そのくせ、出演発表直前のあさステではサクラ大戦が今気になってる」「俺も帝国華撃団に入りたい」とか話してた。帝都守るんか?!?!フラグがわかりづれぇ!!!!!!!!


そんな胃の痛みのなかで、2020年帝劇版フォー・シーズンズのメンバーは発表されたのだった。
蓋を開けたら、フォー・シーズンズの中で初演から皆勤賞なのはあっきーと広くんだけだった。なんという名誉…上記のような思いがすべて報われる…おめでとうありがとう~~~~!!俳優おたくとしての一大イベント「帝劇デビュー」がついにくる~~~~!!!!!


デビューするからには絶対に初日に観たいので、チケット運にご利益があるという神社に当選祈願とかして、なんとかGREEN初日のチケットをゲット。ありがとう、ONとOFF。もうあとは7月まで生き延びればいいだけ~~~~!!

…だったのだが。初日のチケットを確保した時には既に私は、というか全世界が、感じたことのない不安に包まれていた。


消えゆく劇場の灯り


ウイルスの感染拡大により、このとき既にエンタメは虫の息だった。私も、持っていたチケットの大半が紙切れと化し、残るは帝劇JBと、もうひとりの推しの東宝ミュージカルデビュー作『ニュージーズ』のみ。推しふたりが大きなデビューを控えるこのタイミングで何故…

緊急事態宣言が発令され、GW明け開幕予定だったニュージーズの全公演中止が決定。もうこの文字見ただけで今も泣きそうだよ。ほどなくして、最後の生きる糧だったJBもツアー含めた全公演の中止が発表された。数行前に報われたすべてが、ここで無に帰す。初日のチケットは返金用紙になって帰ってきた。JBでの帝劇デビューという、広くんにぴったりのステージが、すべて白紙になった。


JBもニュージーズも、発表された時点で絶対に観に行くんだと半年以上楽しみに生きてきたのに、半年以上追い続けた鼻先のニンジンを突然奪われたら、馬車馬はもうどうやって歩けばいいのかわからない。
私たちの生きがいは「不要不急」なの?「命より大事なチケット」「現場が生きる糧」なんてどうせおたくの使う比喩表現に過ぎなくて、実際に国民の命がかかったら、エンタメは二の次三の次にされてしまう。エンタメを提供する側も享受する側もそう思い知らされる日々。こんなはずじゃなかった2020年…もう泣くしかなかった。


「よし、復活だ」

しかし、何度も復活したフォー・シーズンズのように、日本のJBカンパニーは奇跡の復活を見せる。

本公演の上演は叶わないが、幕間なし2時間ノンストップのコンサート形式にすることで、JBカンパニーが帝国劇場の舞台に立つチャンスを復活させてくれたのだ。しかも、来られない人のために、初日と千秋楽を含む7公演で生配信を実現。2年前シアターオーブで2日間限定で開催された世界初演『ジャージーボーイズ・ザ・ミュージカル・イン・コンサート』の成功が、この起死回生のチャンスに繋がった。

東宝の意地というか、全JB関係者の愛を感じた。後に中川あっきーが「本公演が中止になって、楽しみにしてくださっていたお客様に申し訳ない」「コンサートだけでもやったらお客様が喜んでくれるんじゃないか」と、JBを愛する私たちのために舞台に立ってくれた心境を嬉しそうに語ってくれていた。


JBを愛する私たちのために、JBを愛する人たちが守ってくれた、一筋の光。この光を消さないために、私も引き続きしっかり予防・対策して劇場に足を運ぼう。劇場から絶対に感染者を出してはいけない。帝国劇場の灯を消してはいけない。このときもあほみたいに泣いた。今度は嬉し涙だった。


いかん、このままではブログの趣旨が『ぴろしとジャージーボーイズと私』になってしまう!(もう遅い)

何はともあれ、突如復活した推しの帝劇デビュー!初日まで1か月もない。ここから急ピッチでチケット戦線が始まる。本公演のチケットはすべて払い戻し済みの0からのスタートで、公演数は大きく減り、販売客席数も通常の半分以下。その上ギリギリ過ぎてキャスト先行が無い、サドンデス状態(白目)
ナビザで入れた初日はあえなく落選したが連休初日のS席はぎりぎり引っ掛かり、絶対に負けられない初日の7月18日と楽の8月5日はプレガ先行で勝ち取った。この時点で初日10日前くらい!ひぃ!!

なんとかして、推しの帝劇デビュー日のチケットを再び手にしたのだ!電チケだけど!いぇーい!


幻となった初日、そして突然の崖

しかし、JBカンパニーは再び困難に立ち向かうことになる。

待望のJBコン初日を2日後に控えた7月16日の夜、関係者からウイルス陽性患者が確認され、初日から4日間の観客を入れての公演はキャンセル。もともと配信が予定されていた初日からの3公演が、無観客公演の生配信となったことが発表された。




このときは本当にこの一心で、誰を責めることもできないしそんな気にもならない。むしろ、みんなの命を守るために細心の注意を払ってくれている東宝に感謝すらしてる。

でも悲しいし悔しいことは変わりなくて、それはやっぱり、一度きりの広くんの帝劇デビュー日が幻の公演となってしまったから。推しの帝劇デビュー日のチケットが二度も紙切れになるなんて、そんなことあります?電チケだから紙切れにすらならなかったけど。脱力。またとめどない涙。でもまぁ、配信あるし、まだチケットあるし…はぁ…


そして、7月18日、ここに書くことではないので詳細は割愛するが、どん底から起死回生してまたどん底に落ちたところ、さらに崖から落ちるような出来事があった。
それでもこの日は、大好きな推しが帝劇デビューする日。這うようにして配信買ってPCテレビにつないで*1その時を待つ。


画面の向こうの帝劇の幕が開くと、大好きな広くんが、大好きなフォー・シーズンズとして楽しそうに歌っていて、またボロボロ泣いた。帝劇デビューを噛み締める以前に、「広くんがそこに居る」という喜びと感謝。大好きな人が声の届くところで元気で居てくれることに心から感謝した。


それから3日間は生配信を頼りに生きてたけど、配信見てるとき以外は何してたのかよく覚えてない。まともにご飯食べられないし、寝付けなくて一睡もできない日もあるし、一人で居ると勝手に涙が溢れてくるし、この日からほぼ躁鬱状態。JBのおかげで完全な鬱はなんとか免れてた。オリンピックのための連休のおかげで、翌週は勤務日3日だけで助かった。むしろ、情緒不安定なまま3日間も頑張った人全員誉めたい。

最初の4公演の有観客公演が中止となったことで、ナビザで取った7月23日が帝国劇場に観客が入る最初の日になっていたことに気づいたのは、初日が終わった後だった。


もうひとつの初日

そして来る7月23日、心配すぎて何度もチケットの開演時間を確認して、緊張で震える胃を抱えながら帝劇に到着。もう一人のボブ推しの友達がいなかったらたぶん路上で吐いてた。帝劇前に広くんの写真が掲げられてる…すげえ…

そして入口には「本日初日」の立て札。
うわぁぁぁぁぁぁぁ粋なことしやがって!!配信で初日迎えたけど、初めてお客さんが入る今日ももうひとつの初日。広くんが初めて帝国劇場で観客の拍手を浴びる、もうひとつのデビュー日。この日を自分も迎えられたことがまだ信じられない…


ここからは、帝劇の物々しいほどの感染対策

  • チケット見せる→自分でもぎる→ラミネートされた台紙に書かれた四角い枠の上に半券を乗せる→係員さんが台紙を持って滑らせて箱に入れる
  • チケットもぎったら、もうひとりの係員さんが手指消毒してくれる。
  • 物販無し
  • ベンチは一席置きにしか座れない。
  • 入場者数が半分以下だからかトイレ列は無いけど、手洗い列がトイレの中でできてるwみんな超真剣に手洗っててJA推せる愛してる
  • 客席横の扉は「常時開放」の貼り紙
  • 1階エレベータ奥の皇居側の扉も開放
  • 沈黙の客席。1枚ずつでしか申し込めないから隣は知らない人だし、誰もしゃべらない。入試会場か。
  • 前後左右の座席が潰されてるから、前に人がいなくて超視界良好
  • 潰れてる席に荷物おけるけど、紐で固定されてて座面は下ろせない。

唯一ナビザで取れた席だからこんなに前の方座るのも久しぶりだし、本当に試験開始5分前くらいの気持ちよ。滑り止めでもセンターでもなく、本命第一志望二次試験くらいよ。知らんけど。



開演前、あっきーの影アナウンス。
「皆さん、お待たせしました。ジャージーボーイズ、復活しました!帝国劇場の再開です!」


配信の時から流してくれてたけど、実際に帝国劇場の座席で聞くと感慨もひとしお、いや1963しお(??)で、もうこれだけで涙腺が崩壊した。
誰からともなく巻き起こる拍手。おいおいまだ誰も出てきてないぞ(泣)JAのそういうとこほんと愛してる(泣)


暗転して静かに幕が上がり、Ces soirées-làのイントロのピアノソロが始まる。フォー・シーズンズひとりひとりに順にライトが当たり、その都度送られる拍手。
帝劇のステージに立って、拍手を浴び、バックスクリーンに映る大好きな広くん(というかボブ・ゴーディオ)


わぁぁぁっぁぁぁぁまじだ本当に帝国劇場の舞台の上に立ってるよ広くんんんんんん!!!!
配信でもう3回見たんだけど、実際に同じ場所で、帝国劇場の背景込みで見ると感動が全然違う。まじだ夢じゃない…本当にここまで来た…


まぁ実際は1曲目ではこんなことほとんど考えてなくて、脳の9割を「楽しい!!」が占めてた。流れる音楽に浸って、身体揺らして、ペンラ振って、みんなで手拍子して…5ヶ月前当たり前にやっていたことのはずだけど、こんなにも楽しくて幸せだったっけ?!?!

