STARMANN

眩しくて 手を振れば 遠く輝いて瞬く星座

コウイチの復活~夢と現実の紗幕~

先日SHOCK厨の友人たちと「Endless SHOCKプレゼン大会やりたいね」という話になったので、わたしが過去最高にSHOCKこじらせてた頃に考えて鳥肌たてた解釈をご紹介する。もしSHOCKを観たことがなくこれから観劇したいという方には最大のネタバレとなってしまうので、ただちにブラウザの戻るボタンを連打していただきたい。



Endless SHOCKの物語の鍵となる、二幕のコウイチの存在。彼は、一幕の殺陣の最後、ヤラ(ライバル)によってすり替えられた真剣で大けがを負い、1年後病院で息を引き取る。しかしその直後、事故のあとばらばらになってしまったカンパニーの仲間たちの前に現れる。死んだはずの彼がなぜかつての仲間たちの前に現れたのか、彼の存在は何だったのか。本論ではこのEndless SHOCKでだれも触れてこなかったある種のタブーに、「夢」という観点から独自の解釈で紐解いていきたい。


日本古典文学における「夢」

本題に入る前に、日本古典文学における夢信仰について少し触れていきたい。古典の夢と言えば『源氏物語』の六条御息所を思い浮かべる方がいるかもしれない。

人が物思いにふけるとき、「あくがる」(=魂が身体を離れる)*1という現象が起こると、古代人は信じていた。六条御息所光源氏への強い愛情と、彼の正室・葵上への嫉妬*2に苦しみ、物思いにふけることが多々あった。

そんな折、葵上に物の怪がとりつき、苦しむ彼女の周りでは物の怪を追い払おうと芥子の香を焚きながら加持祈祷が行われていた。そして葵上と光源氏が二人きりになった途端、葵上にとりついた物の怪が葵上に憑依し光源氏に語り掛ける。その声や話し方から、源氏は物の怪の正体は六条御息所だと勘づく。

一方の六条御息所は、自分が葵上と思しき女性を痛めつける夢を見る。目が覚めると身体から芥子の香りがすることに気づき服を替え身体を洗うが、その匂いは取れない。葵上が物の怪にとりつき苦しんでいることを知った六条御息所は、自らの魂があくがれ葵上を苦しめる物の怪となったのだと察する。消えない芥子の香りは、身体ではなく魂に染みついたものだったのだ。


このエピソードから、夢と魂には深い関係があると考えられてきたことがうかがえる。特に万葉期の和歌では夢のなかで愛する人と逢うシーンが幾度となく詠まれ、その夢の逢瀬を「魂逢ひ」と呼んでいる。夢は魂のはたらきであり、魂逢ひの舞台として和歌に登場する「夢の通ひ路」とは魂だけが活動できる夢の世界=魂の世界なのだ。



『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』の夢

わたしの信仰する少年漫画『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』にも、こうした夢のかたちが提示されている。死ぬ間際に見る夢も存在するという。これは私の解釈だが、身体を抜けこの世を離れようとする魂が、あの世に向かう途中に通るのが夢の世界=魂の世界なのだろう。

そしてこの物語の中では、残される者の強い想いが死に向かう人を引き留め、生と死のはざまに留めてしまうこともある。壱原侑子がその例である。クロウ・リードという魔術師の「侑子にもう一度目を開けてほしい」という強い想いが、彼女の時間を止めてしまった。この状態を『ツバサ』では「すべての次元から切り離される」と表現している。この世に存在しているように見えるが、あの世に向かう途中で時間を止められているので「ここに居るようでここに居ない」という状態だ。


コウイチが紗幕をくぐる意味【Don't Look Back】

さて、ここからが本題である。

二幕はヤラの見る夢からはじまる。コウイチが主役を務めるシェイクスピアの劇に自分が出ている夢だ。ヤラは夢の中でも、1年前の事故の責任と罪の意識に苦しんでいる。
目が覚めた彼は、コウイチの病室を見上げる。コウイチに語り掛けるヤラをライトが照らし、背後の紗幕に映し出されたヤラのシルエットの向こうからコウイチが現れ、二人は掛け合って歌い始める。コウイチの訃報を知らせる電話を受けたオーナーもハーモニーに加わり三人の声が揃ったとき、ヤラとオーナー、そしてコウイチの間を隔てていた紗幕が開き、コウイチとヤラがそれぞれの想いを乗せて踊る。


わたしの尊敬する日本文学の教授がこんなことを述べていた。
「夢と現実の間には薄い膜のようなものがある」

わたしが思うに、この【Don't Look Back】を歌うシーンは、ヤラが見ていた夢と死に向かうコウイチが見ている夢が重なり、コウイチの魂をヤラの想いが引き留めるシーンなのだ。薄い紗幕の向こうのコウイチのいる世界が夢(=生と死のはざま)で、紗幕の手前のヤラとオーナーのいる世界が現実(=この世)である。「もう一度コウイチと舞台に立ちたい」というヤラの強い想い、もしくはコウイチを悼むオーナーの想いが夢と現実の間の紗幕を引き上げ、夢の世界のコウイチを現実に実体化させたのだ。


