STARMANN

眩しくて 手を振れば 遠く輝いて瞬く星座

『一生推す』って言えない

先日、ワイドショーを適当に流していて、スポーツの話題でコメントを求められたアナウンサーだかタレントだかが「〇〇選手、一生推します!」と言っているのを見て、ふと考えた*1


『一生推す』って私は言えないし、意識的に言わないようにしている。理由としては、自分にとってのあらゆる重荷になるから。


10代の頃は私も「一生推す!一生大好き!」みたいなことを軽率に言っていたと思う。でも、いい大人になるまでずっとオタクをやっていればまぁいろいろあるわけで、「一生推す」と思っていた人にあっさりと飽きてしまったこともある。何か決定的な出来事があって完全に嫌いになったわけではなく(中にはそういう例もあるけれど)スーッと熱が冷めていく。本人たちがどうこうではなく、シンプルに"飽きた"んだと思う。

そうして現場へ行くモチベーションももう無くなっている時、「でも1現場につき1回は観るって決めてたし…」「ずっと応援するつもりだし…」と、過去の自分の言葉や気持ちが呪いのようにまとわついて、半ば義務感だけで現場へ赴いたこともある。そんな気持ちで行っても全然楽しくなかった。楽しくて通っていた頃のことは鮮明に憶えているのに、そういう状態で行った現場のことは記憶にも残っていない。憶えていたとしても「つまんない」と思った記憶だけ。まじで無駄だった。

沼はハマりたてが一番楽しいもので、最初の2〜3年は絶対に楽しい。私の場合は3年以上熱が保てばそこからはわりと安定するけれど、その2,3年の間に「一生推す!」なんて今生の誓いを立ててしまったら、後々自分の言葉に縛られることになりかねない*2

推しへのスタンスなんて人それぞれだし、慣用句的に言ってる人ももちろん居るだろうけど、推しの現場に行くことに義務を感じちゃうような「オタクに二言はねぇ」スタイルのオタクは、一時の幸せに任せて「一生推す!」なんて言い切ってしまったら、いつかそれは、歯食いしばりながら自分を無理やり現場へ向かわせる呪いの言葉になるかもしれない。


以上のような「自分の気持ちが無常だから」というのが『一生推す』と言わない主な理由ではあるけど、他にも友人関係とか、推しへの面目とかもある。

まず、友達と「一生推そうね!」みたいな話をしておいて、もし自分が先に飽きてしまったときに地獄を見たくない笑 そうやって縛り合う友達は作っていないつもりだし、私が何を好きになって何に飽きようがフォロワーには関係のないことだけれど、自分が「オタクに二言はねぇ」スタンスだから、後々翻りそうなことは言いたくない。

推しへの手紙とかラジオのメールにしてもそう。申し訳ないけど、『一生推す』といった類のことを書いたり言ったりしたことは無い。別に何を言おうが向こうは覚えてないにしても、オタクに二言は(以下略)


だから私は、今推してる誰のことも『一生推す』とは思っていない*3いつか飽きるつもりで、今は楽しいから継続して現場行ったり応援したりしているだけ。いやそもそもお金貯めたいからオタ卒したいんだけど笑


縛りを作らないことで、いろんなことが楽にもなる。
自分に何の義務も課していないから、興味の無い現場やコンテンツはスキップするし、推しの現場を楽しまないといけないという強迫観念も無いので、合わなかったものは合わないと言っちゃう。無理してテーブルクロスの柄を褒めるようなことはしない。*4


無理せず、義務を課さず、好きなときに好きなだけ。欲しいものを欲しい分だけ。楽しくなければオタ活じゃないのだから、飽きたらやめればいい。

「推しは推せるときに推せ」ってある頃からよく聞くようになったフレーズだけれど、「推せるとき」=「自分が推しを推せる状況にある時」と捉えれば同意できる*5

手放しに未来を約束するのではなく、『今日はただ今日のことを、面白く楽しく、正しい心で』をモットーに、推したいと思ってるうちは推しを推す!

*1:無論、彼女の『推す』は、俳優やアイドルを推してる私の『推す』とはたぶん全然意味が違うので、あくまでも言葉を私の意味で考えるきっかけとして。

*2:この統計を取るのに、「ハマる→飽きる」の2,3年周期を2,3回繰り返した

*3:一生好きかもしれないと思ってるのは唯一キンキぐらい。英才教育で25年見て聴いてコンサート通って、ようやく「一生好きでいる…のかもしれないなぁ…」くらい。かつんも、かつんがそこに在る限りは好きだと思うけれど、本人たちが「永遠ではない」と言っているから、私も永遠は約束していないつもり。"せめて永遠ではない時を一瞬でも無駄にはしない"という約束なら、会うたびにいつもしてる(ドヤ)

*4:同じ感性やスタンスを持った友達に恵まれたから、観劇後に延々とダメ出ししてストレス発散できてる。いつもありがとう笑

*5:例えば誰かがグループ脱退したとき(察して)該当オタクが悲しみに暮れているのを横目に、他人の悲しみを勝手に教訓に昇華するかのように他界隈のオタクがこの言葉を反芻するのは、当事者としてあまりいい気分ではなかった。