これまでのJBなら、日本の劇場では珍しいくらい歓声が上がっていたけど、今回は「大きな声は心の中で」スタイル。曲が終わるごとに起こる大きくて長い拍手は、この感動と興奮をキャストに伝えたい、自分たちに与えられた「観客」という役を全うするんだ*2、という熱い思いに満ちていて、こんなに温かい拍手を私は初めて聞いた。無観客配信では欠けていた「観客」という大きなピース。今ようやく2020年帝劇版JBは完成したんだ!初日おめでとう!!最高だぜ!!!!!!(カテコ動画参照)


帝国劇場に立つ、推しの姿

広くんの帝劇デビューを一番噛み締めたのは December '63 (Oh, what a night)(通称・大和田ナイト)。映画を観たときから一番好きな曲で、オーブ版JBコンでも広くんがソロで歌っていて大号泣したんだけど、帝劇で初めて一人で歌う曲がこれだなんて…一片の悔いなし…

生バンドにコーラスを背負って
帝劇の0番に立って歌声を響かせる広くん、
その歌声とコーラスの煽りに応えて
一様に振られる色とりどりのペンライト、
客席を煽り、コーラス隊を煽り、
舞台を上下へ走り回ってカメラアピールする広くん、
歌いきって決めポーズして、
湧き起こる大きな拍手を一身に浴びる広くん…


キラキラしてまぶしくて、かっこいいと思った次の瞬間にはかわいくて、ボブ・ゴーディオと歩んできた広くんにぴったりの、まさに「永遠の一瞬」。とめどなく溢れる涙は、ぬぐうと見逃してしまいそうだから垂れ流し、マスクがぐっちょり濡れて顔に貼りついてる。


ただ、一人で0番で歌う姿ももちろん最高なんだけど、やはり何より嬉しかったのが、フォー・シーズンズの一人として帝国劇場に立ってくれたこと。何度も言っているように、JBは広くんのファンとしてとても大切で、演劇ファンとして大好きな作品。そんな作品が、広くんの歴史に、そして私の歴史に、ひとつの大きな出来事としてまた刻み込まれた。夢にまで見た帝劇デビューが、願ってもないJBで果たされた…夢みたいなことが目の前で現実になっている。臨終の際に思い出す走馬灯ラインナップに間違いなく入る、忘れないあの夜だったなぁぁぁぁ!!(昼公演)


歌声にはより艶と深みが出て、JBカンパニーの最古参の先輩ボブとして、Cry for meでは後輩ボブのとんちゃんをリードするようにも見えた。狼の中に放り込まれた柴犬だったのに…感慨マリアナ海溝

でもボビー坊やのチャーミングさや青年実業家ボブのクレバーさは、初演から変わらず魅力的。コンサート形式での上演が決まった際「自分の武器である芝居が使えないのは痛いけど」みたいなことを言っていたけど*3、お芝居コーナーのひとつひとつにも魂がこもってて、歌だけではなく本編があることを前提に、ストーリーに合わせてうねるように気持ちを持って行ってるのが、短いお芝居でもよく伝わってきた。
矢崎広さんって本当にいい役者さんですね…


Who Loves You?

Dawnの曲中の、JBを象徴するボブの大好きな台詞。

「僕たちのファンは、海外に派遣された兵士たちや、その恋人だった(中略)ダイナーのカウンターに立つ、目の下にクマを作った可愛い女の子だった。僕たちを本当に理解し、僕たちをトップに押し上げたのは、彼ら、彼女たちだった」


曲中、カメラは何度も客席を映す。無観客公演のときは誰も座っていなかった客席に、この日は、開幕を待ちわびてきた多くの観客が座っていた。広くんの色素の薄い目が光を反射してキラキラして、ときどき潤んでいるように見えるのは私の幻覚だとしても、観客に手を差し伸べながらこの台詞を言う広くんは、「日本版JBを帝国劇場に連れてきたのは私たちなんだ」と思わせてくれる。





広くんを見ていていつも思うこと。ファンと広くんとが、ありがとうの気持ちで繋がっている。

広くんを応援してきて、お芝居や歌やパフォーマンス、その姿勢や人間性から、私はいろんな気持ちや幸せを広くんに教えてもらった。広くんを応援していなかったら知らなかったかもしれないことを、今の私はたくさん知っている。広くんのパフォーマンスが見たいということに加えて、そんな広くんに恩返しがしたくて、また次の舞台にもお金を出して観に行ったり、メディアをチェックしたり、有料コンテンツに課金したり、手紙書いたりラジオにメールしたり、あの手この手で応援している。

広くんは広くんで、「応援してくれてありがとう」「ファンの方に恩返しできるようにこれからも頑張る」といったことをイベントやインタビューで話してくれるし、ラジオにメールすれば「ありがとうございます」「こんな風に言ってもらえて嬉しい」「ホットケーキ作ってくれたの?!ありがとう!ふわっふわ!これはナンじゃない!」と、たくさん感謝してくれる(笑)

今までお互いに恩返ししたいという思いで広くんを応援してきたし、それはこれからも変わらないと思う。


今回だって、私は「推しの帝劇デビューという幸せを広くんが教えてくれた。広くんとJBカンパニーが私たちを帝国劇場に連れてきてくれた」と思っているけれど、あちらは「僕たちを支持してくれたお客さんが、僕たちを帝国劇場に連れてきてくれた」と思ってくれているらしい。ありがとうの螺旋だ*4。初めて行ったFCイベで感じたのと同じ、一体感と多幸感にぐるんぐるんに包まれている感覚。




この5か月くらいで楽しみや生きがいや大切なものをたくさん失った。でも、悲しいことが絶えなくても、生きていればこんなに幸せな瞬間もある。悲しみを抱えながらも笑ったり楽しんだりするのが「生きる」ということなんだと思ったら、夜も熟睡できるようになったし、もりもりとはいかないまでも食欲も回復してきた。
JBがくれたエネルギーのおかげで、私もなんとか前を向いて生きている。


冷たい雨が道をふさぎ
かけがえない幸せを奪う
そんな時 光見失う時
さがせ この手を

溢れる愛をくれる人は誰?
その手つかんで導く人は?

溢れる愛を 君に愛を

”Who Loves You?”

エンタメは「不要」などでは絶対にないよ!!




日本演劇界の象徴である帝国劇場にJersey Familyが灯した光は、きっとエンタメ復活への大きな一歩になる。



広くんとJBがくれたものはまたまたとても大きくて、大切で、私はまたこの先何年もかけて広くんとJBにこの恩返しをしていきたい。広くんを好きになって、Jersey Audienceになれたことは、私の人生を彩る財産です。ありがとう!



初めての「推しの帝劇デビュー」、山あり谷あり崖ありで大変だったけど、山の頂上から見る景色はどうかって?



「最高だぜ~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!」

*1:思考停止しててもより良い環境で推しを拝むことには余念がないおたく

*2:JBでは、鏡やカメラで客席を写したり、観客のリアルな拍手を当時のフォー・シーズンズに浴びせられた拍手として演出の一部に取り込んだりすることで、「フォー・シーズンズを支持した一般大衆」という役を観客に与えてくれる。

*3:自分の武器が芝居であることを自覚してるところがこれまたスーパー大好き

*4:これなんか別のブログでも書いたな。あ、ハンサムだわ。

君の笑顔は希望~初めてスーパーハンサムライブに行って松岡広大がもっと大好きになった話

拝啓、2年前の私へ

ハンサムめちゃくちゃ楽しかったぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

松岡広大くんを推しはじめて2年ちょっと、タイミングがタイミングだったので未ハンサムのままここまで来てしまった私、とうとうハンサムデビューしました。

\祝え/

この物語は「ずっとハンサムに出るのが夢でした!」と語る新人ハンサムばりに、ずっとハンサムに来るのが夢だった松岡の女の花丸な日々覚え書きです。



私のハンサムデビューまで

そもそも松岡広大にハマった時点で、あれほど恐れていた「ハンサム」をとうとう避けて通れなくなったわけだけど、ずぶずぶとハンサム沼にハマりながら私が思っていたことは常に「今ハンサムにハマっても不毛だ…」だった。

なぜならば、松岡広大のおたくになったはずなのに、
先輩ハンサム箱推しになっちゃったから

それもほぼ全部、主に私に布教を仕掛けてきたのが壮一さんのおたくで、布教必須教材として提示されたのがストラボ伝説の『ハンサム2013後夜祭居酒屋庄汰』という名の深夜の6時間耐久生配信というトチ狂った資料だったせい。この資料の詳細は省く。俳優が朝まで鍋食って酒飲んで、本気で人狼やって、誰がコンビニにマウントレーニアのカフェラテ買いに行くか賭けて指スマやったりする(そして本当に配信中にコンビニ行く)。見られるもんなら見てみろ6時間。

この6時間耐久いざしょうと、広大がハンサムとして出演したハンサム2014, 2016の映像を私が初めて見た時点で、既にハンサム2017が終了していた。2017の出演者は神木吉沢小関松岡溝口以下2016デビュー組の新人で、私が箱推ししたくなった先輩たち(具体的には桜田渡部生成以上の先輩勢)は事実上卒業済み。

今先輩ハンサムにハマっても、もう見られない確率のほうが高い(絶望)(いや推しは現役なんだから望みは繋げよ)


でも次にハンサムが開催されれば広大は絶対出る!行きたい!!

