STARMANN

いつか光を超えて、わたしを空へ連れ出して

コウイチの復活~夢と現実の紗幕~

先日SHOCK厨の友人たちと「Endless SHOCKプレゼン大会やりたいね」という話になったので、わたしが過去最高にSHOCKこじらせてた頃に考えて鳥肌たてた解釈をご紹介する。もしSHOCKを観たことがなくこれから観劇したいという方には最大のネタバレとなってしまうので、ただちにブラウザの戻るボタンを連打していただきたい。



Endless SHOCKの物語の鍵となる、二幕のコウイチの存在。彼は、一幕の殺陣の最後、ヤラ(ライバル)によってすり替えられた真剣で大けがを負い、1年後病院で息を引き取る。しかしその直後、事故のあとばらばらになってしまったカンパニーの仲間たちの前に現れる。死んだはずの彼がなぜかつての仲間たちの前に現れたのか、彼の存在は何だったのか。本論ではこのEndless SHOCKでだれも触れてこなかったある種のタブーに、「夢」という観点から独自の解釈で紐解いていきたい。


日本古典文学における「夢」

本題に入る前に、日本古典文学における夢信仰について少し触れていきたい。古典の夢と言えば『源氏物語』の六条御息所を思い浮かべる方がいるかもしれない。

人が物思いにふけるとき、「あくがる」(=魂が身体を離れる)*1という現象が起こると、古代人は信じていた。六条御息所光源氏への強い愛情と、彼の正室・葵上への嫉妬*2に苦しみ、物思いにふけることが多々あった。

そんな折、葵上に物の怪がとりつき、苦しむ彼女の周りでは物の怪を追い払おうと芥子の香を焚きながら加持祈祷が行われていた。そして葵上と光源氏が二人きりになった途端、葵上にとりついた物の怪が葵上に憑依し光源氏に語り掛ける。その声や話し方から、源氏は物の怪の正体は六条御息所だと勘づく。

一方の六条御息所は、自分が葵上と思しき女性を痛めつける夢を見る。目が覚めると身体から芥子の香りがすることに気づき服を替え身体を洗うが、その匂いは取れない。葵上が物の怪にとりつき苦しんでいることを知った六条御息所は、自らの魂があくがれ葵上を苦しめる物の怪となったのだと察する。消えない芥子の香りは、身体ではなく魂に染みついたものだったのだ。


このエピソードから、夢と魂には深い関係があると考えられてきたことがうかがえる。特に万葉期の和歌では夢のなかで愛する人と逢うシーンが幾度となく詠まれ、その夢の逢瀬を「魂逢ひ」と呼んでいる。夢は魂のはたらきであり、魂逢ひの舞台として和歌に登場する「夢の通ひ路」とは魂だけが活動できる夢の世界=魂の世界なのだ。



『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』の夢

わたしの信仰する少年漫画『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』にも、こうした夢のかたちが提示されている。死ぬ間際に見る夢も存在するという。これは私の解釈だが、身体を抜けこの世を離れようとする魂が、あの世に向かう途中に通るのが夢の世界=魂の世界なのだろう。

そしてこの物語の中では、残される者の強い想いが死に向かう人を引き留め、生と死のはざまに留めてしまうこともある。壱原侑子がその例である。クロウ・リードという魔術師の「侑子にもう一度目を開けてほしい」という強い想いが、彼女の時間を止めてしまった。この状態を『ツバサ』では「すべての次元から切り離される」と表現している。この世に存在しているように見えるが、あの世に向かう途中で時間を止められているので「ここに居るようでここに居ない」という状態だ。


コウイチが紗幕をくぐる意味【Don't Look Back】

さて、ここからが本題である。

二幕はヤラの見る夢からはじまる。コウイチが主役を務めるシェイクスピアの劇に自分が出ている夢だ。ヤラは夢の中でも、1年前の事故の責任と罪の意識に苦しんでいる。
目が覚めた彼は、コウイチの病室を見上げる。コウイチに語り掛けるヤラをライトが照らし、背後の紗幕に映し出されたヤラのシルエットの向こうからコウイチが現れ、二人は掛け合って歌い始める。コウイチの訃報を知らせる電話を受けたオーナーもハーモニーに加わり三人の声が揃ったとき、ヤラとオーナー、そしてコウイチの間を隔てていた紗幕が開き、コウイチとヤラがそれぞれの想いを乗せて踊る。


わたしの尊敬する日本文学の教授がこんなことを述べていた。
「夢と現実の間には薄い膜のようなものがある」

わたしが思うに、この【Don't Look Back】を歌うシーンは、ヤラが見ていた夢と死に向かうコウイチが見ている夢が重なり、コウイチの魂をヤラの想いが引き留めるシーンなのだ。薄い紗幕の向こうのコウイチのいる世界が夢(=生と死のはざま)で、紗幕の手前のヤラとオーナーのいる世界が現実(=この世)である。「もう一度コウイチと舞台に立ちたい」というヤラの強い想い、もしくはコウイチを悼むオーナーの想いが夢と現実の間の紗幕を引き上げ、夢の世界のコウイチを現実に実体化させたのだ。


「ここに居るようで居ない」コウイチ

謎解きシーンのリカの台詞。
「こんなに近くにいるのに、こうして触れているのに、あなたを感じることができないの」
そう、彼は壱原侑子と同じ、「ここに居るようでここに居ない」状態なのだ。

そして、SHOCKの1000回公演を記念して発売されたDVDの特典に収録された『Endless SHOCK ANOTHER STORY』には、そんな「ここに居るようで居ない」コウイチの存在の不確かさがほのめかされている*3


長年ライバル担当の立場からこの舞台を見てきた人間として恣意的に解釈すると、コウイチをこの世に留め置いたのは他ならぬヤラである。すれ違ってきたコウイチとヤラの想いが夢というチャンネルで重なり、そこにカンパニーの仲間たちの想いが合わさって最後のショーを作り出したのだ。


終わりに

こう考えるようになってから、ヤラの影の向こうからコウイチが現れ紗幕をくぐって一緒に踊るあのシーンが大好きになってしまい、毎回鳥肌が立つ。おそらく、紗幕にこんなに深い意味を見出している観客は日比谷のどの劇場を探してもわたししかいないだろう。

ここまで源氏物語やら少年漫画やらあらゆるものを引っ張り出して偉そうにしゃべってきたが、すべてはわたしの個人的解釈であり趣味である*4。ANOTHER STORYの最後の一文を拝借し、結びとさせていただく。

”EVERYTHING IS IN YOUR IMAGINATION.”

*1:「心を奪われる」という比喩的意味から転じて、現代語の「憧れる」の語源となった。

*2:これには葵祭りでのある一件が引き金になっているが、説明は割愛する。

*3:コウイチとヤラの二人でのダンスシーンのはずが、ステージにヤラしかいないように見える。

*4:あと卒論