STARMANN

眩しくて 手を振れば 遠く輝いて瞬く星座

初野外ライブ・富士急コニファーフォレスト遠征記録 後編「現地滞在レポ編」

「ミュージカル『刀剣乱舞』 ㊇ 乱舞野外祭」初富士急コニファーフォレスト遠征記録。前回は「事前準備編」をまとめた。今回は後編「現地滞在レポ編」として、細かい現地情報、持ち物・服装等をまとめる。
ちなみに私が現地に滞在したのは9/17~9/19の2泊3日、参加したのは9/17と、9/18の2公演だ。

現地に行ってみて

まずは現地の環境編。特筆すべき注意点に絞って列挙しておく。

高速めっちゃ混む

今回は公演初日に向かった上に、世間は3連休の中日。高速めっちゃ混んだ。
10時半発、13時ごろ着の予定が、到着したのは14時半。1時間半押しである。開演が16時半なので余裕で間に合いはしたのだが道中はハラハラしたし、同じバスの乗客もほぼ全員初日に入るおたくだったので車内みんなハラハラしてた。

面倒だったのはグッズの取引だ。バスの中で譲渡ツイートを検索しまくり現地に着いたら目当ての物はすべて買い取れるよう手配、取引相手にも到着予定時刻を伝えたが、渋滞にはまり到着時間が読めなくなり…待たせてしまうのが申し訳なく、現在地から到着予定時刻を読んでマメに連絡を入れるようにした。
幸い取引相手もみなさんいい方ばかりで、ご迷惑をおかけしたにもかかわらず「大変でしたね」と労わってくださった。その節はありがとうございました。刀ミュのおたくは優しい社会人が多く、取引はスムーズでいつも助かる。

富士急~コニファーまでが地味に遠い

会場となるコニファーフォレストは富士急ハイランドの敷地にあり、富士急ハイランド自体は目の前に駅があるため駅チカに見えかねないが、これは大きな誤解である。そもそもコニファーはパークそのものからはかなり離れている上に、パークとの間には横町バイパスが通っておりドーバー海峡並みに分断されているので、同じ敷地内とは思えないほど歩かされる。

駅はパークの北東、コニファーフォレストはパークを挟んで南西に位置しているため、 コニファーは駅から最も遠い場所に位置しているのだ。駅からパーク内を通って向かうとなると、駅側入園口~コニファーに近い南側入園口までわき目もふらずに歩いて15分、南側入園口~コニファーまで更に15分と、正味30分はかかる。パークに入らず外側をなぞるように歩くこともできるが、これにも20分。駅から徒歩20~30分かかる会場となると、あのサンドーム福井ばりのアクセスの悪さだと思ってよい。

トイレ問題

パークから遠いことによる弊害の代表がトイレ問題である。

事前情報で、会場付近のトイレは仮設で夏場に使うには結構きついと聞いていたため、今回ははじめからノーカウント。それ以外ではパークとコニファーの間の駐車場にトイレがあるが(ドーバー海峡よりパーク側にありあまり会場に近いとは言えない)仮設トイレを避けた客が詰めかけるためかなりの混雑のようで、こちらも結局使わなかった。

ここでひとつ裏技。今回往路はたまたまトイレ付のバスを取っていたため、到着前にバスの中でトイレを済ませることができたのだ。これが地味に大きかった。炎天下で長時間並ぶこともなく、虫の舞っていないトイレを使える。高速バスで現着してそのまま公演に参加予定なら、トイレ付きバスはかなりおすすめである。

2日目は富士急ハイランド内でコラボフードなどを楽しんでからコニファーに向かったため、パーク内のトイレを使用。パーク内で一番コニファーに近いトイレは南側入園口付近のFUJIYAMA横にあり、個室数も多かった。ただし同様にパーク内でトイレを済ませたい審神者も多く、こちらも結構並んだ。16時前に並び始めたが、トイレを済ませてからパークを出て会場に向かい、席に着いたのは開演時間ぎりぎりだった。

電波問題

当たり前だが、山の中のためどこも電波があまり良くない。コニファーフォレスト付近はイベントに合わせて中継車が来ているためか意外にも電波状況は良かったが、富士急ハイランドのパーク内はかなり悪い。そのため、パーク内で遊びながらグッズ取引の連絡をしようにも、なかなかDMを送れないという状況だった。*1グッズの取引は連絡のやり取りも含めて会場付近で行うのがよいだろう。



持ち物

前回も書いたが、野外フェスのようなイベント参加経験はこれまでほとんどなかったため、すえひろがりに行くミュ審神者で、豪雨の野外フェス経験済みのおたくのTwitter(X)情報や、コニファー経験者の話から情報を集めまくり悪天候を想定して準備したが、実際は天気に恵まれ使わなかったものが多かったので、使ったもの、使わなかったもの、持っていかなかったけど欲しかったものに分けてリスト化していく。

財布やチケット等の貴重品以外で、手荷物に入れていたものはこちら。

使ったもの・あってよかったもの

⬛︎フード付きタオル・シュシュ

宿で使うバスタオル用にキャリーに入れていったが、初日の午後に現着した際「この陽射しは危険なやつだ」と察知し、2日目からは手荷物に抜擢。

当たり前だが、太陽が近い。滞在中はずっと晴天で太陽が陰ることもほとんどなかったので、素肌を晒しているとジリジリと焼かれる感覚がたしかにあり、日焼けどころか火傷の危機を感じた。「ちょっとでも肌を晒したら死ぬ」と思ったので園内では常にキャップの上からタオルを被り、頭、日焼け止めを忘れがちな耳・首、腕までオールカバー。帽子と日傘も持っていたがいずれも多少の隙があるので、フード付きタオルしか勝たん。こんなに使うなら事前にグッズのタオル買えばよかった…

フード付きタオルと併用して意外と役に立ったのがシュシュ。フード付きタオルにはボタンや紐で前を閉められるようになっているものも多いが、デコルテの防御が手薄になりがちである。私の持参したものもボタンの位置が端過ぎて首やデコルテを覆えなかったので、シュシュで前をキツキツに結んでデコルテをフルガードした。
ちなみにシュシュは幕末のグッズで出たもので、堀川概念をプラスしたくてなんとなく持って来ただけだったが、めちゃくちゃ役に立った。

ついでに、会場内の陽射しについて。

会場であるコニファーフォレスト内では日傘を差せない上に、日中はほとんど日影が無い。今回は全公演16時半開演で、16時を過ぎると日が傾いて日影が増えてくるが、15時台に入場すると恐らくゴビ砂漠状態だろう。私は16時以降に入場したが、そのときの日影具合をメモしておいた。


16:00 後方1/3は日影。前2/3は完全に日向で陽射しが痛い。


16:15 後方1/2あたりまで日影になってくる。


16:30 前方1/3のみ日向だが、かなり日が傾いているので痛いほどではない。トロッコを見ようと後ろを振り向くと西日で目がやられる。


⬛︎サングラス

やはり太陽が近いので、眼への負担が気になる人はあるといい。また上記の通り開演直後は後方から西日が射すので、すぐ後ろに推しがいるのに振り向いたら西日で何も見えない…という事態にならないためにも、あったほうがいい(推しからどう見えるかは考えない)


⬛︎フェイスタオル(1日1枚)

これは過去グッズのタオル。日中はかなり暑く1日中外にいるともちろん大量の汗をかくので、1日1枚はがっつり使う。推しが複数いるのでタオル複数枚持っていっててよかった!


⬛︎ハンディファン

今回の遠征に限らず、もうこの子なしでは真夏に外を歩けない。ちなみに私が唯一持っていてずっと愛用しているのはKAT-TUNのツアーグッズで、風量を3段階に調整出来て、卓上でも使えるようにスタンドも付いている。かつんのグッズはお洒落で高機能で普段使いもできる。ありがとうKAT-TUN、愛してる。


⬛︎虫よけブレスレット

www.kincho.co.jp

気休めだと言っている人もいるが、私はあり得ないほど効いたと思う。

開演前からブレスレットを装備してのぞんだ初日、目の前のお姉さんの周りをでかめの虫が飛んでいて煩わしそうだったが、私たちのところに飛んでくることは無かった。
二日目「今日は虫がくるな…」と思ったところでブレスレットをしていないことに気づき急いで装着したところ、ぱったりと虫が来なくなった。おまけにいい匂いがするので己の汗臭さをごまかして爽やかに公演を楽しむことができる。

信じるか信じないかはあなた次第


⬛︎休足時間

宿の大浴場でしっかりお風呂につかり、休足時間。園内を歩き回った翌日でも、このコンボで完全復活を遂げられた。

余談だが、すえひろがりの前の週に行ったスキズのライブはMCとIntermission以外はずっと立ちっぱなしで、翌日めちゃくちゃ足が痛かった。その経験があったので脚のケアのことを真剣に考えたのだが、刀ミュは客席降りがあるため座らせてくれるシーンが多いことも翌日の疲れが少なかった理由のひとつのだろう。