「ここに居るようで居ない」コウイチ

謎解きシーンのリカの台詞。
「こんなに近くにいるのに、こうして触れているのに、あなたを感じることができないの」
そう、彼は壱原侑子と同じ、「ここに居るようでここに居ない」状態なのだ。

そして、SHOCKの1000回公演を記念して発売されたDVDの特典に収録された『Endless SHOCK ANOTHER STORY』には、そんな「ここに居るようで居ない」コウイチの存在の不確かさがほのめかされている*3


長年ライバル担当の立場からこの舞台を見てきた人間として恣意的に解釈すると、コウイチをこの世に留め置いたのは他ならぬヤラである。すれ違ってきたコウイチとヤラの想いが夢というチャンネルで重なり、そこにカンパニーの仲間たちの想いが合わさって最後のショーを作り出したのだ。


終わりに

こう考えるようになってから、ヤラの影の向こうからコウイチが現れ紗幕をくぐって一緒に踊るあのシーンが大好きになってしまい、毎回鳥肌が立つ。おそらく、紗幕にこんなに深い意味を見出している観客は日比谷のどの劇場を探してもわたししかいないだろう。

ここまで源氏物語やら少年漫画やらあらゆるものを引っ張り出して偉そうにしゃべってきたが、すべてはわたしの個人的解釈であり趣味である*4。ANOTHER STORYの最後の一文を拝借し、結びとさせていただく。

”EVERYTHING IS IN YOUR IMAGINATION.”

*1:「心を奪われる」という比喩的意味から転じて、現代語の「憧れる」の語源となった。

*2:これには葵祭りでのある一件が引き金になっているが、説明は割愛する。

*3:コウイチとヤラの二人でのダンスシーンのはずが、ステージにヤラしかいないように見える。

*4:あと卒論

あの日のこと

Endless SHOCK 2012のドキュメント映像の中で、同作に毎年出演しているはずの出演者がオープニングの振り付けをまったく思い出せない様子が映し出されている。ドキュメントの中では、その原因は、前年の公演が震災により中止となり千穐楽をむかえられなかったためだという言及がある。

いまのわたしがまさにそれだ。わたしは昨年、SHOCKのMy千穐楽を迎えられなかった。
ほかにも理由はあるかもしれない。前年より観劇回数が少なかったからとか、そのあとに上書きされた記憶が多すぎるとか。
でもそれにしたって、不思議なくらい昨年のSHOCKが思い出せない。

わたしの千穐楽は3月19日の夜公演になるはずだった。その日に何があったのかは、もうあえて説明する必要もないだろう。


あの日、開演2時間ほど前には劇場近くに到着していた。近くのカフェで母とお茶をしていると、Twitterを見ていた母が「なんか様子がおかしい」と言い出した。なんだなんだと開いてみると、もうTLは大騒ぎになっていた。一部始終を見ていた人のツイートから憶測や心配の声が飛び交い、すぐには何が起こったのか理解できなかった。土石流のように流れてくる心配や主観、憶測のなかからかろうじて拾い上げた情報で、問題のシーンにはやらくんも出ていたが本人に怪我がなかったことはわかった。

しばらくその場で待機し夜公演の中止の知らせを聞いたあと、近くにいた屋良担の友人と合流する。頭の中はごちゃごちゃだが、なじみの顔を見て一安心。深刻になりすぎない空気に救われ、他愛のない話をして心を落ち着かせた。

友人と別れた後一度帝劇の前を訪れる。時刻は7時半頃。事故が起こってから3時間以上が経っているにもかかわらず、劇場前にはまだ人だかりができていた。マスコミだけではない。
「ここにいたって何もできやしないのに。」と、劇場前にたかる人々に興ざめしながらその場を後にした。


わたしがその日に観劇予定であることを知っている友人の何人かから、リプやDM、LINEで多く連絡を頂いた。ありがたいことにわたしへの心配の連絡だったのだが、そのときのわたしは「なぜわたしの心配なんかしてくれるんだろう。もっと心配されるべきなのは演者なのに」と思ってしまった。それくらい、「観られなくて残念」とか、そういう思いが沸いてこなかった。
ただただキャストとスタッフ、誰よりも光一くんが心配だった。Show must go on. そう叫び続けてきた光一くんのこの舞台で、ショーをストップせざるを得ないことが起こってしまった。彼の気持ちを思うと、身が引き裂かれそうな思いがした。

そして、こんなに心配なのに、こんなに彼らのことを思っているのに、ただ思うだけで自分には何もできない無力さに打ちひしがれた。事故の詳細と怪我をしたキャストの状態によっては「また立ち上がってくれ」と声をあげてよいものなのかもわからない。