…と思っていた矢先の、「今年はハンサムライブおやすみです」通告(今度こそ絶望)

ところが、絶望の淵に腰かけて不毛な沼の残り少ない水分にちゃぷちゃぷ浸かっていたところ、渡りに船が如く開催された、チーム・ハンサム!出演のAAA(以下『実質ハンサム』)

夢にまで見たチーム・ハンサム!の生パフォーマンス、楽しすぎて武道館の玉ねぎカチ割れるかと思った。
Butterflyのイントロで断末魔が如く叫びたいとか、TITTのたっくんのラップでコーレスしたいとか、PARTY RIDE一緒に踊りたいとか、こんなちっぽけでそうありふれた等身大のHappyが叶っていく(泣)

そして、松岡広大として歌い踊る広大を初めて生で見られた日。

バンザーーーーイ!!
君をー好きでよかったー!!
このままずうっとー!ずうっとー!
死ぬまでハッピー!!!!!(号泣)

「役だけじゃなく、松岡広大としてのパフォーマンスも大好きだ。例え先輩ハンサムが居なくても、次にハンサムがあるときは絶対に行く!!」と決意を強固にした実質ハンサムだった。すごい楽しかった。



そうして発表された「次のハンサムライブ」は、なんと15周年記念公演。
新人を迎えた現役ハンサムに加え、歴代の先輩ハンサムがゲスト出演…!

ああ〜〜〜〜〜報われた!!!!!この2年は15周年ハンサムに行くためにあった!!!!!なんっにも不毛じゃなかった!!!!!!!!!不毛じゃなかったよ!!!!!!!!!!!!!!!!


…ということで、来るべくして私のハンサムデビューの時が来たのです。最推しの広大くんは1回きりの出演だったけど、夢にまで見たハンサムデビューがこの日で、憧れの先輩ハンサムを見られて、推しのハンサム天下を見られて、私この日宇宙一幸せだった。