⬛︎酔い止めトローチ

www.eisai.jp

高速バスだけではなく宿~会場までの行き来も車や路線バスのため、乗り物酔いしやすい身には必須オブ必須。直前にコンビニで調達したトローチタイプを持参したが、乗る直前に舐めはじめてもよく効いた。おかげで高速バスの中でひたすらグッズ譲渡ツイートを検索していても全く酔わなかった。

使わなかったもの

⬛︎日傘
フード付きタオルしか勝たん(2回目)
会場内では傘は差せないし、園内を探索する際も、炎天下のコラボフード列に長時間並んだり写真撮影でスマホを構えたりと両手が空いた方が楽な場面が多く、結果として日傘はほとんど使わなかった。


⬛︎レインポンチョ上下、撥水ジャケット

野外ライブ最大の懸念点といえばだが、今回は完全に杞憂に終わった。よかった~~~!でも一応用意したものをメモ。

荷物を背負った上から着られるのでポンチョがいいという野外経験者の意見を取り入れ、家にあったポンチョを持参。足元ノーガードだと大雨にあたったときが怖いので、チャックで開いて靴を履いたまま履けるレインパンツを別途ベルメゾンで購入。求めていたタイプのレインパンツがちょうどセールになっていたため、格安でゲットできた(販売終了しているようで商品ページ見つからず)

これとは別で、家族が持っていたモンベルの撥水ジャケットも持参した。レインコートを着るほどでもない小雨の時はこちらを着ようと思っていたが、1滴も降らなかったのでやはり使わず。


⬛︎ビニール袋類

荷物をまるごと入れられるごみ袋×2,3枚、レジ袋数枚、ジップロック大小×10枚くらい。主に雨天時に荷物の浸水を防ぐためのものだったので使わず。ゴミ袋は、地面に直接荷物を置くのが気になる場合は有用だが、コニファーは地面が土ではなくコンクリートなので必須というわけでもない。

ただしレジ袋は、使い終わった汗拭きシートや園内で飲み食いした後のゴミなどをまとめておくのには重宝した。


⬛︎着替え

ガチの大雨に備えて、ロンT、ズボン、下着と全身一式を圧縮袋に入れ持参。2日目も降りそうになかったので、手荷物から外し宿に置いていった。

しかしあの会場、豪雨に降られて着替えるにしてもどこで着替えればいいのか…会場前の公衆トイレは散々らしいので使いたくない。考えていたのはふじやま温泉に逃げ込むこと。お迎えの待ち合わせ場所からも近かったため、豪雨&極寒に見舞われた場合は一旦温泉で温まろうかとも思っていた。でもいざその状況になったら、きっとみんな同じことを考えて温泉に直行するだろうな…着替えるだけならおそらく自家用車勢しか勝たん。

欲しかったもの

⬛︎アームカバー

ガチで欲しかった。長袖シャツにフード付きタオルで直射日光を浴びることは避けられたが、アームカバーがあればもっと快適だったかもしれない。とはいえ根本的に日中は気温が高いので、実際に付けたら暑そうではある。

服装

昼夜の寒暖差が大きいということだったので、脱ぎ着して温度調節できるようにシャツを羽織るスタイルをベースに、Twitter(X)で情報収集し評判の良かったものを抑えた。ワークマンが本当に優秀。スタイリッシュで安くて強い。

⬛︎ワークマン撥水スキニー

WEM112 レディースウィモーション撥水レギンスパンツ | ワークマン公式オンラインストア
雨に降られた場合は足元の冷えが怖いので、撥水加工のボトムスを狙ってワークマンへ。園内ではかなり歩くだろうし、上からレインパンツを履くことを想定し、スキニーを購入。購入後試しに水をかけてみたところ撥水はバッチリで、ユニクロのレギパンほどではないにせよデニムよりはストレッチも利いて、当日も快適に過ごせた。


⬛︎モンベル速乾インナー

webshop.montbell.jp

これもX情報を元に買い求めたもの。今回用意した野外向け装備の中でこれが一番高い。ガチでよかった…!

一日中炎天下の屋外に居ても汗による不快感は全く感じず、日が落ちて涼しくなってからは身体が冷えることもなく快適に過ごせる。値は張るけれども、「快適に過ごしたければインナーに金をかけろ」という有識者の言葉を信じてよかった。


⬛︎トップス:ノースリ+羽織シャツ

先述の通り、着脱できるスタイル。ほとんどシャツ着っぱなしだったけれど、昼間はさすがに暑かったのでシャツを脱いでノースリ+フード付きタオルでも過ごした(フード付きタオルしか勝たん)(3回目)

メンカラが白の推しとほぼ黒ずくめの推しに合わせて、白シャツと黒のシアーシャツ。黒のシアーシャツはもともと持っていなかったが、着ている人を電車で見かけて「ミュ水心子概念…!」と思ったのでわざわざ買った。普段からモノトーンを着がちなので、白(または紺)の推しと黒の推しは大変助かる。


⬛︎厚底スニーカー

コニファーと翌月のスキズ東京アプグレ(アリーナ確定)のために、3センチくらい盛れるPUMAのスニーカーを購入。白地に紺・赤が入っている堀川概念スニーカーに出会ってしまって即決。メッシュ生地ではなく雨にも強そうで、更に撥水スプレーをぶっかけた。

履き慣れていない靴で遠征して失敗した過去があるので(これもらぶへす2018)事前に何度か履いて慣らした。若干ハイカットなので、初めて履いたときは足首えぐれるかと思った…柔らかくしたうえで、当日はスキニーの裾をINして履いたらかなり快適だった。

6528 レディース防水サファリシューズ | ワークマン公式オンラインストア
スニーカーとは別に、Xで評判だったワークマンの防水サファリシューズも購入。ただ、履き慣れないレインブーツで遠征しかも山に行くのは抵抗があり、前日の時点で雨予報も出ていなかったので持参せず。すえひろがりでは出番は無かったが、翌週に行ったディズニーランドで豪雨に見舞われた際に大活躍した。

固めの素材だが、クッションの利く分厚い中敷きを入れればかなり歩きやすく、水たまりができるレベルの大雨でも一切靴に浸水せずに済んだのでこれもかなり優秀。

天気

1週間ほど前の時点で私たちの滞在期間(9/18~9/20)はどの日も晴れ予報。気温は20~29℃、降水確率は20~30%。前日の時点でも晴れ予報はぶれなかったため、レインシューズは装備からも荷物からも外すことに。
当日の現地はたしかに寒暖差はあったが、夜めちゃくちゃ寒いというわけでもなかった。昼は30℃前後、夜は20℃前後で、ノースリーブに薄手のシャツで一日過ごせた。

予報では関東地方の一部を除き全国でゲリラ豪雨の可能性はあるとのことだったが、この時期、ゲリラ豪雨のリスクがあるのは全国どこにいても同じだろう。これはお世話になった宿の方に聞いた話だが、あのエリアはゲリラ豪雨は少ないのだそうだ。

さいごに

初めて行く土地、しかも山の中で、ほぼ初めての野外ライブ。おまけに近年は秘めたる雨女の力が遠征限定で解放されることが多く非常に不安だったが、準備を進めていく中で不安要素を極力排除していき、結果的に当日は思いっきり楽しむことができた。遠征経験値も上がったように思う。

ただし、これも天気に恵まれたイージーモードだったからこそであり、実際に同公演期間中雨天で決行された日もあった。自分が雨天にあたっていたとしたら、あの装備で十分だったのかはわからない。それでも、自分の不安を解消できる程度には用意をしたので、もし今後また野外公演にのぞむ際は今回の装備を流用できるだろう。とはいえ、できれば雨天公演参加経験値は一生上げたくない。

思い出深い楽しい遠征になって本当に良かった!

*1:超局地的な情報だが、忍びの里エリアの駅に近い方の入り口(あうんの門ではないほう)付近が比較的電波が入りやすかった。

初野外ライブ・富士急コニファーフォレスト遠征記録 前編「事前準備編」

随分前の話になってしまうが、

「ミュージカル『刀剣乱舞』 ㊇ 乱舞野外祭」

むっちゃ楽しかったあああああああ!!!