何も出来ない。

どんなに大切に思っていても、今のこの状況で出来る事は何もない。演者と観客の関係の限界を感じた。

その日は夜遅くまで眠れなかったが、翌日からまたスーツで朝から出かけなければならない。痛む胸をなんとかなだめて、その日は泣きながら眠りについた。


翌日、もろもろの活動のため大学でパソコンを立ち上げ、ふとTwitterを覗き見て、夜公演からの公演再開が決定したことを知った。その時は素直にうれしくて、安心して、涙が止まらなかった。
普段SHOCKレポをあさることはほとんどないが、この日ばかりは夜公演のレポを待つ。奇遇にもこの日に観劇した友人が多く、光一くんの挨拶や、やらくんがいつも通りに公演を終えたことを伝えてくれた。あのカンパニーがまた走り出してくれることが、SHOCKファンとしてとにかくうれしかった。


観劇した人が、再び走り出したカンパニーに賞賛の言葉を並べる中、あるツイートを見たとき、それまで不思議なほど湧いてこなかった思いがふつふつと湧き上がってきて、つい口をついて出てしまった。

友人の協力もあり、ご縁があって譲っていただいた大切なチケットだった。
しゅーかつが始まったばかりで、スーツで説明会や面接に出かける毎日の中、久しぶりに私服を着られるのでお気に入りのワンピースを引っ張り出してきた。
この日だけは絶対に予定が入らないように調整し死守してきた日だった。
やらくんを好きになって7年2か月目の記念日だった。
これが今年のSHOCK最後の観劇の日だった。

わたしだって観たかった。

そんないろんな思いがこみ上げて来て、やっと言葉にできたのはこれだけだった。

しかし、これを見たたくさんの友人がまた声をかけてくれて、その言葉が、閉じ込めようとしていた思いをどんどん吐き出させてくれた。再開を喜ぶTLに水を差したくなくて我慢しようとしていたけれど、「素直でよろしい!」と。
観られなかった悲しさと、こんなネガティブツイートを受け止めてくれる友人の温かさへのうれしさで、この日もずいぶん泣いた。泣きに泣いてすっきりしたのか、翌日にはケロッとしてこんなツイートを。

気持ちはもう春である*1

美談にするつもりはないが、この一件の際は、友人の温かさに本当に救われた。改めて感謝したい。



また、それぞれの主観と憶測が飛び交う中、わたしが唯一信じたいと思ったレポがあった。

事故が起こったその瞬間、状況を把握したうえで、やらくんは必死でショーを続けようとしていた、という。

それでこそやらくんだ、と思った。その瞬間、それぞれが自分のやるべきことを考えて行動した結果、やらくんは続けることを選んだ。それはきっと他でもない、お客さんのため。後日Webの自身の日記で、その時の自分の行動が正しかったのかどうか、その日はずいぶん悩んで夜も眠れないほどだったと吐露していた。

その時ステージにいた者としてどう行動するのが正解だったのかはわからないし、きっと正解は無い。でもわたしは、その時やらくんが自分のすべきことをとっさに考え、続けることを選んだなら、それが彼にとっての最善だったんだと、今も信じている。そうすることを選べる彼を、信頼し、尊敬している。7年2か月前にあの場所で、あの舞台でわたしが好きになった彼は、またこうして好きを更新してくれている。そう再確認してしまった。

そして思った。次にステージに立つ彼に会うときは必ず笑顔で、この悔しい気持ちを払しょくしてもらうんだ、と。





先日ドッグファイト千穐楽のために愛知に遠征した。やらくんのために一人で遠征するのはこれが初めてで、予想していた通り、今ドッグロスがひどい。今頃やらくんは稽古ひーひー言ってるところだろうが*2、わたしのほうはまったくSHOCKモードになれていないのが正直なところだ。どうやってSHOCKにのぞめばいいのかもわからない。

とはいえ、今年もSHOCKでやらくんに会えるのは楽しみだ。毎年「やらくんが出演するのはこれが最後かもしれない」と思いながら通っている。もしあれっきりになってしまったらSHOCK出の屋良担として一生悔いが残ると思っていたから、今年もヤラを見られることは本当にうれしい。始まったら始まったで早く観たいと思うだろうし、観たら観たでSHOCK大好き芸人炸裂するのだろう。


あの一件を美談にするつもりはない。その後帝劇で楽しい時間を過ごしている人を妬ましく思ったことも事実だ。隠すつもりはない。あの日のことは今思い出しても苦しいし、2015年のヲタク活動最大の悔いだ。だから、あれ以来初めてSHOCKを観る前にこの気持ちを改めて供養するために、ここに今更綴るに至った。


あーあ、はやくステージに立つやらくんが観たいなぁ~。

*1:「俺はもう次のショーを考えている。」 「まだ公演中止から二日しか経ってないのに!」

*2:М幸さんのことだから、ひーひー言いながら喜んでいるはず。

第1回ジャニヲタダンス部活動報告

「ジャニーズになりたい!」

そんなわたしのあこがれと野望、そして多くの賛同者の声をモチベーションに少しずつ企画を進めてきたジャニヲタダンス部、2016年幕開けと共に、とうとうスタートしました!