前置きが長くなったが、以下覚書

レポというより私の心の叫びなので、幻覚を見ている可能性もある。ご承知おきを。

Beautiful Stranger~THIS IS THE TIME~Brand New World
  • 5, 4, 3, 2, 1!! ペンラふぁあああああああつける夢<済>
  • Beautiful Strangerめっちゃ爆上がり曲最高。楽しすぎて細かい振りとかあんま憶えてない。
  • TITT一緒に踊る夢<済>
キミノリズム
  • キミノリズムのたいゆちゃんの制服(ややぶかぶか)の破壊力は、現役高校生にしか出せないそれだった。あと2年は毎年キミノリズムやろう
  • 金髪制服なゆた、昼ドラによく出てくる絵にかいたような不良男子高校生感(※出てるのは天下の朝ドラ)
MASQUERADE
  • 「君だって純潔じゃいられない(これ見よがしに肩見せてくる)」
  • はいはいどうもこんばんは夜の松岡ですダンダンダンダンダン(地団駄)
  • 襟のびちゃうでしょ!!!!!
    めっ!!!!!!!
  • Thrillはああいう醍醐味があるから()かっこつけ技の配点が高いけど、MASQUERADEはわりかししっかり振りがついててそれも表現力への配点高めのジャンルだから、『ただ振付を踊るのではなく芸術に昇華させたい』と言っていた広大さん、まさに有言実行だった…ガシガシ踊る曲ももちろん好きだけど、表現力が高いから、ああいう磨き甲斐のある曲のほうが好きかもしれない…
  • ウェーブが芸術の域
  • あと衣装めっっっっっっちゃ好き
  • てか生歌めちゃくちゃ上手になったね好き!!!!!!!!!!!!
  • もうね、全部好き!!!!!!!!!!!!!!!!!
Secret Kiss
  • チーム・顔で画が保つ
  • 髪くくって前髪センターパートで顔にかかってくる髪をねっとりかき上げるけすけさん、貫禄ありすぎでは…オールドルーキーというか、サントリーオールドオンザロックだわ…アルコール飲料だった…
  • 急に便所座りするけすけさんやはり亀梨属性
Butterfly
  • さんえるの皆さまおよび各ファンの皆さまには大変恐縮だし、ファンに野次飛ばされたw庄汰らには誠に申し訳ないが、推しのButterflyが見られた人生完全に勝ち組~~~!!!!!ありがとうございました~~~~~~!!!!!!!!
  • アルバムの音源でも壮一さんのパート半分もらってるし、広大が出る回は壮一さん居ないし、もしかしたら…とはぶっちゃけ思ってたけど、あんなに完全に壮一さんのパートで出てくるとは思わなかったから、たとえワンフレーズでも、たっくんと水田の真ん中に立って壮一さんの歌い出しを任せていただいたことに、恐れ多さと喜びでただただ震えたButterflyでした…
  • 我が子が初めてミッキーとミニーとグリしたみたいな、剛と光一の間に映り込んだJr.みたいな、植草さんと東山さんの間で仮面舞踏会やらせていただいたみたいな感動(伝われ)
  • レジェンド3人ので見慣れてるのもあって、広大のButterflyは一見チャキチャキ踊ってるように見えたけど、ポイントポイントはパキッとキメる分、動線は時間をかけてしなやかな線を描くように取ってるように感じられた。小回りが利きすぎてずれないように計算しつくされていて、他の現場との掛け持ちでよくぞここまでブラッシュアップできるものだと、広大のキャパシティのでかさに改めて舌を巻いた。
君だけのHERO
  • けんたー!<済>
  • しょうたー!<済>
  • ゆーじろ!ゆーじろ!<済>
  • 最高楽しかった(偏差値0)
  • 現役出てきてからの後半は「たいゆ可愛い」以外の記憶がありません
ホワセレ
  • シンプルに桜田通さんの顔になりたい
  • 改めて聴くと、通の声めっちゃ好きだなと思った
  • 石賀くんがめっちゃ歌上手くて恋
Thrill
  • うおおおおおおおおおおおおおおおおおハンサムに来たぞ私!!!!!!!!!!
  • CDで聞いたやつや
  • DVDで観たやつや
  • これが御神木Thrill
  • かみきゅんの禁断の果実を取るか、けすけの禁断の果実を取るか、悩んだ末にけすけ「禁断の」/神木「果実」でスイッチングした映像班御中、ディレイと円盤はお得意の分割画面でお願いいたします。
先輩ハンサムご挨拶
  • 水田の「ただいまー!」に「おかえりー!」と返す夢<済>
  • 庄汰ァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!<済>
  • 「庄汰ァァァァァァァ!!!!!」
    \庄汰ァァァァァァァ!!!!!/
  • 「俺の名前はー?!」
    松島庄汰ー!/
  • 「松島ー?!」
    \庄汰ー!!!!/
  • 「俺の誕生日はー?!」
    \◎▲※□▽????/
    「曖昧か!!!!!!!」←好き
  • MCしなくていいから思う存分ボケる塁斗さんの面白さはDVDでも知らなかった…
  • 団扇で筋トレさせられた怖い…
  • 「どうも~神木です~」で、出た~~~!!!!スターの自覚がない地上の天使~~~!!!!!!!
  • 神木隆之介パイセンのお陰で、ワンワンキャンキャンバブバブ広大ちゃんが見られました(;;)こんなに立派に後輩を引っ張る先輩になっても、りゅうさんの前では一瞬で子犬もしくは赤子になっちゃう広大ちゃん〜うれしいねぇよかったねぇよちよち(;;)
  • 「りゅうさ~ん♥♥♥」→ハグ
    →満足げによちよち戻る
    →\ざわざわ(か、可愛い…!)/
    →ぴょこぴょこ戻ってまた「りゅうさん~♡」
    →誰か先輩「ぴょこぴょこすな!!!!」
  • 子犬岡を見たい夢<済>
キュンファイ
  • 庄汰「俺壁やったわ!!」
    水田「やったなぁ!懐かし!!」
    って言いながら水田と庄汰が出てきて、ちょうど二人の間にうまい具合に裕太も居るもんだから、当人たちによって名シーンを2秒で再現
  • 壁ェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェl!!!!!!!!!!!!<済>
  • 水田による裕太の壁ドン(というより壁役の庄汰)を見たい夢<済>
  • 「男役は~…松岡広大!」「ぎゃああああああああああああ!!!!!!!!!」と叫ぶ夢<済>
  • 真剣に考える広大の顔がとにかくかっこよすぎて、「んんん…顔…良…」と拝む
  • かなこ「こーちゃん…」←2億点
  • まっすぐ目を見て「俺はお前のこと大好き。それは大前提」←いつもの松岡
  • ゲーゲーえづく松岡が最高に好きでしたwww頑張った5億点👏👏👏
  • たいこ「まーくん…広大先輩に振られちゃった…」←8億点
  • 一回戦終了後、広大「俺たいこのこと振ってないし(迫)」水田「お前はもういいんだよwwww」
  • 作戦会議タイムから既に裕太に軽くバックハグするけすけでもう勝利は確定していた。小関裕太の肩に顎を乗せられる背の高さ…
  • ゆじろさん「めちゃくちゃ真剣にアドバイスしてるけど、先輩ハンサムの代理戦争じゃねーぞ!」wwww
  • 裕子かわいい
  • けすけ「庄汰部長、口だけは達者だからな」wwww
  • けすけ「残業するの?」裕子「うん…頑張ろうと思って」←2兆点
  • ジャイアンけすけ「お前の仕事は俺のもの、俺の仕事も俺のもの♡」「お前のハートも俺のもの」←優勝
  • で、出た~~~~!!!!!!!恒例キス茶番~~~!!!!!!!!
  • キス茶番に総出で止めに入るハンサムたちを見る夢<済>
  • 一同騒然とする中、微動だにせず裕太とけすけを見つめる松岡(怖)
  • 解放された裕太を捕まえて、松岡「嫉妬すんだろ」(怖)
  • 幼馴染のこーちゃんから、メンヘラ彼氏まで見せてくれちゃうキュンファイ。実質キュンファイ三回戦ひとりでやってた
  • けすけさんは夜道気を付けてください。広大に決して背中を向けないように。
Dear My Girl
  • 客降り広大2階来てくれてよく見えたけど、ここまで上がってきた上にぴょんぴょこぴょんぴょこ跳ねて歌って踊って煽って、スタミナ無限なのかよ
  • スクリーンに映った客降り通さん、女に囲まれてギャーギャー言われながらアリーナ通路を闊歩する様がカーストトップの貫禄だった
  • 楽しすぎて一瞬松岡を見失う(1回目)
  • Cメロの流れ星きらり輝くあたり、階段に勢ぞろいしたハンサム見て、「ああ私はいまハンサムライブに来ている…」って改めて実感してじんわり泣いた
So Free!
  • 下手にファンサしながらけすけに相手してもらって、楽しそうな子犬の広大ちゃん再出現
  • Bメロで下手階段上るとき、ぶーん⊂(((( ・ω・))⊃しながら階段一段ずつ両足ジャンプでぴょんぴょん上ってて、まだそんな可愛いことやってくれるの?!?!?!?!(刮目)
  • サビめっちゃシャカリキだし、全体的にべび岡広大ちゃん
春の花
  • 薄手の白ニット一枚さらっと着こなす植原パイセン、出てきた瞬間に優勝
  • ここでしか聞けない貴重な庄汰のソロパート(刮目)
  • このメンバーが揃った画で聴く「行先の違う電車に飛び乗って」はしんどい無理
  • 今日来られなかった先輩ハンサム(春馬くん健さん壮一さんよしたく)のMV映像がバックスクリーンに流れてて、全員集合の画にしてくれる福利厚生の充実ぶり
  • めちゃくちゃおいしい落ちサビを二人で歌うどりたくはいはいはいは
  • はぁ…帰ったら6時間耐久後夜祭見直そう…(この無限ループ)
Feel the Same
  • 怒涛の古今うえたくメドレー泣泣泣
  • 歌いだしの長めのソロ、大画面に長時間映し出される広大の笑顔が眩しい~~~~~~~松岡しか勝たん!!
  • 満面の笑みにほっぺ指でぷすってしてたのこの時だっけ?そんな可愛いことを今の松岡がやってくれるなんて…ちょっと信じがたい…幻想かもしれん…
  • パン👏パ👏パン👏フー!を全力でやって煽る出来ジュ広大ちゃん(まだべび岡)
  • Cメロで、みんなで階段に集まってニッコニコしながら「旅路の途中寂しくなったら めぐる四季の中で思い出して Feel the Same」って歌うの、寂しくなった時に思い出せる仲間がこんなにたくさんいるハンサムって最高だな!!!!!!!だった瞬間100000000000%!!以上ハンサム瞬間視聴率ランキングでした!!!!!!!!!!!
PARTY RIDE
  • 一緒にPARTY RIDEを踊りたい夢<済>
  • 2016は2コーラス目で先輩が新人を迎えてくれてたのが、2020は2コーラス目で現役(当時の新人)が先輩を迎えてて、見事な対になってたのが受け継がれてる感あってエモエモのエモだったな~~~!!!!!
  • 馬跳びして\Everybody say!/やばかわ。世の中に、馬跳びしただけでこんなにぎゃーぎゃー騒がれる成人男性が何人いてると思う????
  • 楽しすぎて松岡を見失う(2回目)
無礼講!
  • 無礼講でタオル振り回す夢<済>
  • 楽しすぎて松岡を見失う(3回目)
  • なんなら記憶も失ってる
  • ここで一発キャノン砲~~~!!!!!!!
親孝行!
  • ほぼ漢道。つまり好き
  • 頭ぐわんぐわん回して腕ブンブン振り回すこーちゃんかっこいいいいんんんんn
  • 合いの手が死ぬほど楽しい
  • 楽しすぎて松岡を見失う(4回目)
  • 現役が客降りしてる間、ステージでひたすらシャカリキしてるオジサムの皆さんまとめて抱きしめたい抱きしめたい抱きしめた――――い
  • いづけんかっこいいいいいいいいいいいいいいいいい
  • 松岡どこ行った?!?!?!??!?!?!(n回目)
  • 二度と離れた~~~~~くな~~~~~~いよ~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!
アンコール 君がいれば
  • キー高い曲も手抜くことなく、溢れる思いやパワーを届けようと一音一音全力で歌ってくれていて、そうして搾り出された広大くんの一音一音を、余すことなく全部受け取りたいと思った。広大くんの『報恩謝徳』を全身にビシバシ感じた。
  • 素晴らしいパフォーマンスで返していただいたよ…ありがとう…
I Tresure You
  • こういう系のバラード(Aliceとか)、DVDで見てても「いやそんな泣かんだろw」と思ってたんだけど、広大が「君と繋いだ手と手 解かなきゃと思うけど出来なくて」と優しく幸せそうに微笑みながら歌うのを見てたらブワァーなった(;;)こ、これかぁ〜!!(;;)
  • 何度も周りのメンバー見て優しく微笑みかけていて、こういうみんなを繋ぐ姿勢が、現役ハンサムの楔となってるんだなと感じられた。器のでかさが広大…
ご挨拶
  • 裕太が「他の仕事と並行しながらのメンバーも居て…広大とか」って他のメンバーも居る中で真っ先に広大の名前出してて、やっぱり裕太にとって広大の存在が大きいんだなとわかったし、それ聞いて俯いて目抑えてた広大も、全公演裕太の隣に居たかった思いが少なからずあったろうと思うとお姉さんは涙が溢文字数
  • 裕太のご挨拶で下向いて泣いちゃったけど、自分のご挨拶では泣かずに始終強いまなざしで約束をしてくれたのが、とっても頼もしくてかっこよかった。
  • 広大「もう最後だから言います。ハンサムこれからも絶対続けます。皆さんも辛いこと悲しいこと、全部僕らにぶつけてきてください。僕らのパフォーマンスでそれを笑顔に変えてみせます。僕らがみなさんの希望になります
  • 「『応援してください』とは言いません。応援してもらえる男になります
  • ありがとう広大くん、君の笑顔は希望…
  • 最後のご挨拶で感極まって言葉につまりながらも「…………まだ一滴も流れてないっ」って上向いて涙こらえてた石賀くんがめっちゃ恋
  • けすけの涙が見られるとは思わなくて、あまりにも尊かった…
  • 第二の庄汰は居ない発言めっちゃわろた庄汰ァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!(1226回目)
  • かみきゅんの「団扇出して!自分の推しの名前叫んで!」っていう大天使な発想(発案は壮一さんらしい?やはり大天使の発想)のおかげで『推しのことが大好き!』と大声で言いたい願望が叶いましたありがとう大天使😢歓声をTシャツの中に入れて、パクパク食べて、いっぱい受け止めてくれてありがとう広大くん大好き😢
  • 幸せそうに愛を受け止めてくれる推しの満開の笑顔に向かって、何度も何度も、力いっぱい「こうだーーーーい!!!!」と呼びかけたあの時間の多幸感がMAX
  • 会場中が推しの名前を叫ぶ声聞きながら、顔上げられなくなるくらい泣いちゃってるなゆためっちゃ愛おしかったなぁ…頑張ったなぁ…
  • 裕太が泣いちゃって喋れなくなるとすぐ手伸ばして落ち着くまで背中さすってあげて、石賀くんが言葉に詰まるといつでも助け舟出せるようにマイクを口元に持ってきて、けすけが感極まると「大丈夫だよ、ゆっくりでいいよ」って声かけてあげて、常にみんなを気遣う姿がめちゃくちゃ好きな広大だった
With You
  • 客席に話しかけるみたいに歌って踊って、「ちゃんと感じたいYour heart」でハートを指差す広大が大好きでDVDで何度もリピってたから、今日ようやく生で見られて感無量…変わらない笑顔も大好き…
  • 最後ハケるとき広大が裕太捕まえて二人で残ってラブラブツーショで締めてたのに、後ろで(@_@)って顔で映りこむけすけが面白すぎてそっちばっか見ちまったじゃねぇか!!どうしてくれる!!!!(好き)