という感想を語り始めると止まらなくなるので、本編と感想には一切触れない。本ブログでは、いつかまた何かの現場で彼の地を訪れることになった時のために、今回の遠征の準備と経験を2回に分けて記録しておく。

富士急滞在中は常にお天気に恵まれ、現地で関わった方々もいい方ばかりだったおかげで困ることもほとんどなく、結果としてはめちゃくちゃ運が良かった。しかし、それまでの私のスペックはこんな感じ。

  • 富士急未経験。もちろんコニファーも未経験。
  • 野外ライブは何度か経験あるものの、どれも市街地のスタジアムで晴天。
  • 遠征はほとんど新幹線・飛行機移動で、高速バスはほぼなし(乗り物酔いしやすいため)

おわかりいただけただろうか、この心許なさ。遠征や旅行は計画立てて不確定要素を極力排除して行きたいタイプだが、今回は全部ほぼ未経験+不確定要素が多い環境ということでかなり心配だった。野外現場・初めての土地への遠征において特に心配だったのは天気、移動手段(地理)
今回の遠征計画において最も重視したのは、排除しきれない不確定要素に対していかに対策を講じておくかということだ。

今回は「事前準備編」として、宿・移動手段の手配と、ライブ応援グッズの防水対策についてまとめる。

宿・バス手配

オフィシャルツアーに敗北する

4月24日:オフィシャルバスツアー・宿泊プラン販売決定
公演5か月前、出演者が発表になった段階でオフィシャルバスツアーと宿泊プランが販売されることが同時に発表された。通常の遠征なら、日程が発表されたら自分たちの旅程を決めチケット申し込みより先に宿を抑えるところだが、「グッズ付きのオフィシャルツアーがあるならぜひそれで行きたい!」ということでこの段階では動かなかった。

後々のことを考えれば、保険をかけて自力で先にホテルを取っておくべきだった…
付近の宿は公演期間発表から日が経てば経つほど埋まっていく。加えて元ホテルスタッフ目線で言えば、イベント事が決まると付近のホテルは遠征客からの需要が高まるため料金が爆上がりしやすい。「なんかこの日予約増えてる!近くで何かイベントがあるんだ!料金上げよう!」とホテル側が気付く前に予約するのがベストなのだ。今回も公演2か月前には、すえひろがり期間内の富士急周辺のホテルは満室か、高級温泉旅館クラスの料金の宿しか空きが無かった。

7月3日:オフィシャルツアーのプラン発表
正直この段階では詳細はほぼわからなかった。ホテル送迎付き宿泊プランもあることはわかったが、そもそもどのホテルに連れていかれるのかもわからない程度の内容なので、事前に「行きのバスは○○発のこの便で、ホテルはここを狙おう」といった目星もつけられない。バスツアーの料金はわかっており当然ながら普通の高速バスよりも割高だったため、バスツアーは諦め、宿泊プラン予約一本に絞りチャレンジしようということで同行者との話はまとまった。

7月8日:公演チケット当落発表
今回はいつものツアーのような都市開催ではなくおまけに野外ということもあってか、チケットはかなり取りやすかった印象。真剣乱舞祭2022は最速先行全滅で絶望したものだが、今回は外れている人をあまり見かけなかった。実のところ、今回はチケットより宿と足を確保する方が大変なのだとわかるのは、この2日後のことである。

7月10日:オフィシャルツアー予約開始
1週間前のプラン解禁ではほぼ全く全貌の見えなかったプラン内容が、予約開始と同時にHPで発表される。

ここからは公式への愚痴。今回のオフィシャルツアー以外の通販等何にでもいえることだが、ラインナップの詳細発表と販売開始を同時にするな。
先述したように、事前に詳細まで発表しておいてくれれば品定めした状態で購買戦線に挑めるが、販売開始と同時に詳細発表ではそれができない。更に、この手のネット通販では販売開始と同時に多くのユーザが一気にHPに押し寄せあっという間に鯖落ちするのが常である。そうなってしまうと、ラインナップを見ることすらできない。1週間前に解禁した情報なんぞほぼほぼ意味が無かったのだ。

そんなわけで、ようやくプラン詳細が見られるようになって目星をつけた頃には、該当の日程は全ホテル満室。見事にホテル争奪戦には敗れた。

宿、会場~宿の移動手段の手配

もうこうなったら自力で宿を抑えるしかないのだが、先述の通り、富士急周辺の数少ないホテルは既にどこも満室。空いていてもかなり割高か、会場から離れた山奥にある。オフィシャルツアー争奪戦に敗れた時点で宿探しを始め、かろうじてバスを乗り継いで移動できそうな場所で破格の宿を偶然見つけて抑えたが、この時点では暫定的だった。

そもそも、私がどうしてもオフィシャル宿泊プランを抑えたかった理由の一つが会場~宿の間の移動手段を抑えるためだった。市街地ならまだしも、初めて行く土地の山道を女性だけで夜遅くに歩くのは無理がある。ここが大きな不確定要素だった。

「それならタクシーを使えばいい」と思われるだろうが、私に言わせればタクシーで不安要素を補うことはできない。

2018年の乱舞祭の時のことだ。初日の会場はサンドーム福井だった。あそこは最寄駅の鯖江からかなり歩かされるので、終演後も多くの客がタクシー乗り場に並んでいた。
しかしそこは福井。東京のように次から次へとタクシーが来て客を回収していくなんてことは無く、そもそもタクシーの台数が少ないため長蛇の列に対してタクシーが足りないのだ。体感としては10分に1台くらいのペースである。下手したら同じタクシーが会場と鯖江を往復し続けていた可能性すらある。
まったく進まないタクシー列に並んで1時間ほど無駄に過ごした記憶がある(多少話盛ってるかもしれないけど、日本海側の11月はそれなりに過酷だった)

富士急は観光地なのでそこまでではないかもしれないが、地元のタクシー事情が分からない以上、同様の事態を想定するとタクシーに移動手段を頼るのは不確定要素への保険としてはやはり弱いので、極力使いたくないのだ。


しかし、これは本当にラッキーでしかないのだが、暫定的に抑えた格安の宿が観光地への無料送迎サービスを行っており、ダメもとで聞いてみたところ終演後の会場へのお迎えを快諾してくれたのだった。これで宿に加えて会場と宿の間の移動手段も確保。一向に来ないタクシーを待ったり山道を歩いたりする心配がなくなり、心底安堵した。

お世話になったのはご夫婦で営まれているペンションで、メールや電話で送迎の打ち合わせをしていただいた他にも、より宿泊費を安くするためにGO TO利用を勧めてくださったりと、とても良くしていただいた。お宿自体にも朝食サービスや貸し切りで利用できる大浴場まであり、大変快適な滞在だった。また富士急に行くことがあればぜひ利用したい。本当に感謝…今後予約が取れなくなると困るので、一緒に遠征する友達か現場が被らない友達以外には教えないことに決めている。

高速バス手配

こうして宿、会場→宿の移動手段は無事確保した。あとは富士急への高速バス移動だ。

公式アプリ経由 往復バス+富士急ハイランドフリーパスセット

少し調べると、富士急ハイランドの公式アプリで往復バス+富士急ハイランドフリーパスのセットが、1か月前から買えることが分かった。販売開始日になった瞬間にアプリで残席を確認したが、みんな考えることは同じなようで公演初日の東京駅発の便はあっという間に完売。公式アプリからの手配も諦めることとなった。

後になって気づいたのだが、富士急ハイランドはアトラクションに乗る際にチケットもしくはフリーパスが必要になるが、入園自体は無料だ。私も同行者も絶叫系は得意ではなくアトラクションに乗る意欲はほとんど無かったため、実はフリーパスすら不要だったのだ。下手に買わなくてよかった。

高速バスネット

公演初日分のフリーパスセットがほぼ完売した時点で、購買戦線にあぶれた人たちが高速バスネットに照準を定め直したようで、こちらもちょっとした争奪戦が起こっており、同行者と同じバスは取れたが隣同士の席にはできなかった。渋滞に巻き込まれる可能性があるので、時間に余裕を持って開演3時間半前着予定の便を抑えた。これ以上早いと朝弱々の民には辛い。尚、争奪戦に参加したのは往路のみで、帰りは平日の夕方発の予定だったため1週間前でも余裕で2連番で取れた。

しかも高速バスネットで取ったこの往路のバスが、幸運にも刀ミュコラボバスだったのだ!