結果からご報告すると、



大成功




\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/



開催予告記事はこちら↓

tea-miki.hatenablog.com

以下、今後の活動のための自分のための備忘録と、簡単なレポートです。もっと写真撮っとくんだった…


課題曲:can do! can go!

初回ということで集客力バッチリな選曲。ただ、実際に振り起ししてみるとなかなかに難しかった。初心者に説明しがたい技が多く、難易度としては中級レベル。

主に某動画サイトに上がっている映像を参考にしたが見づらい部分も多かった。自分の所持している過去映像を掘り起こせば資料はもっと豊富だったはず。

事前練習会

「ダンス部やりたいな~」とぼそっとつぶやいたときに参加したいと言ってくれた友人の中から、4名のダンス経験者にお願いし、10月頃よりコーチ陣として発足、曲決めや今後やりたい曲なんかを話し合い。
11月に振り起し練習会を実施。この時点でイントロ、サビ、アウトロを振り起し。
1月に入り、練習会直前に思い出し稽古として再度練習会。Aメロの振り起しをメインに行い、少年倶楽部等でよくやる尺でのフルコピ完了。


参加者数:15名

うち5名が主催・コーチチームだが、それでも一般参加者は10名と、課題曲様様な集客。コーチ陣としてはマンツーマンレッスンが想定だったので、予想外の多さ。

ファン層としては、デビュー組担5名(V6、NEWS、関ジャニ∞、キスマイ、A.B.C-ZジャニーズWEST等)、屋良担2名、Jr.担8名(ふぉ~ゆ~、Snow Man、Travis Japan、無所、関西)
本家のV担さん以下は、担当さんがJr.時代に一度は踊ったことがあるであろうファン層(笑)


場所:新宿某スタジオ(広さ35.1㎡)

スタジオの最寄りの路線近くでの集合。ただでさえ迷宮な新宿で、なおかつ参加者の中にユーザーの少ない路線だったため、集合にご苦労をおかけしてしまった。
ただ、地下鉄の出口を出た途端、目印に指定したわたしの帽子を見て「あの~、てぃーみきさんですか?」と女の子によってたかって声をかけられるのは、さながら渋谷で目撃されるJr.の気分。

駅からスタジオは近く、参加者の中に利用者がいたこともあってスタジオ入りもスムーズ。
人数に合わせた広さのスタジオをとったものの、踊るのに最低限のスペースといった感じで少々狭かった。人数に対して少し広めのスタジオをとるといいかも。


練習内容

スタジオ予約時間は、初心者向けに基礎練習の説明を入れることも考え、6時に開始し長めに3時間。

5:55 スタジオ着
6:00 着替え、準備
6:10 簡単に自己紹介(担当、ダンス経験など)
6:15 柔軟、アイソレ
6:30 振り入れ(サビ→イントロ→Aメロ→アウトロ)
6:55 休憩
7:00 振り入れ(間奏)
7:30 休憩、自主練、質問
7:40 全体を二つのグループに分け、みせっこ・撮影
8:00 各グループ動画確認、休憩
8:15 全力で1回通し
8:20 3列に分けて構成付け
8:30 構成付通し
8:40 着替え、片付け、お土産配布
8:55 撤収


タイテにしてみると、ざっくりとこんな感じ。ちなみに進行はノープラン(笑)振り入れもさくさく進み、むしろ時間が余るほど。


反省点
  • 振り入れの順番以外の進行がノープランだったので、もう少しテンポを掴みたい。
  • 時間が長めだったので、アップ・ダウンなどの基礎練習も取り入れるべき。
  • 人数が多く、一人ひとりの進捗に合わせて進められなかった。
  • コーチに個人的に質問する時間・しやすい空気を作る必要がある。
  • 基礎練用の曲のストックを用意しておく必要。
  • 連休最終日で遅い時間での開催だったため、終了後にごはんに行きたくても行けないという人が多かった。
  • What' your name?Tシャツは、事前練習会ではなくここで着るべきだった(個人的に)
良かった点
  • 時間が長かったことと、人数が多かったこともあり、構成付の少年倶楽部再現までできた。
  • 余った時間で踊りこみができた。
  • みなさんのモチベーションのおかげで、想像以上にさくさく進んだ。
  • 合間の時間で参加者同士の会話が弾んでいた 。
  • 楽しかった!!