『感謝祭』としてのハンサムライブ

いやもうめちゃくちゃ楽しかった。
AAAの比じゃなかった。AAAは他のアーティストの曲にも参加してたけど、チーム・ハンサム!としての出番は短かったし、とにかくその一瞬を楽しむことに命かけてたから、「楽しかった」以外ほぼ記憶喪失。フルボリュームのスーパーハンサムライブは、毎秒を身体と頭と心に焼き付けることができた。楽しすぎてところどころ忘れてるけど、そんなことよりとにかく楽しかった。
歌って踊るイケメンをペンラと団扇で応援する現場なんて100%楽しいし、そんなことは円盤で見てても伝わってくるんだ。それよりなにより、現地に行って初めて体感する楽しさ。


歌やダンスに慣れないメンバーもみんなで一丸となって力いっぱい感謝の気持ちを表現してくれるハンサムの汗と涙とエネルギーを体感すること、そんな彼らの名前を呼んで「ありがとう」と叫んで団扇持ってペンラ振って踊ってこちらからもエネルギーを送ること。現地で「ありがとう、大好きだよ」という気持ちを直にハンサムと交換し合えた多幸感が「ハンサム楽しかった」に含まれる思いの大半を占めている。これこそが『感謝祭』としてのハンサムのハンサムたる所以。他の現場では決して味わえない、感謝の気持ちに溢れた多幸感。

これを味わうことができたから、初めてのハンサムは円盤の5,580,360,258,036倍楽しかった。



チーム・ハンサム!における松岡広大

高校生でハンサムデビューして、たくさん先輩に可愛がってもらって、今回は現役ハンサムの中では最多出演メンバーとしてトップに立った広大。今回初めて後輩を迎えることになったWまさきや石賀くん、翔真も「裕太と広大の背中が大きかった。かっこよかった」と何度も言ってくれていた。

ハンサムを引っ張る存在としてステージに立つ彼を初めて生で見て、いろんなインタビューで言っていたことや意識していたことを彼が有言実行してるのが見て取れた。それを見ていて、今の広大はハンサムの『楔』みたいな存在なのかなと思った。『鎖』と言ってしまうとそれはたぶんファンに当たるんだろうけど、広大が入ることで、ハンサムの横の繋がりがより強くなるんだろうなと想像できた。だから『楔』。

パフォーマンス力の平均値が上がるのもそうだし、そういう人が隣で踊ってるだけで周りの士気もきっと上がる。それに周りをよーく見ていて、メンバーに微笑みかけたり声かけたり、自らコミュニケーションを取りに行く。*1みんなのテンションを上げよう、ひとつにしようという意識で常に動いてるように見えた。


対談企画で自分のハンサムポイントを聞かれ「仲間想いの男気」と力強く色紙に書いていた広大。きっとこれは彼にとって、本番に向けた目標と決意でもあったんだと思う。YoutubeSNSで公開されたリハの様子を見ると、後輩の指導をしたり相談に乗ったり、積極的に声を出してムードメーカーを買って出ていた印象が強い。そうしてみんなを想って、笑顔にして、空気を作って…これが広大の思う『ハンサム』なのかな。


私は広大がいるオーラスしか入らなかったけど、寂しくても広大不在回も見ればよかったな~。センター不在のBeautiful Strangerを見てから、オーラスでついに降臨した広大がそこに立っているのを見たらバチバチに鳥肌が立ったろうし、広大という『楔』が打ち込まれたことでハンサム全体に更にエネルギーが増すのを実感したかった。
とはいえ、実際の広大の立ち居振る舞いを見れば、彼がハンサム内で己に課した役割と果たした功績は十分に伝わってきた。舞台の稽古・本番と並行してのリハーサルだったにもかかわらずここまで貢献しているのはシンプルにすごいと思うし*2、先輩ハンサムが作り上げたハンサムの歴史に憧れるいちハンサムファンとして、推しがこんなに立派に貢献しているのがとても誇らしい。



あと、広大推しとして避けては通れない()裕太とのこと。

裕太がご挨拶で、先輩ハンサムが抜けた後の新生ハンサムを既存のファンが受け入れてくれるか不安だったと話してくれる中で、「他の仕事と両立するメンバーも大変だった。広大とか」と、隣に居た広大の名前を真っ先に挙げてぶわっと泣きはじめた。それを聞いた広大も、俯いて目を抑えながら裕太を抱きしめたり、涙が止まらなくなっちゃった裕太の背中を落ち着くまでずーっとさすってた。

小関松岡コンビにはそこまで思い入れはないけど、この時の二人の姿を見ていたら、広大がどうしてあんなに裕太を大切にしてるのかはよく理解できた。
先輩たちが引っ張るハンサムをみんなより長く見てきた二人だからこそ、二人きりの肩にかかる重圧は大きかったと思う。しかも本番では、広大は最終日の1回しか出られない。裕太も不安だっただろうし、広大も本当は全公演裕太の隣に居たかったんだろうなと思った。想像でしかないけど。だってフリーになると真っ先に裕太のところ行くし()

先輩ハンサムばっか箱推しで申し訳ないとも思った。こういうファンの気持ちが、きっと二人にはプレッシャーだったんだ。でも、Feel the Sameでみんなの真ん中に立ってキラキラの笑顔で肩組んで歌う裕太と広大を見たら、現役ハンサムめっちゃいいなって思えたよ!とっても立派だった。ありがとう!


変わったものと変わらないもの

年下の推しだし基本は「変わっていくあなたの姿どんなかたちよりも愛しい」スタンスでその成長を見せていただいてるんだが、ここ最近の推しのセルフマネジメントの対象ファン層に自分入ってないなと思うことがある。つーか多い。単刀直入に言うと、私リアコ営業の対象外です(ドーン)その自己プロデュース力の高さ自体はもちろんとても好きなんだけどね!

最近はインスタでの自己発信が盛んになって、彼自身の言葉に触れる機会が増えた。今の彼の考え方に触れられるのは非常に嬉しいことだけど、素直さより恥じらいが出るのか、発言が抽象的になったり、年下女子が喜びそうな大人の色気出してきたり、大人になったなぁと思うにつけ寂しさも感じる。リアコを煽る発言を見て「やだ~♡かっこつけててかわいい~♡」と思ってしまうこれは、松岡広大というマネジメントされた『コンテンツ』の楽しみ方として正解なのだろうかと自問自答したりして笑

私のスタンスと彼のセルフマネジメントとの乖離がこのまま進んでいけばいつか限界が来るかもしれないと、ぶっちゃけ心のどこかで思ってた。


でもハンサムに行ってその不安が払しょくされた。

彼自身の松岡広大としての表現や言動に、パフォーマンスやファン、先輩後輩仲間、ひいてはお仕事に対する根本的な誠実さがにじみ出ていて、ああ私が好きなのは彼のこういうところだったわ、と思い出した。大人になってもマネジメントの方向性が変わっても、変わらない根っこが確かに彼の真ん中にあるのが見えた。



そして、ハンサム終了後のこの言葉。

「パフォーマンスは誰にも負けません」
ハンサムでもよく言ってたけど、最近あまり聞かなくなった言葉。言葉にはしなくても、秘めてるものはずっと変わらないんだと確信できた。



「時が移ろいゆく中で様々なものが変わってゆく」「だが俺は、変わらないものをこそ信じている」by斎藤一 from薄桜鬼


広大に限らず、生身の人間を長く応援していると「推し、変わったな」と思うことは必ずある。人間なんだから当然のこと。そこで「変わっちゃったな~もう私の好きだった推しじゃないや」と思ってしまうと、終わりが来るんだと思う。もちろん、推しの変化に対応して自分をアップデートしていくのが必ずしも正解ではない。着いていけない、もしくは着いていくべきではなくなった人に義務感だけで着いていく方が苦痛だから、潮時が来たら終わらせるのも正解。

でも、変わりゆく中にも変わらないものがあるとわかれば、信じつづけられるものなんだなと実感した。少なからず疑ってしまったり、疑ってしまう自分が悲しいと幾度となく思ったりしていたところだから、ハンサムに行ってそこのところを再認識できて本当に良かった。


「変わったものと変わらないもの、気づいてくれるかな」
気づけたよ。ありがとう、たっくん…!