乗客もほとんど審神者だったので乗車列を作りつつみんな撮影しており、テンション爆上がりの出発となった。オフィシャルツアーではこのバスには乗れないらしく文句を言っている人も見かけたが、あの予約戦線に敗れて自力で手配してるんだからこれくらいのご褒美は許してほしい。


最終的には宿、会場と宿の間の移動手段、高速バスを、最安値且つ極限まで不確定要素を排除する形で手配することができた。
オフィシャルツアーはグッズが付くといった特典はあるもののやはり全体的に割高で、ホテル送迎に関しては時間的制約も大きいので(終演後1,2時間以内にバスに集合しなければいけない、早朝にバスに乗せられ朝一のコニファーフォレストに置いていかれる等)結果的には自力手配が最良だった。もちろん、自分でそこまで手配できないという人にとっては、もろもろの手数料込みでオフィシャルツアーも有用だと思う。販売方法はもっと考えてほしいけど。

応援グッズ防水対策

野外ライブの大きな懸念点といえば、雨天時の各種防水対策だろう。前編では特にうちわ・ペンライトといった応援グッズの防水対策について記録する。

うちわ

団扇の防水対策については、タワレコのうちわケース(片面がつや消しのもの)と、同じくタワレコのうちわ用PP袋を併用。

タワレコ うちわキャリーケース
うちわケースだけで十分という声もあったが、商品説明には「完全防水ではない」と書かれている。上部が防水仕様ではないただのチャックなので、ガチの大雨になったら間違いなく浸水するだろう。更に1枚あたり800円するので、何枚も団扇を持ち込むタイプのおたくには結構高くつく。

タワレコ うちわ専用PP袋(10枚入り)登場! - TOWER RECORDS ONLINE
その点、タワレコのうちわ用PP袋は10枚入りで660円と非常に安い。面だけではなく柄まで覆うことができ、糊も付いている。閉じ方を工夫すれば防水対策としては心強そうだ。

最終的には、一番よく使う最推し2振り分のうちわはPPの上から更にケースに入れ、それ以外はPP袋のみとした。PP袋は上部が四角くなっているためケースに収まるように、写真のように上部に切り込みを入れ折り込んでうちわの形に沿わせるようにした。


最推しのうちわを二重にカバーしたした理由としては、こだわって作っていたりたくさんファンサをもらったりした思い出たっぷりの大切なうちわなので絶対に濡らしたくないということと、つや消しカバーによってPP袋表面の反射を防ぐ目的がある。

刀ミュのうちわルールとして、反射しやすい素材はNGとされている。しかし100均などで売られているうちわカバーはほとんどが表面がつるつるで、つや消し素材のものはタワレコくらいでしか見つからなかった。この防水・反射対策を通して、近年の推し活ブームでこうした商品が充実してきているのは有り難い一方、あともう一歩踏み込んで現場の実情を知ってほしいと思った。

ここまで準備したが、結局雨には一切降られず、つや消しケースは全体的に文字がぼやけてしまうので、2公演めの途中でケースもPP袋も外してしまった。

余談だが、うちわをケースに入れたことで多少雑に扱っても壊れないという副次的な利点もあった。特に今回は雨対策のためのレインコートなど、いつもの現場より荷物が多くバッグの中がぐちゃぐちゃになりがちだったため、文字がはがれる心配をせずにうちわをバッグに突っ込めるというのはそれだけでストレス軽減になった。せっかく買ったので今後も活用しようと思う。


ちなみに、コニファーが広すぎてうちわ持って行っても無駄かと思われたが、結果:大優勝!

今回は客席降り・ミニステージ・フロート全部ありだったため、後方ブロックでも男士たちが近くに来てくれた。フロートもかなり高さがあるので、埋もれでもちゃんと姿は見える。
そしてさすが野外、陽があるうちは客席が明るくキャストからもよく見えるので、埋もれでもうちわがよく見えている様子だった。ミニステージや通路から距離のあるブロックど真ん中でも、横のミニステージに来た子に向けてうちわを見せていればしっかり反応してもらえた(いまちゅるちゃんスペックなので全員に可能というわけではない)

ペンライト

最後にペンライトについて。防水対策として、野外経験者の友人から100均のキンブレケースをもらった。結局使わなかったが、鍔()部分が六角形になっている刀ミュ本公演のものも普通に入った。

祭りの変形型や最近流行りのハート型のものはちょうどいいケースが無いが、普通にジップロックでもいい気がする。



事前準備編はここまで。持ち物・服装も野外公演に向けて準備したが、現地での使用感を含めて後編の「現地滞在レポ編」に掲載する。

正直宿と移動手段の手配が一番大変で公式への鬱憤もたまり、一方現地滞在中は常に快晴で過ごしやすかったため、後編はかなりイージーモードな内容になるだろう。それでは!

罪に殺され愛に生かされる男、ニース・ヤング~『ダーウィン・ヤング 悪の起源』

数年ぶりに広くんの作品についてブログを書けるだけの言語化が済んだので筆を取ったら、記事2本分になってしまった。ということで、今回は『ダーウィン・ヤング 悪の起源』の感想と考察<ニース・ヤング編>。書く書く詐欺しなかったので褒めてほしい。

前回のブログで、ダーウィン・ヤングの世界観と作品テーマについて私なりにひとつの結論をまとめた。
tea-miki.hatenablog.com
今回はその内容を前提・下敷きにしてニース・ヤングという人物を掘り下げていくので、先に前回の記事を読んでいただいたほうが「こいつ何言ってんだ」と思う頻度が2割減くらいにはなると思う。加えて前回の記事同様、日本版ミュージカルだけではなく原作小説と韓国版原曲の歌詞を踏まえた内容になっているのでご了承いただきたい(後半にかけてIQが急下降するのでそれもご了承ください

ニース・ヤング

罪に殺された少年

ニースは16歳の時、自分の父が12月革命に参加した元反乱分子であるということを親友・ジェイに暴かれ、自分のルーツに関わる父の秘密を守るためにジェイを殺害した。

大人になったらこの怪物は死ぬと思っていたのに
その時間の中に閉じ込められている
僕はこの瞬間も16歳
大人になれない


韓国版原曲『地下室の怪物』より


ニースの台詞にも「僕の人生は16歳で終わってしまった」とある。なぜ彼の時間は16歳で止まってしまったのか。


「青い空」との突然の別れ

大人になることとは、純潔で平等な子供の精神を利己的精神=大人の精神が淘汰していくことだと、前回の記事で結論付けた。そもそも純潔で平等な倫理観の喪失とは、何も殺人のような決定的なものには限られない。子供の頃は考えもしなかった悪いことをしたり、逆にいいことをできなくなったり、大人になれば誰もが経験したことがあるだろう。電車で人に席を譲ろうとしても「断られたら恥ずかしい」などと考えて動けなかったり、ジェイとバズのように、人に嫌味やいじわるを言ってしまったり。それは経験からくる自己防衛とも言える。大人の精神を獲得するとは本来そんなことでよかったのだと思う。

ニースとダーウィンの場合、それが殺人という極端なものになってしまった。もしかすると、彼らは純粋すぎたのかもしれない。

ジェイは、「入試にわざと失敗した」と見栄を張るバズを疑っており、一方のバズはジェイの家庭の事情を知り、弱みを握ったかのように嫌味を言っていた。16歳ならこれくらいの嘘や疑い、邪心を持っていておかしくない。
だが、ニースはどうか。彼はバズの嘘もジェイの嘘も信じており、なんなら大人になった今も、ジェイは自らの意志でプライムスクールを辞退したと信じている。ジェイは幸運に恵まれていて何不自由ない人生を送っていたと思い込み、彼が心に闇を抱えていたことすら知らずにいる。ダーウィンダーウィンで、階級制度の在り方に純粋な疑問をぶつけたりするところは、自分の出自を鼻にかけるクラスメイトとは違った素直さが見て取れる。

彼らはあまりにも純粋すぎたのだ。16歳になるまで、先に述べたような小さな悪事や罪悪感に一切関わったことがなかったのかもしれない。だからこそバズやジェイのように、秘密を知られてしまった相手の弱みを握り返してやり返すという方法を知らなかった。

『プライムスクール』の表現を借りるなら、本来なら人間は大人になる過程でだんだんと「青い空」から遠ざかっていくのに、ダーウィンとニースは、青い空の下を無邪気に駆ける時分に決定的な罪を犯したことで、そんな自分の世界とにわかに決別し「濁った空」の下を歩まざるを得なくなったのだ。


友との絆

ニースとダーウィンは、自分の家族の人生を覆しかねない秘密を守るために殺人という罪を犯した。ダーウィンの場合、それによって自身の純潔な倫理観を利己的精神が淘汰し、大人の精神を獲得するに至っているが、ニースは未だ純潔な倫理観を持つが故の罪悪感に囚われ、大人の精神を獲得できずにいる。両者の違いは何なのか。

それを解き明かす鍵は、他ならぬあのフードにある。なぜニースはフードを捨てなかったのか。これを疑問に思った人は多いだろうし、明確な理由は語られていない(と思う。見落としてたらごめん)が、私としてはなぜ捨てなかったのかは正直問題ではない。重要なのは、フードがニースにとっての何なのかである。『怪物』の曲中、ジェイの幻影がニースに向かって言う「フードは僕との絆(呪い)」というのがそのままこの答えだと私は考えている。

それでは、ダーウィンの場合はどうか。
原作では、レオが骨董品交換会でダーウィンにあげるのは遊園地の期限切れのチケットだった。その後しばらく登場しないが、物語終盤、クリスマスの休暇前に寮の片付けをしていた際ポロッと発掘されたそれを、ルミに憧れるきっかけとなった彼女の写真と併せて、ダーウィンが大事にポケットにしまう描写がある。ところが、レオのお葬式で、ポケットに入れたままになっていた写真とチケットを見つけたダーウィンは、チケットをあっさりと捨てて地面に踏みつける。そばで見ていたルミが思わず顔を顰めるほど杜撰な扱いだったという(ちなみにルミとはこの時から付き合い始める) つまり、チケットはレオとの絆だったのだ。