こんなところでしょうか。なにか思い出したことがあれば加筆していきます。


主催者として再三申しておりますが、ジャニヲタダンス部は、うまく踊ることより楽しく踊ることを目標にしています。
その点に関していえば、参加者の方々が「楽しかった!」と言ってくださったので、初回は大成功!!
コーチ陣のみなさん、参加者のみなさん、あたたかい手を差し伸べてくださり、ありがとうございました!


また、今回残念ながら参加できなかったというお声も多数いただいております。
今回の成功に、主催者かなり調子に乗っておりますので(笑)今後も不定期ですが必ず開催します!気になる曲が課題曲にあがり、日程が合えばぜひご参加ください。
こちらも何度も申しておりますが、ダンス経験の有無は問いません!ジャニ―スの曲を踊ってみたい!ジャニーズになりたい!という方はどなたでも歓迎です!
引き続き、開催の予定が決まりましたら当ブログやTwitterにて情報掲載いたしますので、お気軽にお声かけください。

アイドルの切り札

べスアでの衝撃の発表から一か月が経ち、年が明け、2016年――KAT-TUNデビュー10周年の年を迎えた。
この一か月と少しの間、ずっと考えてきた。わたしは何をすべきか。何を信じ、どこへ向かって、何を諦めるべきなのか。考えてきたというか、あの日のあの瞬間からわかっていた。田口くんの決意を示す、別人のような表情とまっすぐな瞳が、悲しそうな竜也の歌声が、今にも膝から崩れ落ちそうでも懸命に踊ろうとする中丸くんの姿が、溢れる感情を押し殺し小さく震えながらマイクを握るかめの手が、嫌でもそれを突きつけてきた。
4人でいる今を走り抜けようとするKAT-TUNと田口くんを信じ、3人でまた立ち上がり進んでいく未来に向かって、4人のKAT-TUNとの未来を諦める。それが残された時間でわたしがすべきこと。わかっている。

ただし「わかっている」と「できる」は別の問題で、結論から言えば、すべきことは何もできていない。今まで信じてきたものをこれからも信じ続けたいし、盛大な10周年のお祝いに向かっていきたいし、4人一緒にいてくれる未来を諦めたくない。あの日からすべきことに努めようと前に進もうとしてきたが、全く進めていない。

けれど、明星での田口くんの1万字インタビューを読み、気持ちの一部が少し整理された気がした。これなら言葉にできる。わたしなりに前に進むタメに。



このインタビューでも、田口くんは脱退の具体的な理由を明かしていない。大人の事情があって言えない部分が多いことも予想がつく。もうここまで来たら何も言わずに去るつもりだろう。発言にさまざまな規制が敷かれているであろう彼が唯一口にした脱退理由は、抽象的ではあるが、わたしが、いや、わたしだけではなくすべてのアイドルファンが恐れていた言葉だろう。



「アイドルという夢を与える職業は僕には荷が重すぎた」

田口くんほどアイドルに向いてる人はそうそういないよ!田口くんにとってアイドルは天職だよ!間違いないよ!ここまで読んでわたしはそう思った。


けれど、これに続く文で納得せざるを得なかった。



「ひとりの男として、もっと自由に生きたいと感じた」

…あぁ、とうとうそれを言われてしまった。できることなら、アイドルファンでいる限り一生聞きたくない言葉だった。
幼い頃からジャニヲタ英才教育を受け、清く正しくジャニヲタとして歩んできたこの20年近くの間、好きだった人、応援していた人が事務所を去っていったことは一度や二度ではない。芸能界を引退し一般人としての生活を手にした人もいる。けれど、不幸中の幸いというと語弊がありそうだが、この言葉を本人の口から聞くことはなかった。


「アイドルである前にひとりの人間だから」というありきたりな議論は先人たちが散々してきたし、問題をそんなに簡単に一般化できるほどわたしは田口くんとKAT-TUNを客観視できない。しかし、これこそが田口くんの脱退の理由である以上、ここに言及せざるを得ない。
アイドルは虚像だが、その虚像を演じている生身の人間には人権がある。けれど、演じているといっても提供するのは自分自身であるので、提供するモノと中の人の私生活を完全に切り離すのは難しい。個人の生活、人生を犠牲にして自己を提供してくれているのがアイドルなのだ。
そのアイドルが、ひとりの人間としての生活・人生を犠牲にすることなく求めれば、我々は止めることはできない。それはアイドルを演じる中の人の人権であり、アイドルの最後の切り札ともいえる。それを使ってしまえば一方的にゲームを終わらせることができてしまう。

そんな切り札を、田口くんはわたしたちの前に提示したのだ。アイドルという天職につき続けることと、天職についてくる足枷を取り払うこととでは、足枷から解放されることの方が幸せだと彼は判断したのかもしれない。だから彼は自らゲームを降りたいと言ってきた。