今後も個人的にはリアコ営業には着いていかないけど()それが嫌だとは思わないし、そうしていろんな魅せ方をして「変わっていくあなたの姿」を全力で推していく所存。この冬も越えて、もっと素敵になってね!


君の笑顔は希望

アイツはアイツは可愛い年下の男の子~♪だと思っていたけれど、


ハンサム、絶対にこれからも続けていきます。 皆さんが1年間苦しかったこと、悲しかったこと、全部ぶつけてきてください。僕たちがパフォーマンスで笑顔に変えます。僕らが皆さんの希望になるから。それは約束します。

『応援してください』とは言いません。応援してもらえる男に、僕たちがなります。

もう何も言うまい…!
今までに見聞きした広大の言葉の中で、一番心強い言葉だった。「絶対に裏切りません」と目を見ていってくれたときと同じ、まっすぐな強い目だった。可愛い年下の男の子が、頼もしい男になっていることを認めざるを得なかった。

手紙書いてコメントして、万が一彼が挫けそうになったとき背中を押してあげる沢山の優しい手のひとつでありたいと思ってきたし、それは今も思ってる。でもあの広大を見た今は「寄りかかってもいいんだ」と思える。今までだってたくさん笑顔と元気をもらってきたけど、広くんへの手紙に自分の人生を省みる作文を書くみたいに()救いを求めてもいいんだ。こんな風に思わせてくれている時点で私にとっては心強い希望だし、これからもっと魅力的になって「応援したい」とより強く思わせてもらえるなんて、未来はもっと希望で溢れてる。君という眩しい希望を、必死で追いかけていこう。



ハンサム楽しかった〜っていうブログにしようと思ったのに、ハンサムに懸ける思いに始まり、結論は推しへの激重ファンレターになってしまい、めでたく12,000字超え。
反省はしているが、後悔はしていない!!
ハンサム最高に楽しかった!!!!!

ハンサムは私の夢を叶え、推しへの想いを思い出させ、希望まで与えてくれた。
ありがとう、ハンサム!
大好きだよ、広大くん!

*1:他の子もそうしてるのかもしれないけど、この一回しかないから全神経を集中させて松岡しか見られなかったから気づけなかった。それはごめん()でもきっとひとりひとりがそうして、アーチを形作る石みたいに隣同士支え合って、ハンサムをひとつにしてるんだろうなと思った。

*2:ナルステやってるうちに遂に多重影分身の術をマスターしたとしか思えない。

矢崎広の芝居に見る「生きる」とは

私には推している役者が複数人居る。
それぞれに、歌が好き、ダンスが好き、志が好きなど、『みんな違ってみんないい』状態で推しているけれど、その中でも間違いなく「お芝居が一番好き」と言えるのが、矢崎広さんだ。

なぜ広くんのお芝居がそんなに好きなのか。それは、彼の演じる役が、たしかな生命力と感情をもってそこに居て生きていると感じられるから

広くんを推しはじめて、もうすぐ4年。
私の思う矢崎広さんのお芝居の魅力をようやく言葉にできそうなので、残しておこうと思う。
感じ方には個人差があるし、これからも見ていくうちに本人の演じ方も私の感じ方も変わるかもしれないけれど、そのときはまた論文書く。


目次

  • 本人の芝居観に目からうろこが出た話
  • 朗読劇で感情表現の極みを見た話
  • 「受ける」芝居
  • 「役を生きる」
  • 役とのシンクロ
  • とにもかくにも『モマ』が最高なので観てほしい話






本人の芝居観に目からうろこが出た話

はじめに私が広くんのお芝居にかける意識に感銘を受けたのは、4年前、私が彼を推す決め手になったミュージカル『ドッグファイト』開幕前のインタビュー。
spice.eplus.jp


広くんは役に関して、「ラストシーンのために、僕らは屋良くんに楽しい思い出を作ってあげないといけない」と語った。広くんと屋良くん、そして中河内くんの3人は、海兵隊の仲間で親友という役どころ。言ってしまうと、広くんとまさくんは2幕終盤に戦死し、屋良くん演じるバードレイスだけが生き残り二人とのもう戻らない日々を悔やむというのが、今作のラスト。彼が言っているのは、バードレイスの悲しみの表現に屋良くん自身の感情を乗せるため、板の上で本人の感情を揺さぶる、ということ。


それまで私は、お芝居の感情表現について深く考えたことは無く、ト書きに「泣く」と書いてあるから段取りとして泣いている、くらいの認識だった。しかし彼のこの言葉で、感情表現は段取りなんかでやるものじゃなく、板の上で自分の心が役として感じるということなのか、と悟った。

同じことを広くんはるフェアのインタビューでも話している。「ラストシーンは、その日の公演でそのシーンに至るまでのみんなのお芝居を受けて、『今日はこんな感じでした』というまとめみたいな気持ちでやってた」そうで、その日その場で義経くんとして感じた通りに表現するため、稽古もほとんどしなかったとのこと。そりゃ毎公演違いますよね~毎回感じてることが違うんだから。まさに生もの。

朗読劇で感情表現の極みを観た話

そして私がそんな広くんの表現に完全に心打たれたのが、朗読劇『私の頭の中の消しゴム』。

はい。「でも、朗読でしょ?」と思ったそこのあなた。

甘~~~~~~~~~~~~~~~い!!!!!



消しゴムという作品に関して書き始めると脱線するのでグッとこらえるが、これはもはや「朗読劇」の域を超えたジャンル。あまりにも有名なお話なので詳細は省くが、広くんの演じた浩介は、若年性アルツハイマー病にかかった最愛の妻が自分のことをどんどん忘れていくという役どころ。

椅子に腰かけて台本を広げてはいるものの、そこで泣き、喚き、喜び、悲しみ、妻を愛しつづける浩介は、とても「台本を読んでいる」なんてものではなかった。浩介という役を通して広くん自身が感じた喜び、悲しみ、愛情が、また浩介を通して表出している。このとき私は初めて、お芝居を見て「生きてる」と感じた。

広くんは本作の印象的なセリフに「朝起きるときと、夜帰ってきた時が一番辛い。もしかしたら君がいるんじゃないかって、つい探してしまう」を挙げた。辛すぎて涙が出てきてしまうそう。感情の起伏に段取りなど無い。

朗読劇で言えば、『季節が僕たちを連れ去ったあとに』でも同じことを感じた。ラストシーン、寺山修二への弔辞を山田太一として読む広くんは、涙で言葉を詰まらせていたが、詰まる台詞は毎回違う箇所だった。その日の公演で自分が山田太一として寺山修二と過ごした時間、話したことを思い起こし、「心ゆくまで本の話を……本の話を…」と涙を流しながら言葉を絞り出す姿、声が忘れられない。



「受ける」芝居


技や芝居といえば、台詞を言ったり動いてみたり能動的に行動することが先にイメージされやすいが、私が「広くん本当に芝居上手だなぁ」と思ったポイントは、受けの芝居*1

これを私が最初に感じたのは、以外にもストレートプレイではなく、ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』のボブ・ゴーディオ役。

例えば、彼らがフォー・ラヴァーズとしてボブ・クルーのバックコーラスをしているシーン。いつまで経ってもバックコーラスばかりでなかなか自分たちのレコードを出そうとしないクルーと4人が言い合いになる。ボブが書いた曲をクルーは「ただの『曲』。『ヒット曲』じゃない」と平気で切り捨てる。

その態度にボブはこみ上げる怒りを抑えて静かな声で契約破棄を提案する。しかし当時はまだ若く経験も浅い彼は、自分が言ってしまったことにまだ自信が持てない。一瞬(うっわ言っちゃったよ…まずかったかな…)と不安と後悔で瞳が曇るが、ボブの言い分にフランキー、トミー、ニックが同調する。3人が乗ってきたことに少し驚いたあと、それで自信を得たかのように曇っていた瞳にまたまっすぐな光を宿す。

このくだり、
クルーに切り捨てられる
⇒ボブ、契約破棄を提案
⇒3人が同調
⇒契約破棄
という流れにはなるが、この間にぴろボブさん、怒り、怒りの抑制、不安、驚き、自信と、かなり細かく感情がうねっていて、しかもその大抵が、他の人の言葉に反応して感情が動いている

台詞や動作があるならまだしも、ここまで細かい感情の起伏を彼は表情ひとつで明瞭に表現できてしまう。そのキャラクターが今何を考えているのかが、まるで自分のことのように観客に伝わる。広くんの受けのお芝居は、とっても緻密でこまやかなのだ。
更に、他の役と会話の会話を演じても、投げられた言葉を聞いて感じたままに返事をするから、台本上のやり取りではなく血の通った会話になる。「神は細部に宿る」と言うけれど、こうしたこまやかさに命が、『神』が宿るんだなと、広くんのお芝居を観ていると感じる。


「役を生きる」

消しゴムを観た私が抱いた「生きている」という印象は、先ほども書いたように、役のフィルターを通して役者が感じたことが役を通してまた表出するという状態である。役として広くんが感じたことを役の感情として表に出す瞬間、その役は広くん自身の感情と命を根源として血を通わせそこに存在することができるのだと思う。そんなほとばしる命のエネルギーをびしばし感じたのが、舞台『GOZEN~狂乱の剣~』の望月八弥斗の殺陣だった。広くん自身久しぶりに殺陣に挑戦した今作、私は初めて彼の殺陣を生で観ることができ、殺陣を見て涙が止まらなくなるという初体験もした。