フードとチケット、二つのアイテムに象徴されるそれぞれの友との絆を断てたのかどうかがダーウィンとニースの最大の違いである。子供の頃の純潔な倫理観を捨て親友との絆をも断ち切ったダーウィンは罪悪感から解放され大人への一歩を踏み出し、フードを捨てられなかったニースはジェイとの絆を断つことができないまま罪悪感の牢獄に閉じ込められているのだ。


育たなかった大人の精神

ジェイを手にかけるまさにその時のニースの目には一切の迷いも苦しみもなかった。前回のブログで述べたように、この時のニースの中には利己的な精神が芽生えており、別人格に操られるようにして犯行に及んだのだと私は見ている。ダーウィンの場合は、最終的にこの利己的な精神が純粋な精神を淘汰し大人の精神へ進化しているが、ニースは純粋な精神と罪悪感を持ち続けているが故にこの利己的な精神が育たないでいる。もしくはこの利己的精神そのものが彼の言う「怪物」で、自己の中に芽生えた「怪物」をフードに宿るもののように見立てて地下室に閉じ込めて封印しようとしたせいで、彼の大人の精神は育たず、16歳の純粋な精神のまま罪悪感を捨てられなくなったのかもしれない。

いずれにせよ、淘汰されるはずだった16歳の純粋な精神だけが、まるでゾンビのようにニースの中に残ることになった。まさに「生きながらにして死んでいる」状態になったのだ。『怪物』のシーンで彼はフード(に宿った怪物)に向かって「ジェイが死んだ日にお前も死んだんじゃないのか?」と問うが、死んだのは子供の精神であり、利己的な大人の精神を獲得しない限り怪物は何度でも蘇るのだ。*1


ネクタイの意味

ニースはほとんどのシーンでスーツにネクタイを締めている。おかげさまでビジュアルが最高によいということを抜きにしても、ネクタイは本作の重要アイテムである。


身分の象徴と自覚

「私はネクタイを締めたことがない」というラナーにニースは「あなたはそんなことが自慢ですか?」と大げさに噛みつき、ラナーと初めて会ったジェイは「第一地区でネクタイを締めていない大人を見たのは初めてだ」とも言っている。鏡の前でフードを羽織ったニースが「ネクタイや肩書で誤魔化しても、お前にはフードがお似合いだ」と呟いていることからもわかるように、ネクタイには上流階級の証や自覚といった意味があるのだ。

逆に、ラナーがネクタイをしないことの裏には彼が元フーディである過去が見え隠れする。ニースとしては「アンタの正体がバレないように僕が犠牲を払ったのに、それを自慢げに話すんじゃねぇよ」くらいの思いは当然あるだろう。同時に、そんな父親を持つ自分も第九地区にルーツを持つ異分子であり、その秘密を隠すために親友を殺したという爆弾まで抱えている。ニースはネクタイを締めることで第一地区に生きる者の体裁を整え、隠れ蓑にしているともいえるだろう。


ネクタイと親子関係

ウィンザーノット』の歌詞でも触れられているが、ニースが幼い頃、ネクタイの結び方をラナーに尋ねたが「くだらない」と切り捨てられて教えてもらえなかったというエピソードがある。原作によれば、ラナーはそもそもネクタイの結び方がわからなかったために教えたくても教えてあげられなかったのだそうだ。だが本当のことを言うのは息子に面目が立たないので、厳しい言葉で誤魔化したらしい。言葉にしろ。

原作のニースは、ラナーが第九地区の出身であることを知ったことで彼がネクタイをしない理由に合点がいったようだ。自力でネクタイの結び方を覚え第一地区の大人の模範であろうとするニースからすれば、ネクタイをしようともしない父には疎ましささえ感じるだろう。一方ラナーにとっては、自力でネクタイを結べるようになった息子の姿は「私にできなかったことを全て叶えた息子」の象徴なのかもしれない。

ニースは自分が父にしてもらえなかったことを取り返すように、息子のダーウィンウィンザーノットの結び方を教える。ネクタイは上流階級としての証と自覚であるという話をしたが、プライムスクールの制服はネクタイではない。つまり、学生はまだ完全な上流階級の大人にはなりきっていない状態なのだ。そんな息子に父がネクタイの結び方を教えるというのは、我が子を立派な大人へと導くことと同義であるが、ニースとダーウィンとっては、第一地区に潜む罪人の擬態方法を継承しているようでもある。そう考えると『ウィンザーノット』が単に微笑ましいシーンには見えなくなってくるだろう。

とはいえ、本人にとってはそんな気は一切なく『ウィンザーノット』は大人になる一歩手前のダーウィンとの愛しい刹那に他ならない。

最初に述べたように、彼は元来非常に純粋で周囲にまっすぐな敬愛の目を向けられる人間であり、それは父になった今の彼の父性の源流でもある。次章では、そんな彼の「愛情」について触れていく。


愛に生かされる男

広くんの役柄が発表された際「教育部長官」「エリート」といったワードと眉間にしわを寄せたビジュアルを見て、出来の悪いを息子をいびる威圧的な父親を想像した。

しかし、劇場で彼の第一声のダーウィン!」という声を聞いた途端、その予想は完全に覆された。私はよく広くん自身や彼の演じる人物のことを「誠実の擬人化」「バフ●リン(半分が優しさでできてる)」と呼ぶ。誠実という概念を擬人化して喋らせたように、温かく、目の前にいる相手にまっすぐに向けられる優しい声。息子を呼ぶこの声だけでわかった。彼は息子を理不尽にいびったりせず、心からの愛情を注ぐ父親だと。

彼は取り返しのつかない罪に苦しむ一面もあるが、自分の息子のことを心から愛し大切に育てている。むしろこの愛情深さこそがニース・ヤングという人物の本質であると考えている。*2 16歳で「生きながらにして死んでいる」状態になったはずの彼を生かしてきたものは彼自身の愛であり、そして今後は、"大人"になったダーウィンの愛にも守られていくのだ。


息子への愛

ニースがここまで生きてきたことにはひとつの大きな目的があった。例の写真をこの世から完全に抹消することである。

原作によれば、ジェイの死後に学校の宿題のためにアーカイブに見学に行った時、ニースは件の写真が国立図書館アーカイブに保存されていることを知り、アーカイブの管理権限を得て写真を削除することを人生の目標に定めたのだそうだ。猛勉強をして、アーカイブを傘下に持つ文教部に就職を果たし(舞台では教育部に設定変更されている)アーカイブの写真フィルムがデータ化されるタイミングで12月革命に関する写真の機密レベルを引き上げた上、遂に写真を削除したのだ。

アーカイブのデータ化が始まったのはわずか5年前なので、写真の削除に成功したのはそれ以降ということになる。そして悲願を達成したときのニースには、既に新しい生きる意味が生まれていた。それがダーウィンだったのだろう。*3

原作では、自分がジェイを殺害したことをジョーイに口走ってしまったニースは、何もかも投げ出そうとして辞表を出し、妻には子供を堕ろそうとまで言ったという。ニースの妻や結婚の経緯についてはあまり触れられていないが、子供を授かってもなお、彼にとっては己の罪が人生のすべてであったのだろう。現に、生まれたばかりのダーウィンをジェイの追悼式に連れてきたニースは、我が子を抱いて親友の祭壇の前に立ち「ダーウィンは私が犯した罪を贖罪するために捧げる生贄の羊」だと悟ったという。いずれ優秀な子供をもうけたかもしれない親友に代わり、穢れの無い子供を育てることが贖罪になるとでも思ったのかもしれない。

しかし、ミュージカルを見ても原作を読んでも、ニースが常に贖罪としてダーウィンに接しているとは思えない。ニースのダーウィンに対する愛は本物だ。ダーウィンを育てるうちに我が子を守り育てようとする父性も育ち、当初の人生の目的を果たしても尚教育部長官として、父として、彼は生き続けている。

人間は、深い悲しみを抱えていても常に泣きながら生きているわけではなく、時には笑ったり喜んだりしながら生きているものだ。ニースも一面では死を願ってはいるものの、今ではそれだけが彼のすべてではなく、父としての一面が彼に死を選ばせずにいるのだろう。


息子からの愛

他作品だが、『Nのために』という作品に「愛とは罪の共有である」という言葉がある。この作品では、ある事件の現場に居合わせた人々が各々の最愛の人ためにその人が犯した罪を隠そうとしていた。ヤング家もこれと同じで、ラナーの秘密を守るためにニースが罪を犯し、ニースの罪を隠すためにダーウィンまでもが手を汚した。そして父は、自分とヤング家のために我が子が親友を殺めたことを今はまだ知らない。