それができてしまう田口くんには、アイドルという職業はたしかに「荷が重い」のだ。反論も説得の余地もない。




ただひとつ気になるのは、同インタビューで田口くんが「パフォーマンスは続けたい」と言っていることである。
KAT-TUNとジャニーズは辞めるのに、芸能界は辞めないの?それってKAT-TUNにいながらでもできることじゃないの?切り札まで使っておいて、ゲームから完全には降りないの?それであなたは「ひとりの男」として生きられるの?
てっきり田口くんは芸能活動自体から手を引くものだと思っていたが、パフォーマンスを続けるならそういうわけでもないのかもしれない。しかしジャニーズばかり追いかけてきたわたしには、田口くんがジャニーズをやめてどんなパフォーマー活動をしようとしているのか見当がつかない。本人も未定だと言っているし、実際にパフォーマンスを続けるのかどうかは定かではないが。


でもね、田口くん、それはわがままだよ。
あなたがジャニーズやKAT-TUNで培ってきたものは、ある種ブランドとしてお金を払う価値が十分にあるものなんだよ。それを引き続き利用してどこかでパフォーマンスしようものなら、世間はあなたを放っておいてはくれないよ。元KAT-TUN田口淳之介のパフォーマンスとしてこの先も注目され、世間にさらされる。ある面では自由になれるかもしれないけど、ある面ではひょっとしたらジャニーズにいるときより規制が多いかもしれないし、好奇の目だって避けられない。
この知名度と実力を持ってパフォーマンスして「僕は『ひとりの男』だから放っておいてください」だなんて、わがままじゃない?あなたは何を想定して、何をしたくて、何に向かって「ひとりの男」になろうとしてるの?何があなたの望む「ひとりの男」なの?




今回のインタビューでは、本当に田口くんの本音が引き出されている。一度は疑いかけたけど今まで信じてきたものが嘘ではなかったという安心と、抽象的ではあるけど納得せざるを得ない理由を得られた。しかし同時に疑問も深まった。

まだ受け入れられてはいないし完全に納得もしていないけれど、新たな疑問が生まれるのは前に進んでいるあかしだと思うことにする。
春へ、あなたとの別れへ。

Countdown to spring

kotonoha13.hatenablog.com


I went to a countdown concert for the first time last year. That was one-man concert of KAT-TUN in Kyosera Dome Osaka. KAT-TUN had acted one-man countdown concert since 2013. I couldn't join that in first year because of the concert of KinKi Kids. But, this year, KinKi Kids didn't hold that, so I could spend my New Year's Eve with KAT-TUN.

That concert was very lovely. They looked the most beautiful in 2014. The set list was based on that of the arena tour named "come Here". But its production was reformed to match the scale of Kyosera dome.
When we welcomed countdown to 2015, we all in Kyosera Dome joined hands. KAT-TUN on the center of the stage looked happy and also I felt happy.
My beginning of 2015 was wonderful. I had hoped to spend New Year's Eve with KAT-TUN again.


However, now we have to start another "countdown" to spring, which means farewell with Junnosuke.
His decision to quite KAT-TUN and Johnny's surprised all Johnny's fans and maybe all Japanese. When I saw Best Artist and heard his announcement, I couldn't believe that. But seeing his serious expression and Kazuya's hand shaking, I understood this scene was real.


At beginning, I loved Jin. So when he quited KAT-TUN, I felt sad and thought KAT-TUN, which doesn't contain Jin, is not KAT-TUN. Sometimes I thought KAT-TUN something which lost the important piece. I had changed my most favorite talent, from Jin Akanishi to Tomoyuki Yara in 2008. However KAT-TUN is the first group that I found and decided to yell by myself. They have given me many precious memories and have made me Otaku. I love KAT-TUN as a members' home. So I have kept loving them, whatever happened to them.

And two years ago, they lost another important piece, Koki. I felt pretty sad, but they stood up again. KAT-TUN as a four members has tried to be ONE that doesn't seems the group which lost something. And I saw they has become the group like that. I have believed that I can watch them as it is. Maybe every fans of KAT-TUN has believed four members of KAT-TUN were going toward the same future. There was no doubt, till Junnosuke's announcement.


I have not accepted it yet, but I just see that I have to. What let me see that is Junnosuke's facial expression. He has the eyes which tells that he has decided. It didn't see hyphen at all. I had no choice except understanding what I have to do.
He doesn't tell us why he has to quite KAT-TUN, so I can't accept his secession. However maybe he won't tell it until he leaves Johnny's or he dies. No matter how desperately we persuade him to do, maybe he won't.

Of course I don't want to loose him. But we can't stop him. He said "Moving gear doesn't stop". The countdown has started just towards next spring.

第1回ジャニヲタダンス部詳細

大変お待たせしました!
第一回ジャニヲタダンス部開催のお知らせです!!