家柄、身分違いの恋、親の仇…さまざまな「運命」を押し付けられてきた八弥斗が迷いまくりながらたどり着いた「自分で運命を切り開く」という答え。ボロボロになった八弥斗が、最後の力を振り絞って敵に斬りかかる。斬るフリではなく本気で刀と刀をぶつけ合い、押されると苦しげに顔をしかめ、相手を蹴り飛ばす。「絶対に倒す」という気概が殺気となり*2汗、怒号とともに迸る。必殺技『香流八咫烏』を決めた瞬間、汗とも涙ともわからない雫がふた粒滴ったのを憶えている。*3

毛利さんが見たい矢崎を全部乗せにした結果\矢崎ほぼ出づっぱ/になり、この殺陣のシーンでは広くん自身も体力的に相当きつかっただろう。しかし自身の限界を賭けたからこそ、その極限の姿が、命を懸けて戦う八弥斗の生き様という『真実』を見せてくれた。


近松門左衛門が説いた『虚実皮膜』という考え方がある。芸というものは実と虚との境の微妙なところにあり、事実と虚構の微妙な接点に芸術の真実があるとする論である*4
望月八弥斗は虚構の存在だが、矢崎広という感情を持った実像が彼を演じることで、彼は『真』の存在となる。

これこそが「役を生きる」ということだと、私は思うんだ。役に命を与える。神は細部に宿る。自分の命を削って役に命を与える広くんのお芝居、まさに神のなせる業なのでは…


役とのシンクロ

そして、これを執筆している時点で大絶賛上演中の『モマの火星探検記』。

「人間はどうして生まれ、何のために生きていくのか」、モマが悩みながら答えにたどり着いていく姿を、等身大で広くんが映し出している。
誰かの言葉を受け取るたびにそれがモマとしての広くんの中に蓄積されていき、だんだんと全部が繋がっていく様が見える。既製品の結末ではなく、広くんが毎公演悩んで答えを見つけてみせてくれるから、見ている側も一緒に考え、悩み、ひとつひとつの言葉を彼と一緒に重く受け取ることができたように思う。これも広くんの役としての生き様。
アフタートーク「情けない矢崎広、いいよね」「悩む矢崎広、いいよね」みたいな話も出ていたけれど、これが「悩む矢崎広」の魅力の秘密だと思ったわ今。

モマで言えばもうひとつ広くんとモマがシンクロする部分がある。大好きなお父さんを亡くしているということ。

広くんはよくお父様のお話をしてくれる。そしてその死について「トラウマみたいなものがある」とも話してくれていた。お父様が亡くなったのは私が彼を応援しはじめるより随分前なので、当時のことは知らないし、本人の心境なんて誰も知る由が無いのだけれど、2017年に初めて『モマ』を観たとき、これはしんどいと私も思った。しかし後に彼は、この作品でその「トラウマ」に関して「救われた」と話している。モマを演じることが、彼にとっての喪の作業になったのかもしれない。

2020年の再演、私は驚いた。開始2分で、広くん演じるモマが父の死を悼み、舞台上にうずくまって号泣しはじめたのだ。これは2017年版には無かったお芝居。その姿を見て、外野ながら私は「『父の死』を虚構として振り切って演じることができるようになったんだ。広くんは乗り越えたんだ」と思った。主観です。
モマが抱える悲しみも、それを胸に秘めて明るく振る舞う切なさも、より深みを増していたように思う。ただの再演ではなく、広くん自身が困難を乗り越えた先の人間としての成長を見せてもらった。

更に物語中盤、モマが火星に着いたとき、地球でモマの子供が生まれる。知らせを聞いたモマはまた泣きながらうずくまって「やったー!やった!やった!」と大喜び。2017年版では喜んでるモマがひたすらかわいいと思うだけだったが、ここが思わぬ号泣ポイントだった。膝をついて泣いて喜ぶモマの姿が、同じ姿勢で悲しみ泣いていた冒頭のシーンを思い起こさせる。モマが父から受け継いだ命のバトンが、今度は娘に渡った瞬間だった。


ある日のカテコのご挨拶より


こんなにしっかりお父様の話をしてくれるなんて思っていなくて、本編で泣ききったあとなのにここで一番泣いた。「バトンタッチされたんだ」...そんな思いで表現してくれた、おじさんからモマ、モマからユーリへの命のバトンタッチ、しっかりと届いたよ。ご両親から受け取った命を、次はきっと広くんが新しい世代にバトンタッチするんだろう。過去を未来へ繋いでいこうとする希望にあふれた、眩しいほどの素晴らしいご挨拶でした。

きっとあの挨拶を聞いた全ぴろクラが嗚咽して泣き出したはずなので、舞台からはぴろクラあぶり出し号泣地獄絵図が見えていたことだと思う。
こんなん泣くわバカー!
話してくれてありがとうー!泣


とにもかくにも『モマ』が最高なので観てほしい話

時事ネタなので勢い余ってモマの話も出しちゃって、もう今モマの話したくて仕方ない。
前項で書いた以外にもたくさんのメッセージやたしかなギフトをくれる作品。私が少年社中を、演劇を、矢崎広さんを好きな理由そのもの。でも今回の話とはずれてきちゃうし中途半端に書きたくないから、きちんとまとめられたらいつかブログ書きたいな。

『モマ』を観てこれも「繋がってる」と思い出した詩と歌をふたつだけ。

生きる 谷川俊太郎


生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと


生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと


生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ


生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと


生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

写真詩集『生きる』全文



平原綾香 Jupiter 歌詞&動画視聴 - 歌ネット


(腕が)壊れるほど書いても1/3も伝わらないので、どうぞ劇場でご覧ください*5







広くんのお芝居に触れはじめたときからお芝居が好きだなとはずっと思っているけれど、いつからかそれが、私の好きな演劇像そのものになってきているように感じる。闇雲に信仰する信者やお花畑にはなりたくないけれど、だって好きなんだもの。需要と供給が一致する限りは享受し続けたいし、需要と供給にズレが生じる未来が現状では全く見えないので、これからも全幅の信頼を持って広くんの生き様を見せていただく所存。



ね!!!!!
矢崎広さんって素晴らしい役者でしょ!!!!!!!

*1:=「リアクション」なんだけど「アクション」という語感がちょっと強いのであまり使いたくない

*2:「殺気」といえば、薄ミュのバクステ映像でみんなが再三口にしていたし、そういえば私もその話したわ。

*3:なぜ涙なのかは、本編をご確認ください。
東映ムビ×ステ「GOZEN」特集 | 東映ビデオ株式会社

*4:コトバンクより https://kotobank.jp/word/%E8%99%9A%E5%AE%9F%E7%9A%AE%E8%86%9C-479648

*5:お察しの通り、ホルストさんの話がしたくて震えています。

停滞から前進へ~映画『いなくなれ、群青』

目次

  1. 作品との出会い
  2. 七草と真辺
    ー七草のひとつめの『理想』~信仰
    ー七草のふたつめの『理想』~幸福
  3. 佐々岡
    ー佐々岡が捨てたもの
    ー自分の物語から逃げない『主人公』に
  4. 停滞から前進へ~この物語はどうしようもなく、彼女と出会ったときからはじまる

作品との出会い

2014年より刊行され多くのファンを持つ「階段島シリーズ」。今年その実写映画化が発表され、映画公開に先駆け、私も初めて小説を手に取った。小説の世界観の奥深さや主人公の七草と真辺の関係性の美しさに心惹かれ、公開までに全6巻を読み切り、期待で胸をいっぱいにして映画の公開を待った。

映画化された『いなくなれ、群青』は、小説に映画オリジナルのアレンジが加えられ、キャストの繊細な表現により視覚的にも行間が増えている。小説を読了しすべての種を知っていても、まだ独自の感想を持ち考察する余地を与えてくれる作品で、観るたびに刺さるポイントが変わり深く考察することができた。

今回は、私が魅了された七草と真辺の関係性と、佐々岡の捨てたものに関して、主に映画を観て考えたことを整理し、原作を参考にして綴っていきたい*1

七草と真辺

映画に関して、七草と真辺の物語を「ラブストーリー」と称する意見をよく目にするが、全面的に同意はできない。原作にも通ずることだが、これは恋愛のような狭義の「ラブストーリー」ではなく、友情や信仰といった広義の「ラブストーリー」であってほしいと思い、私は変化しつつある二人の関係を解釈している。

本作のラストシーンでは、七草が真辺の手を握って幕となる。撮影当時このシーンには二人の恋愛関係を思わせる台詞があったことが、舞台挨拶で明かされた。カットしないでほしかったという声もあるようだが、私は無くても十分だと思っている。