父の罪を知ったダーウィンは、当初父を自首させようとしていた。しかしそれは、父への愛ゆえではなく父の罪を告発することで自らの純潔を証明する傲慢な行為であり、父を愛するのであれば彼の罪を飲み込んで「赦す」べきなのだと悟る。告発を思いとどまったダーウィンは、自分の人生は父の犯した罪の上に成り立っていることを受け入れ「父を愛さなければ」と思うようになる。そして、ニースが親友を殺害したという秘密を守るために、自分も同じく大切な親友を同じ手口で手にかけた。ダーウィンにとってレオ殺害は「父の罪を共有する」ことと等しかったはずだ。

レオの葬列で涙するダーウィンと、彼を抱きしめるニースとラナー。抱き合う親子の間には大きな認識の差がある。ラナーとニースを抱きしめるダーウィンはもはや父と祖父に守られる子供ではなく、ヤング家の秘密、罪、そして愛を背負う覚悟を感じさせた。ダーウィンにより罪の告発を免れたニースは、ダーウィンの沈黙という「愛」に知らず知らずのうちに守られて、これからも人生を送っていくのだろう。


ニース・ヤングはどこまでいっても根はいい子だった。純粋すぎるが故に取り返しのつかない罪を犯し罪悪感に苦しむ子供の名前が「ニース(Nice)」だなんて、残酷すぎる。*4
愛し愛され、苦しみながら生き続けろ、ニース・ヤング。


広くんのお芝居について

さて、ここからIQが3になります。

もうちょ~~~~~~当たり役だったよねニース・ヤング!!

元々スーツは似合うし、今回は特に、理想の父親としての大きな背中をビジュアル的にも表現するためにかなり身体を作っていたらしい。上等なスーツに厚い身体と広い背中がジャストフィットしていて、第一地区で一番スーツとネクタイが似合う大人だった。間違いない。隠れ蓑どころの騒ぎではない。第九地区がルーツだなんてバレようがないよ完璧だよ。

あと、左の前髪を1,2束残すヘアスタイルもめちゃくちゃ好き。苦しみながらうつむくと、前髪が顔にかかって影を作るようになっている。私もくせ毛だから、湿気の多い時期は髪の毛が言うことを聞かないという広くんの悩みはよくわかるけど、舞台のうえで生きる広くんにかかればくせ毛も言うことを聞く。

ビジュアルの良さをひと通り叫んだので、ここからは主にお芝居の面で好きだったポイントを書き残していく。役者としても一人の人間としても、広くんだからこそできた表現がたくさん詰まっているのがニース・ヤングだった。


年齢の演じ分け、声の深さと太さ

お久しぶりです。
矢崎広の年齢演じ分け大好き芸人です。

こんなに幅広い年齢を演じるのを見るのはひさしぶりだったし、今回特徴的だったのは、時間経過とともにだんだん大人になるのではなく、回想シーンや心理的に子供に戻ったりするシーンがあって、スイッチをパチンパチンと切り替えるように演じ分けていたこと。事前情報で16歳時代も演じるとは聞いていたがあんなに可愛いとは思わなくて、初見2幕ド頭で目ん玉飛び出た。

特に演じ分けが光ったのは、ラナーと二人きりで話すクリスマスのシーン。ジェイの死に縛られていることを、ニースの犯した罪を露とも知らないラナーに責められたニースは「僕が死ねばよかったんだ」と呟く。一人称は普段の「私」ではなく16歳の頃の「僕」に戻り、所在なさげにか細く上ずった声で何度も同じセリフを繰り返す。あんなに広く見えた背中は、嗚咽しながら地面にうずくまると酷く頼りなく小さく見えた。年齢演じ分け大好き芸人には堪らなかったし、あれを見て矢崎広、やばくね…?」と思った人絶対いるでしょ?いるよね?

広くんの年齢の演じ分けのベースはだと思う。それも声色というより、声の深さと太さ。

16歳のニースの声は、喉の比較的浅いところから細い息で出しているような音で、あどけなく可愛らしく聞こえる。ラジオで話している時やふざけている時の広くんの声はわりとこっち寄り。逆に46歳の時は、喉を広く開けて深いところから温かい息を吐くような太い音だ。オフィシャルな場で落ち着いてコメントしたり、イケボを出そうとするときの広くんのトーンはこっち。アルトサックスとバリトンサックスくらい息の太さが変わっていると思う(伝われ)

他にも口調や話すスピードなどいろいろな方法で年齢を演出しているんだろうとは思うが、私がいつも感じるのはこうした音の深さ・太さの違いだ。単に音の高低ではなく息の使い方を変えることで、同じ人間が長い時間を過ごし様々な経験を経たことで成長してきたんだということを感じさせる。

私がよく「広くんの"喉"が好き」と言うのも、広くんのこうした表現方法が好きだからだ。昔ラジオに「喉が好き」というメールを送った際は「声じゃなくて喉なの?w」と本人に笑われたが、声そのものだけではなくそれを操る喉から好きなので「喉が好き」以外に表現のしようがない。

あ~~~~~~久しぶりに声優仕事来ないかな~~~~~~~~~~~~

ちなみに、年齢演じ分け大好き芸人のベストセレクションは、ミュージカル『JERSEY BOYS』朗読劇『ラヴ・レターズ』。どちらも一人の人間の40~50年分の人生を演じており、10代の可愛らしいぼっちゃん時代から、スーツの似合うナイスガイを経て、落ち着きと貫禄のあるイケオジへの進化を遂げる。
どちらも円盤化していないし再演も微妙なところなのが残念。他にも幅広い年代を演じる作品はあったと思うが、現地で見て「これはやべえ」と思ったのはこの2本かな。


お芝居とシームレスな歌

韓国ミュージカルは思いを爆発させて叫ぶように歌いがちだそう。だとしたら韓国ミュージカルめちゃくちゃ合ってると思うよ!

ダーウィン・ヤング』は楽曲も難しくテクニック面でかなりレベルの高いことをしていたはずだが、それでもお芝居がおろそかになることなんて一切なく、秘めた気持ちをさらけ出して歌うという表現が、役のフィルターを通して感情を露出できる広くんのお芝居にベストマッチしていたと思う。

どの曲もよかったが、忘れられないフレーズがこれ。

大切な友達を殺して
涙流した 夜が明けるまで
僕だけじゃない


『青い目の目撃者』

「大切な友達」「殺して」「涙流した」よ?ワンフレーズごとに襲い来るカタストロフィ。
表情は苦しげでありつつも、張りのある声で正確に音を当ててくるので、無駄な心配やノイズを感じることなく歌詞と心情を受け取ることができて、全要素が胸をえぐってきた。単に綺麗なだけの声ではなく、歌に苦悩が滲み出ていた。お芝居の中で歌うってこういうことだよな…

私はミュヲタではないし技術的なことは正直わからないが、歌唱技術よりもお芝居を重視しているので、こうした芝居っ気の強い歌を聴かせる役者がやはり好きだ。情けない男を演じる矢崎広は天下一品なので、劇中9分9厘苦しんでいるニース・ヤングはまじのフルコースだった。一生悩み続けてほしい。


父親を演じる

広くんのお父様の話は本人もよくしているし、このブログでも一回書いた。
tea-miki.hatenablog.com

↓これは一生忘れられないモマのカテコでのご挨拶。


モマ初演→再演につづく本作で、父親という存在をフィクションで表現することに関してまた一段階上のものを見せてもらった気がした。父親を演じるにあたって意識したこととして、理想の父親像を自分の父親に重ねたそうだ。お父様とお母様から受け取ったバトンをしっかり握って、自分自身も年齢を重ね、今度は渡す側を演じる。ああ見えてプライベートは結構謎な人だが、こうして出演作を追うことで、広くん自身の人生を見せていただいている気がする。


次回出演作のお知らせ

ここで矢崎広さんのおたくからお知らせです(何故)
広くんの次回出演作は朗読劇。『シャーロック・ホームズ』が原作のリーディングシアター『四つの署名』。
toei-stage.jp

沼の淵に立って「朗読劇か~…ミュージカルや演劇じゃないなら別にいいか」と思っているそこのあなた。

あまあまのあまぴろかよ。

矢崎広の朗読劇は最高だぞ。

広くんの朗読劇は単なる朗読には収まらない。座って台本を広げて「読む」のをイメージしているなら大きな間違いだ。広くんの朗読劇は、椅子に座っても台本を手に持っていても、そこに完璧に役として存在し「生きている」のを見せてくれる。むしろ、身体表現を制限されている分演技力で見せてくれるため、繊細で重厚なお芝居を見ることができる。

前回のリーディングシアターを見るに、今回もホームズとワトソンの会話をベースに物語が展開するのだろう。広くんは複数の公演に別のペアで出演するので、どこかで一度はホームズ役をやると思う。探偵役は無条件で優勝である。

広くんは年に1本ペースで毎年ほぼ必ず朗読劇に出演する。精力的に出ている方だと思うし、この事実だけでも広くんの朗読劇への力の入れようは伝わるだろう。ニース・ヤングを見て彼のお芝居に興味が出たという方がいれば、朗読劇は絶対に観ておくことをお勧めする。




久しぶりに広くんの出演作について感想ブログを書いた。普段はなかなか重い腰が上がらないが、「この興奮が冷めないうちにタッパーに入れて冷凍保存して、見返すたびにいつでも思い出せるようにしなければ!」という衝動に駆られるほど素晴らしい作品・役だった。観劇して、原作読んで、考えを深めて、また観劇して答え合わせして、新たに広くんのお芝居に気付かされて…とても充実した1ヶ月だった。

反響も大きく制作側も手ごたえを感じているというような話をちらほら聞くので、絶対に再演してくれると信じてるよ!