Twitterでは少し前にお知らせしましたが、ここで今一度詳細をお伝えいたします。


開催詳細

(日時)2016年1月11日 18~21時
(場所)都内を予定
(会費)スタジオレンタル料として~¥1000?
(持ち物)会費、動きやすい服装、踊りやすい靴、タオル・飲み物など適宜

会場は、参加人数が決まり次第それに応じてスタジオを予約しますので、現段階では未定です。
また会費につきましても、スタジオによってレンタル料が変わってきますので、会場が決まってからのお知らせとなりますので、ご了承ください。




そして気になる課題曲は~?



滝つ以下Jr.担経験者なら誰しも一度は目にしたことがあるであろう!





V6の名曲!








みんな大好き!










Can do! Can go!


本家の振りをよく存じ上げないのですが、今回は黄金期に始まり歴代のJr.に受け継がれてきた振り付けにチャレンジしていきます!

なお、事前に数人の方にご協力いただき振り起こしはほぼ済んでおりますので、「自分で映像見て覚えてきて!」なんて宿題はないのでご安心ください。
もちろん、予習する分にはいくらでもしていただいて構いません!


内容

・柔軟体操、アイソレーションを含む基礎練習
・Dance♬dance♬dance ♬
・もちろん休憩もとります!笑 他の参加者の方々とのコミュニケーションを楽しみながら参加していただければ幸いです♡
・最終的には動画なんて撮ってみたいな~と思ってます♡


参加資格について

ダンス経験の有無は問いません。また、わたくしとのTwitterでのフォロー関係の有無も、もちろん問いません。
踊りたいという欲望を少しでもお持ちの方でしたら、どなたでも歓迎いたします!

※18歳未満・中高生の方のご参加に関して、お問い合わせをいただきました。
開催時間が遅いので、解散も遅くなることが予想されます。また開催場所は恐らく繁華街になるので、ご家族の方にご心配をお掛けしてしまうことと思います。
ご帰宅までは運営側では責任を負いかねますので、保護者の方に同伴もしくは送迎していただけますよう、お願い申し上げます。


参加希望/お問い合わせ

参加をご希望の方は、取りまとめをしております、わたくしのTwitterアカウントへDMにてご連絡ください。相互フォローでなくても送受信できるよう設定しておりますので、FF外からでもお気軽にどうぞ。
※先述いたしました通り18歳未満の方は、保護者の方の同意を得ている旨を添えてご連絡ください。

またお問い合わせにも可能な限りお答えいたしますので、同様にDMにてご連絡ください。

全てのご連絡はこちらまで
→てぃーみき( @tea__miKi )


Twitterアカウントをお持ちでない方は、当ブログのコメント欄にて、一度お問い合わせください。
なお、コメント公開は承認制にしておりますので他の方に見られることはありませんが、個人情報の掲載はお控えいただき、まずはお問い合わせください。


募集締切:2015年12月20日
スタジオの確保のこともありますので、勝手ながら締切日を設けさせていただきます。ご了承ください。


ちなみに

第2回以降のジャニヲタダンス部運営を手伝ってくださる方も募集しております!
なにぶんわたくしがほぼほぼ素人なので、現在コーチとしてサポートしてくださっている方以外にも、経験者の方にはサポートしていただきたいと思います。

あの曲をみんなで踊りたい!
こんな練習がしてみたい!

そんな熱意のある方からの意見は常に取り入れていきたいです。ご興味のある方は別途お声かけください♬



皆様からのご応募、お待ちしております\(^o^)/

「ジャニーズJr.」の夜明け

先日、"MAD"の池田優くんの事務所退社を受けて下記の記事を書いた。


tea-miki.hatenablog.com


ここに記した言葉たちは、いけたんの退社以前から、正確にはおそらく米花くんの退社辺りから言語化され、自分のなかに渦巻いていたものである。いつかは形にしたい、しなければならないと思っていたものを、いけたんのことがあって半ば衝動的に書き上げた。
衝動的にとは言っても昨日今日思い付いたものではなく、この数年間屋良朝幸というタレントを見つめるうちに降り積もった思いで、本当に祈るような気持ちだった。数十年この体制でやってきたジャニーズ事務所が、ちょっとやそっとのことで変革するとは思っていなかった*1


しかし、そのほんの数日後、その時は静かに訪れた。

10月15日。
その日は朝から夕方までアルバイトが入っていて、Twitterは見ていなかった。昼過ぎに予定より早く上がり、まかないのチキンソテーを食べる前にいつものようにTwitterを開いて、初めて事態を把握した。

慌ててジャニーズwebを開くと、Artist listの中に、紛れもなく「屋良朝幸」の文字。震える手でそのページをクリックする。デカデカと現れる宇宙一かっこいい顔面に目を潤ませながら、単独サイト立ち上げに寄せて書かれた本人の言葉を噛み締める。