この壮大な物語の主人公二人の関係は、恋愛という具体的で排他的な言葉で片づけられてほしくはない。そこに恋が芽生えているとしても、最後の最後にこの物語に「恋」という「名前」を付けてしまえば、ここまでの広い行間にちりばめられてきた七草の信仰や真辺の信頼、友情といった、混沌とした唯一無二の関係性が、すべて排除されてしまうように思う。

ここでは七草の『理想』を整理し、この二人の関係性とその変化について考察していく。

七草のひとつめの『理想』―信仰

七草にとっての理想は、真辺という人間が欠けることなく(正しいことの正しさを信じつづけ)この世に存在すること。もしくは、そう信じつづけること。遠く離れたピストルスターの輝きのように、それが自分の目に物理的に映らなくても構わない*2 。真辺から離れてさえしまえば、たとえ真辺が欠けることがあったとしても七草がその姿を見ることはなく、「完全な真辺」という偶像を信仰し続けられる。したがって、極端なことを言えば、むしろ真辺から離れることが七草の理想を永遠のものとするのだ。 仮にこれを七草の『頭で考える理想』とする。
この理想を叶えるために、七草は魔女と交渉して真辺を島の外へ帰そうとする。また、2年前の七草が真辺との離別の際に笑ったのも、この『頭で考える理想』が叶うことを無自覚に喜んでいたためである。

真辺を傷つけないため、真辺を信仰しつづけるために、七草は「(正反対の)僕たちは本来一緒に居ちゃいけない」という結論を出した。一方の真辺にとって、その理想主義は七草の悲観主義によって守られる、一蓮托生の関係にある。だから真辺は、七草を追いかけて階段島へやってきた。現実の真辺は理想主義の自分を捨て、七草の『頭で考える理想』通りの完全無欠ではなくなった。

七草のもうひとつの『理想』―幸福

そして、七草の中でも何かが変わり始めている。
これは原作の中で現実の七草が指摘していることだが、七草の中には「真辺のそばに居たい」という、これまでの信仰とは矛盾した感情が芽生えている。信仰的なこれまでの理想と対比して、こちらは『心で願う理想』としよう。

悲観主義者で何もかも失敗を想定する七草が、真辺が現実世界に帰るという『頭で考える理想』をまっすぐに叶えようとできるのは、真辺が階段島を出ることはその「『心が願う理想』の挫折」という悲観であるから。原作で七草は、この矛盾するふたつの理想に現実の七草からの指摘によって気づく。しかし映画ではその描写は無い。真辺が階段島に戻ってきて七草の『頭で考える理想』は破たんし、真辺が理想主義を捨てたのは自分と共にあるためだという確信があるにもかかわらず、彼は「また会えてうれしいよ」とその手を取るのだ。

また原作では、七草の「自分の幸せを簡単に諦められる」という側面もクローズされている。『頭で考える理想』と照らし合わせれば、真辺と一緒に居るという自分の幸せ(=『心で願う理想』)を諦め、真辺を遠ざけようとするのがこれまでの七草だったはず。それが、真辺と共に在るという幸せに自ら手を伸ばした。「現実の七草」は、真辺と共に在る幸せのために悲観主義者である自分を捨てなければならなかったにも関わらず、階段島の七草は悲観主義者であるまま真辺とともに在る道を選んだ。

現実世界で小学生の時に出会い、階段島で再会した二人。別れては出会うたびに、二人の物語は章を変え新しく始まってきた。捨てられた人格が集まる階段島で三度「彼女に出会う」ことで、七草という停滞しているはずの「欠点」が一歩前に踏み出すというラスト。これは二人の新しい関係の始まりの物語なのだ。そこには恋愛感情も含まれているのかもしれないが、そのひとつの感情だけでこれまでの二人の感情が捨象されるのではなく、新しい意味を含んだ新しい関係となるはずで、理想主義と悲観主義の二人は、何も捨てずに自分たちのままでありながら共存できる関係を模索していくのだろう。

佐々岡

原作と映画でもっとも解釈の変わったキャラクターが佐々岡であり、また作中では、佐々岡が無くしたものがもっともわかりやすく「人の成長」を体現しているように思う。

佐々岡が捨てたもの

現実の佐々岡が捨てたものは「『ヒーロー』願望を持った自分」だろうと、原作を読んだ時は思った。しかし広大くんの佐々岡を踏まえて考えると、捨てたのはむしろ「『主人公』になることを諦める自分」 なのかもしれない、と考えが変わっていった。

原作『その白さえ嘘だとしても』の中の七草のモノローグで、「佐々岡は正義の味方にはなれない。彼は諦めることができる。本当の正義の味方は、諦めることを知らない悲劇的な存在だ」というような記述がある。原作を読んで佐々岡を思い描く段階では、彼の変身願望が前面に出ているように思えたが、映画の佐々岡は逆に「諦め」にフォーカスして見えた。平凡な自分ではない別の誰か、ヒーローという別人になろうとするが、所詮自分は脇役だと諦めてしまうあの暗い瞳。

もし佐々岡が、私の第一印象のようにヒーロー願望自体を捨てていたとすれば、現実の佐々岡は何者になることも諦め、平凡な毎日をただ流されるように生きているのかもしれない。
しかし捨てたのが諦める心なら、現実の佐々岡は平凡な人生であっても諦めず、自分の物語の中心に腰を据え、その物語の主人公の人生を歩むことができたのではないだろうか。

自分の物語から逃げない『主人公』に

当初、階段島の佐々岡は、自分を『ヒーロー』にしてくれる物語が現れることを受動的に待っていた。そして現れた物語で『ヒーロー』らしく振る舞えなければ、自分は所詮脇役の村人Aだと諦めてしまう。
しかしそんな村人Aにだって、村人Aを中心とした人生があり、その中において村人Aは、『ヒーロー』らしく振る舞わずとも、自分の人生の『主人公』である。自身の人生の『主人公』の役を降り別人になり変わることはできない。

佐々岡が豊川に「俺だって逃げてるよ、何でもない自分から」と零す。佐々岡がダメだと思っている欠点、それは、つまらない自分から逃げようとする心。つまらない自分から逃げ別人になろうとする、でも「どうせ俺は『ヒーロー』ではなく脇役だ」とどこかで諦めてしまう心。それが佐々岡の捨てたものだろう。

豊川のヴァイオリンの音を「この世界を変えてくれるような音」と呼んだ佐々岡は、まだそんな受動的な心のままなのかもしれない。しかし、「もし君がこの弦で弾いてくれたら、俺も変われる気がする。俺が辞めさせない」という言葉から、彼もまた変わろうとしていることがわかる。流れに身を任せ結末をただ受け入れるのではなく、豊川に働きかけることで自ら物語を動かした彼は、弦をめぐるエピソードにおいて、まぎれもないヒーローだった。

停滞から前進へ~この物語はどうしようもなく、彼女と出会ったときからはじまる

階段島は本来、切り取られた人格が集まる、成長を奪われた人たちの停滞の島であった。前進しなければ傷つくことはない。それが、魔女が島の住人たちを守る方法だった。
だが、映画の中で登場人物たちは成長への一歩を踏み出しつつある。

水谷は「自分は偽善者だ」と嫌いな自分を自覚し、佐々岡は「俺だって逃げてるよ、何でもない自分から。でもそれじゃダメなんだよ」「俺も変われる気がする」と前を向き、七草は、信仰という悲観的理想を押しのけ、自らの幸せのために真辺の手を取る。

そしてこの成長の物語は、「彼女」―真辺由宇との出会いから始まった。

七草は真辺の姿をピストルスターの輝きー強く輝いているにも関わらず、あまりにも遠いため自分には届かない光ーに喩えている。たしかにピストルスターの光は地球からは見えない。それは七草にとっての理想の真辺との距離感だった。

しかしピストルスターの周りでは、その強い光が周囲の星々すべてに届き、闇を照らしているはずだ。それと同じことが、階段島で起こった。
真辺が階段島にやってきて理想を追い求めることで、闇はその強い光に照らされ、隠されていたものが白日の下にさらされる。真辺の言葉が周囲の彼らに突き刺さり、その痛みによってそれぞれが自分の「核」たる欠点に気づく。成長から遠ざけることで魔女から守られていたはずの彼らが、前進し傷つきながらも自己と向き合う。

階段島に住む人々は、現実世界の自分に捨てられた「欠点」そのものであり、彼らが自己と向き合うということは、「欠点」という側面から見た自己のアイデンティティの認識である。自己と向き合い、「欠点」を克服するのではなく、自覚された「欠点」を抱えたまま前に進む可能性を示す。
そうした変化の過程にある「欠点の結晶」であるはずの彼らが魅力的に描かれることで、観客は気づく。自分の「欠点」を「欠点だ」と思っているのは、自分の思い込みなのかもしれない、と。

*1:そもそも私がこの作品を手に取り映画を観るにいたった理由が、信頼する役者である松岡広大くんが佐々岡を演じたためであり、佐々岡を読み解くのに力が入るのは当然のことなので、深読みや贔屓目が入ることはご容赦いただきたい。

*2:これは恋愛より信仰に近いもので、身近なもので言えば『広大くんが私のことを認識していなくても、広大くんが俳優として輝き活躍するのを見ていたい』という感情が一番近い。はいここ笑うとこだよ~