*1:前回のブログで述べたように、階級制度による格差を黙認したり下位地区の人々を度外視しようとする点ではニースも大人の精神と価値観を持っているので、彼自身が大人になれていないというより、ことジェイの死に関する事柄について精神の進化が縛られているのだろう。

*2:未だ罪悪感に苦しんでいるのも、ジェイとの絆を捨てきれない彼の情の厚さからではないだろうか。

*3:写真を削除し秘密を守ろうとしたことは父・ラナーへの愛からではないかとも思いたいが、それは父への愛というより、父の秘密が明るみになることで自分が社会的に没落することへの対策の意義が大きく、また原作ではニースはラナーのことを明確に「憎んでいる」という記述もあるので、「父への愛のためである」と一概に片付けられない。

*4:ニースの名前は、両親の新婚旅行先の地名から取られたらしい。

罪によって子供は大人になるー『ダーウィン・ヤング 悪の起源』

推しである矢崎広さんの出演をきっかけに観劇したミュージカル『ダーウィン・ヤング 悪の起源』。広くんの出演作はハズレが無く基本的にはどれも当たりだが、今回は大当たりも大当たりだった。

今勢いのある韓国ミュージカルを元に、演出はあの末満さんで、広くんのお芝居も最高(広くんが演じたニース・ヤングに関してはまた別にブログ書くつもり)
解釈の余地のある物語には、観るたびに気づきがあり、観劇して気づいたことを深めて考え、次の観劇で答え合わせをするのがとても楽しかったし、今もまだ考えている。

今回のブログで、私が考えた「ダーウィン・ヤングの悪の起源」と本作における「罪を犯す」ことの意味をまとめておく。

<注意>

  • 既に2023年の全公演が終了しているので気にする人はいないと思うが、めちゃくちゃネタバレしている。これから原作を読む方や、数年後再演が決まりこれから初めて観るという羨ましい人がいれば、ご注意いただきたい。というか再演してくださいお願いします。
  • 触れたメディアは、日本で上演されたミュージカル本編とそのパンフレット原作小説、そして韓国版の原曲の歌詞。ブログ内容には小説と原曲の歌詞から引っ張ってきたものを含んでおり、日本版ミュージカルでは描かれていない背景や描写を踏まえて考察しているので、ミュージカル単体と言うより『ダーウィン・ヤング』という世界観に関する考察になっている。
  • 韓国版の歌詞の訳を引用しているが、翻訳アプリと勉強中の乏しい知識でちまちま訳したものなので、細かい文法の間違いには目を瞑ってほしい。





ダーウィン・ヤング"の"悪の起源」?

初めての観劇後、韓国版のサウンドトラックなどは無いものか調べようと韓国語で検索してみたのが最初だった。
現在勉強中の拙いハングルで「다윈 영(ダーウィン・ヤング)」と検索したところなんとかヒット。韓国版のタイトルは『다윈 영의 악의 기원』。韓国語と日本語は文法的にかなり近いので、タイトルも韓国と日本でほぼ同じなのだが、よく見ると違いがあることに気づいた。

韓国版をそのまま訳すとダーウィン・ヤング"の"悪の起源』となり、日本版タイトルには無い「の」にあたる助詞が入っている。微々たる違いに思えるが、私には見逃せなかった。『ハリーポッター"と"賢者の石』とか『チャーリー"と"チョコレート工場』とか『矢崎広"の"よるステ!』とはワケが違う。

ダーウィン・ヤング」と「悪の起源」を独立させて見れば、一般的な「人間の悪の起源」と捉えることもできるが、「ダーウィン・ヤングの悪の起源」であれば、ダーウィン・ヤングという一個人の人生における「悪の起源」に関する物語ということになる。


これに気づいてまず思い出したのが、本編ラストシーン。

父の過去の罪を隠すため親友のレオを殺害したダーウィン。最後はレオの墓の前に立ち、不気味な笑みを浮かべていた。これを見て脳裏に浮かんだ言葉はズバリ「地獄開幕」ヤング家の罪の歴史を隠すため数々の罪を重ねる巨悪と化すダーウィンの未来が見えたような気がしたのだった。だとすれば、ラストシーンのこの瞬間こそが「悪の起源」なのでは…?


タイトルひとつ取っても、韓国版と比較することでこれだけ考えが深まる。それなら、韓国版の歌詞と比較すれば、日本語訳詞だけでは見えなかった角度からの解釈を得られるのではないか。その先にダーウィン・ヤングの悪の起源」とは何を指すのかの答えがあるのではないか。

そんな好奇心から、韓国語の勉強がてら辞書アプリ片手に、ネットに転がっていた韓国版の歌詞を読み解くことを始めた(韓国語の勉強としてもめちゃくちゃ有益だった)


3曲の歌詞から見えてきた、罪を犯すことの意味

ここからは韓国版の歌詞と原作の描写も踏まえて、「罪を犯す」ということが人間にもたらす作用についてどのように示唆されているか読み解いていく。韓国版の歌詞と日本語訳に特に違いが見られた3曲を取り上げて進めていく。

『プライムスクール[1]』罪を犯すことで人間は完成される

美しい旋律と、情景が浮かぶような歌詞で一瞬にして観客を引き込むM1、その名もズバリ『プライムスクール』。どうしてこの曲のタイトルが『プライムスクール』なのか最初は疑問だったが、この歌詞の一部はもともと原作において、プライムスクールのドキュメンタリー番組のためにバズ・マーシャルが書き綴った文章だった。

プライムスクールのみならず、ダーウィン・ヤング』という作品の世界観とテーマがこの一曲に詰まっている。よって情景は美しく聞こえるが、実はかなり救いようのないことを言っている。

注目したのは2番のサビにあたる部分。まずは日本語訳。

誰も教えてくれない
あの彼方の空の濁りを
濡れそぼつ草の朽ちてゆくのを
鳥の雛たちが地に落ちるのを


次に韓国語版の直訳。こちらの方がより核心を突いた表現になっている。

誰も言ってくれなかった
黒い空の下で歴史は始まり
雨に濡れた草原の悪臭の中で育ち
小鳥は墜落するときに完成するということを


最後に大サビ。これは日韓で大きな違いは無いが、せっかくなので韓国語版を。

誰も覚えていられない
あの空が今どれほど真っ青か
草の香りがどれほど息が詰まるように濃いのか
小鳥がこの瞬間どうやって飛んだのか

もうこれが『ダーウィン・ヤング 悪の起源』における「罪」の位置づけそのものズバリである。

人間の築いてきた歴史は常に暗いもので、人間は腐った世界で育ち、堕落して初めて一人前に成長する。空の青さも、息が詰まるほど濃い緑の香りも、青い空を目指す小鳥の頃の羽ばたきも、いずれみんな忘れてしまう。

人は罪を犯すことで人間として完成されるということなのだ。地獄市立最悪高等学校校歌か。


『青い目の目撃者』少年時代の終わり

物語の終盤、レオを殺害したダーウィンと、ジェイを殺害したニース、そして、第9地区から逃げ出し第1地区のヤング家の扉を叩いたラナー、60年の時を越えて三世代の心情と歌声が交わる大曲である。

以下に引用するのは、三人の声が重なりはじめるフレーズのダーウィンとニースのパートの韓国語詞。

僕の過去は終わった
もう二度と思い出さないだろう
記憶は消える
弁明も後悔もしないだろう


もう一か所、今度は一番最後のフレーズ。

夜明けが来れば
僕は僕の世界と決別する
僕は大人になる
許されない罪を犯したその子供は
いま大人になる


「僕は僕の世界と決別する」というフレーズは日本語訳詞にもほぼそのまま活かされており、このあとの楽曲にも出てくる重要なフレーズである。

ここでいう「僕の世界」とは、ダーウィンとニースが殺人という罪を犯すまでの16年間の記憶や思い出と取れる*1。ニースが16歳までの自分を捨ててしまったように、ダーウィンもこれまでの16年間を忘れ去ってしまうのだろう。父と鏡の前で並んでネクタイを結んだあの日のことも…