実は前日の定期更新を読んで、わたしは少し違和感を覚えていた。言いたいことがあるけど言わない、言葉にできないしきっと今はするつもりもないんだろうな、と感じさせる文面。こういうことはPZやSHOCKの稽古中の更新にもたまにある。主に演技やダンスの表現で壁にぶつかっているときにそうした文面になりがちなので、「何か悩んでるのかな?」と勘ぐってしまった。そして、最後に意味深な謎の暗号笑

その違和感の理由が翌日のこの単独化だったのか、とまずは納得。そして、あの日「まだスタート地点にも立っていない」とこぼした彼が紡ぐ「新たな一歩」という言葉。
これはただのサイト独立ではない。「ジャニーズJr.」という鳥籠に彼が挑み続け、ようやくその檻が壊れた。その独立を受けての、サイト独立なのだ。言葉にしていなくてもやらくん自身がそう考えていることはこれまでのメディアでの発言や今回の更新からもわかるし、自分だって同じようにこの時をずっと待ちわびていて、いま同じように晴れやかな気持ちでいる。同じ方を向いて着いてきて、今日わたしたちの夢がまたひとつ叶った。


もちろんやらくんだけではない。俳優という道を進んできた佐野瑞樹風間俊介、長谷川純ら、先日のブログに書いた「ジャニーズJr.の開拓者たち」も、このリニューアルを以て各々の単独サイトを持つこととなった。タイムリーに「ジャニーズJr.」を開拓してくれたのだ。該当担のみなさんには心からお祝い申し上げたい。My favorite artistに自担を選択できること、トップページに自担の写真がデカデカと表示されること。webを開くたびに誇らしい気持ちになる。



気分は、カードキャプターさくら最終巻ラストシーンのさくらちゃんである。伝われ。


今回のリニューアルで、上記の開拓者たちが名実ともに「ジャニーズJr.」の卒業を果たした。
しかし、これは体制が変革したに過ぎない。事務所は彼らの活躍のフィールドと立場を認めてくれた。それでも世間の風潮としては、歌って踊ってデビューするジャニーズにどうしても重きが置かれる。それがこの事務所が築き上げてきた「ジャニーズ」の、言ってしまえばステレオタイプなのだ。

これから彼らはパイオニアとして、「デビューだけがジャニーズの活躍の方法ではない」ということを、今度は事務所外にも見せつけていかねばならない。ドラマ・映画・舞台・ミュージカル俳優としての仕事で食べていっているタレントというポジションが用意された。彼らの活動が世間に知られ「こういう活動してるジャニーズもいるんだ~」という一般認知を獲得することは、ジャニーズ事務所がマルチ芸能事務所として機能し始めたことを世間にアピールする手段にもなる。これまでは「ジャニーズJr.」という鳥籠の中での立ち位置の問題だったのが、今度はジャニーズ事務所全体の中で外に向けた存在感が鍵になってくる。

やがては、デビューだけでなく俳優やダンサーを目指すJr.も出てくるだろう。彼らに続く俳優・ダンサー組が登場し、今回のジャニーズwebの改革のように、「ジャニーズJr.」の枠を次々に巣立っていくとしたら、Artisit listに次々に名を連ねやがてはデビュー組に次ぐ一大勢力になる日も来るかもしれない。もはや、「デビュー組」と「Jr.」という単純な区別ができない時代が始まっているのだ*2
生田斗真情熱大陸で「僕は後輩の道になりたい」と後輩であるふぉ~ゆ~を思ってした発言は、ふぉ~ゆ~にとってもファンにとっても胸の熱くなるものだっただろう。やらくんにも以前から、「異例のポジションにいるからこそ、誰も歩いたことのない自分にしか作れない道を作りたい」といった発言が見られる*3。他のパイオニアたちにそうした気持ちがあるのかは定かではない。しかし、彼らの活躍が自然と、今後のJr.たちの進路選択の幅と、ジャニーズ事務所のさらなる繁栄につながっているのは間違いない。



未来は彼らの背中に託されている。
ここが終わりじゃない、ただの始まりなんだ。
Show must go on.
ジャニーズの革命が、今始まる*4



追記
生田斗真さんは数年前にすでに単独サイトをお持ちであったこと、佐野瑞樹さんは外部にご自身のサイトとをお持ちであることをご指摘いただきました。わたくしの記憶違いと知識不足をお詫びして訂正いたします。申し訳ありませんでした。ご意見ありがとうございます。
・知人の佐野瑞樹さん担当の方より、サイトが独立したことは必ずしもメリットばかりではないというご意見を頂きました。佐野くんは既に独自の活動をしていらっしゃいますし、同じタイミングでサイトが独立したからといって一様には語りきれないと改めて感じました。ご意見ありがとうございます。

*1:Jr.情報局のリニューアルに4,5年かけるようなレベルだし。

*2:今後彼らがどのような枠で呼ばれるのかもひそかに楽しみなところ。

*3:あーーー好きーーーー

*4:BGM♪追憶の雨