STARMANN

眩しくて 手を振れば 遠く輝いて瞬く星座

これが私のお気に入り〜音楽劇『銀河鉄道の夜2020』〜

インスタに入りきらなそうだからブログにしたよシリーズ第一弾。
2020年てぃーみきアワード 軽率に行ってよかった現場部門ノミネート作品。

一言でいえば、「恋」だった。



演出が恋


演出は白井晃さん。白井さんの舞台は、観る前は漠然と難しそうで、「よくわかんなかったらどうしよう」と思いながら臨むものの、始まってみると、抽象画のような背景の上に具体的なものがたくさん置いてあって、その一つ一つを私はよく知っているし、全体を俯瞰で見てもクリアに理解できる。

恐るべき子供たち』もコクトーの小説の舞台化だったけれど、小説だけでは混とんとして掴めなかった世界が、抽象性も残しつつ具体的に可視化されていく感覚。可視化されるのはその小説の1解釈なんだろうけど、私にとっては参考書と言える。



参考書であり、美術品。瞬きするのが惜しいくらい、毎秒毎秒絵画のように美しい。



まずは背景などの映像。3階から見ると、渡り鳥の羽や波打つ川が床にも投影されていて、壁面もセットも床も一体に見えて1枚の絵みたいだった。
背景の絵だけでもポストカードにしてセットで売ってほしいくらい、めちゃくちゃ好きな世界観だった。


背景の映像もだけど照明も凄い。どうすればあんな絵に描いたみたいな光景を照明とスモークだけで出現させられるんだろう。特に石炭袋のシーン。スモークを焚いてその奥から光が刺すだけで、中空にブラックホールのような穴が出現する。「こんな画にしたい」って想像する分にはいくらでも出来るけど、それを実現できるアイデアといい技術といい…光と煙だからその都度消えていってしまうのが惜しいほどだった。


カムパネルラの幻影が現れるときの見せ方が、本当に幻が現れたように見えるんだよな〜。他の舞台だったら、一瞬ライト当ててるだけでそこに居るって頭でわかっちゃうけど(最低)銀河鉄道では、幻影はフッと現れてスーッと消えるように見えるから、本気で「消えた…」と思えちゃう。
ラストシーンでカラスウリの灯りの向こうからカムパネルラが現れては消えるのとかは、ライトに頼るわけじゃなく人を動かすことで消えたように見せているのがお洒落。




ほとんどのキャストが複数役兼ねていて、入れ替わり立ち代りいろんな役で出てくるから、アンサンブルがもうワンチーム居るのかと思った。メインキャストを除いたら10人居ない人数でやってるんだ。カテコで出てきた人数が想像以上に少なくてびっくりした。青山劇場での初演のパンフレットを見ると、当時はもっと大人数でやっていたらしい。当時と同じ人数でやっていたら密が気になりそうだけど、兼役のみなさんの活躍で、少人数で安全に作品を成立させていてこちらの集中力も削がれず、そんなところにも恋しちゃうよ...




生オケだったのもめちゃくちゃよかった。楽器を組み合わせて汽車の音を再現するとか大好きで、抽象的なセット+照明+オケで銀河鉄道を観客の頭の中のレールに乗せる。車体なんて一度も出てこないのに、ヘッドライトみたいな一筋の光が射して汽車の走る音が聞こえると、「銀河鉄道が来た」って思える。すごいんだ!!演劇ってすごいんだ!!



役者が恋


秋人、「お父さんかららっこの上着が来るよ」っていうザネリの台詞を劇中で何度も言うんだけど、毎回同じトーンで言うのすごいなと思った。半分ぐらいはジョバンニの回想でトラウマをリフレインするシーンだから、同じトーンで何度も繰り返すことで恐怖感を煽っててすごくよかった。


そして、なんといってもタイタニックの乗客の青年。沈没の瞬間の自己の思いに沿って、ストーリーテラーの役割も担う。パニック状態と理性の葛藤と状況説明ってとんでもない離れ業だなおい...
「子供たちを守りたい」「死にたくない」「自分たちが助かるために他人を押しのけ見殺しにしていいのか」「できない」「まことのみんなのしあわせのために」
極限状態の人間の葛藤を文字通り体当たりで演じていて、その必死さから出る命の輝きが眩しかった。


カムパネルラと青年と蠍の話が交錯し、「まことのみんなのしあわせのために」という普遍の想いが重なって大きくなって押し寄せてくる。自分で小説を読むだけでは見えてこなかった命の美しさを見せてもらった。これがきっと、名作を可視化・舞台化することの醍醐味なんだ。





はい、達成の話をします。

すごいんだ達成すごいんだ!どう見ても子どもなんだ!仕草とか表情とか心許無さそうに立つ後ろ姿とか、客席から見る分にはまだ10歳くらいの男の子でとても27には見えないんだ!サラッとしたシンプルなシャツとパンツが線の細さを際立たせるんだけど、他の共演者と並ぶと急に182センチでびびる。


いっちばん最初、夜空を見上げるジョバン二が、ただそこに立っているだけで目から全身から無垢な光を放っているのを見た瞬間、なんだかよくわからない涙が出てきて驚いた。「今の彼は、大人になると誰もが失くしてしまう輝きを宿してるんだ。その一瞬のうちの物語が今から始まるんだ」と察して尊泣きしてしまうほどの眩しさ。




生活苦や仕事の辛さや学校でのいじめや、小さな身体に抱えきれない理不尽に蝕まれていくジョバンニのシーンが、痛々しくも胸に突き刺さってきて好きだった。小さくてままならなくて、とても182センチには見えない()


でも、侵食されやすい分順応もできるから、結果として自己を解放し、理不尽を排除するのではなく受け入れることができる。無色透明の心が曇ったり、理不尽に侵食されていったり、急に暗い色に染まったり、色を変えて水のように流れていく達成ジョバンニは、子供だけが持ってる輝きを放ってたんだよお〜。


脱線するけど、『恐るべき子供たち』のエリザベートとポールが固執した秩序っていうのは、かつて彼らも持っていたであろう、ジョバンニのような無色透明な輝きだったのかもしれない。ひとはそこから自然と色づくことで様々な個性を持つ大人になっていくけれど、いつまでも無色透明のふりをして子供のままで居ようとした子供たちの成れの果てが、エリザベートとポールだったんだろう。




演じている間は一旦自分の人生置いといて役の人生背負うからその役にしか見えないような感じ、広くんみたいだとすら思った。
達成はロミジュリも良かったし僕明日も良かった。歌も(顔も)良いんだけど、私が「達成いいな」と思う大きな要因は、やはりお芝居。今回でそれを確信した。






これは恋。

細分化すればこの「恋」の中には、達成が良かったとか秋人が良かったとかも含まれるんだけど、可視化された銀河鉄道の夜の世界観から、舞台美術から、音楽から何から、劇場で受け取った全てが「これだ!」と思えるお気に入りばかりで、頭の中でずっと天使の歌が聴こえてた。




最後に、


カムパネルラやタイタニックの乗客が水中に沈んでいくときに見た光景は泡が星のように輝く美しいもので、絶望の真っ只中にある人を包み込む優しさを感じた。だからといって死を助長するわけではないし、死は自ら選ぶべきものでは決してないとは思う。でも、生きる中で散々苦しんできた人の精神が肉体を離れ「銀河の中心に向かう」とき、せめて最期に美しいものを見て、魂の救いになっていてほしいと願ってしまう。


美しい人が、美しい場所へいけますように。