『誰も覚えていない』この世から消え失せた眩しい少年

本編のラストに歌われるフィナーレの曲。シーンとしてはレオの葬列だが、歌詞をよく聴くと不自然な点がある。

日本語訳詞は部分部分しか覚えられなかったので、韓国語版の訳を以下に引用する。曲自体は『プライムスクール[1]』のリプライズになっているのでサビの歌詞は共通しており、一か所を除いて、内容は日本語訳詞とほぼ同じだったと思う。

まずは歌い出しからサビ前まで。

あんなにキラキラしていた一人の少年は
何の理由もなく
急に地上から消え失せた
世の中に変わったことは無いのに


棺の上に積もっていく花びらは
誰のために涙ぐむのか
墓地を訪れる人々は
いま誰のために心から祈っているのか


シーンとしてはレオの葬列であることに疑いようがないにも関わらず、「誰のための葬列なのか」が執拗に問いかけられる。「この世から消え失せた眩しい少年」とは誰なのか。

その答えが、ダーウィンのソロになるブリッジで明らかになる。

赦されない罪を犯しながら
時間の関門を通り過ぎる
大人になる
僕は僕の世界と決別する
そうして子供は死ぬ


死んだのはレオだけではなく、レオを殺害したことで「僕の世界」と決別したダーウィンの子供の精神だった。大人になるということは、子供の精神・世界を失うということなのである。

このブリッジの部分、韓国語版と日本語版では明らかに違う箇所がある。
韓国版の直訳作業を終え「ここだけは絶対に現地で聴いて憶えて帰るぞ」と意気込んで全身を耳にする勢いで聴き取った結果、客席で鳥肌が立ちまくった日本語訳詞、いや、末満版がこちら

僕は許されない罪を犯し
このまま生きるのか
僕は今僕の世界に別れを告げて
明日を生きる


韓国版では「死ぬ」と歌っているところが、末満版では真逆の「生きる」になっているのだ。これには一体どういう意味があるんだ…あえて真逆の訳をあてがったことに理由はあるのか…

そのあたりも含めて、次の章では「罪を犯すこと」と「大人になること」の関係についての考察を深めていく。



罪が子供を大人にするまで

ここまで長々と「罪を犯すことで人は大人になる」と書いてきたが、私は「罪を犯すこと」と「大人になること」は単純な順接ではないと考えている。その二つが単純に繋がるのであれば、ニースのジレンマに説明がつかないからだ。

ニースは16歳の時、自分の父が12月革命に参加した元反乱分子であるということをジェイに暴かれ、父の秘密を守るためにジェイを殺害した。決定的な罪を犯しているにもかかわらず、ことジェイの殺害について、彼の時間は16歳で止まったまま過去にとらわれている。

『地下室の怪物』の中にはこんなフレーズがある(韓国語版)

大人になったらこの怪物は死ぬと思っていたのに
その時間の中に閉じ込められている
僕はこの瞬間も16歳
大人になれない


ニースの台詞にも「僕の人生は16歳で終わってしまった」とあり、パンフレットのインタビューでは広くんもニースのことを「16歳で時間が止まっている人間」だと言っている。現に彼が演じたニースは、46歳になった今も、ジェイを殺した日のことを思い出すと心は16歳の頃に戻ってしまう(この演じ分けが最ッ高だという話をしたいところだけれどそれはまた後日)

罪を犯すことがそのまま大人になることに直結しなかった例がニースだ。

それでは、何が人を大人にするのか。


第二の精神

最初に注目したのは、いざ親友を手にかけんとする際のニースとダーウィンの様子だ。

ミュージカルでは、レオとダーウィン第9地区へ向かう列車の中でジェイ殺害の日のカセットの録音を聴いたことから、ニースがジェイを殺害するシーンの回想と、今まさにダーウィンがレオを殺害しようとするシーンが交錯する。

鬼気迫るシーンで、手に汗を握るほど夢中になって見ていたので日本語訳詞は全く憶えていないが、韓国版では、まるで天使と悪魔がダーウィンの両の耳元で囁くように別の人格が交互に畳みかけてくる。

ダーウィン、跪いて許しを乞え
レオの前に跪いて哀願しろ
赦してほしいと、僕と父を赦してほしいと
レオは赦してくれるよ
レオは君の友達じゃん
人間が人間に赦されない罪は無いって言ったじゃん
赦しを乞え


このトンネルの中が最後のチャンスだよ
誰もいないじゃん


助けてほしいと、赦してほしいと、跪け


トンネルの中が最後のチャンスだよ


赦しを乞え


ダーウィン


ダーウィン


途中から冷静に状況を見て完全犯罪を目論む別人格が出てくるのめちゃくちゃ怖い。


更にこの曲の直前、赤いフードをまとって親友に迫っていくニースとダーウィンも様子がおかしかった。父の罪を知りそれが親友にもばれて憔悴していたはずが、この瞬間だけ二人ともまるで別人のように落ち着いた口調になっていたのだ。

特にダーウィンは、レオに父の罪を見逃してほしいと頼んだが断られるという絶望的状況にもかかわらず、なんなら微笑を浮かべながら「僕ね、弁護士になるのが夢なんだ」と突然語り始める。まるで、これから起こることによって僕の輝かしい未来が陰る可能性は一切無いと言わんばかりに。しまいには「レオ、わかったよ。説明はいらない」である。何もわかってねーよ説明しろ。


そして、赤いフードの少年二人とそれぞれの親友二人を、赤い紐が絡め合う。その間のニースの表情よ。30年後も自分の犯した罪と親友の亡霊に怯えつづける人間になるとは思えないほど、落ち着いた迷いのない感情0の顔でジェイを追い詰めていた。おまえは誰だ…


ちなみに原作のダーウィンは、プライムスクールドキュメンタリーを見たことをきっかけに新たな考え(人格?)が芽生えている様子があり、以降頭で考えていることと行動がところどころで一致しないという描写も見られる。レオに父の罪がばれたときも、頭では赦しを乞おうと考えているが、身体はまったく別の行動を取り…

このように、罪を犯さんとする時、彼らの精神は二つに分裂し、それまでとは別の人格が生まれていると考えられる。分裂して生まれたのは罪人の人格で、これによって元の人格と倫理観に蓋をされ、操られるように彼らは親友を殺してしまったのではないだろうか。


罪悪感と倫理観

超重要ワード「僕の世界」。先ほどこれは16歳までの記憶と思い出であると書いたが、本当にそれだけだろうか。

原作では、ダーウィン視点で「罪悪感」という言葉が出てくる。
レオは、自分たちの利益だけを守って暮らし下位地区の状況に関して無知・無視することは上位地区の住人の原罪であると主張し、それを聞いたダーウィンは、ルミに連れられて第9地区を訪れたときのことを思い出す。
12月革命から60年、第9地区は生きる目的もない老人だけがかろうじて残る廃墟と化していた。第1地区とはまったくの別世界を見て、そこを「二度と訪れることのない別世界」だと認識した際にわずかに罪悪感を覚えたという。

階級社会では皆にそれぞれ役割があると言うニースに、ダーウィンは「第9地区の人々の役割は何?12月革命で彼らはすべてを失った」と問いかける。これ対してニースは「第9地区は別だ。彼らは何も失っていない。最初から何も持っていなかったんだ」と答える。まさにレオが言うように下位地区を度外視した発言だ。ジェイの死に関しては16歳で時が止まっているニースも、社会の仕組みに関しては第1地区の大人としての考えを持っており、またそのように認識することに何の罪悪感も感じていない様子だった。


ここに大人と子供の違いがあるのではないかと私が考えた。つまり「罪悪感」の有無である。ダーウィンは、下位地区を無視して自分たちだけが豊かな暮らしをしている現状に罪悪感を覚えている。いわば平等で純潔な倫理観を持っているといえる。

しかし、ニースのように社会の仕組みを作る側にまわり、家族と自分は豊かな生活ができる現状に満足していたら、それをさしおいてどれほど罪悪感を感じるだろうか。自分の利益への満足と他者への罪悪感が天秤に載せられた時、利益の大きさを知れば知るほど罪悪感の比重は軽くなりはしないだろうか。先述した第二の精神とは、この利己的な精神の延長にあるものだろう。


純潔な倫理観で自分の罪を認め罪悪感を覚えるか、自分の利益を重視し罪悪感を忘れるか。それが子供と大人の違いであり、子供の頃に持つ純潔な倫理観も「僕の世界」に含まれていると考えられる。


大人への進化「僕の世界に別れを告げる」

ニースとダーウィンは、父と自分の生活を守るために親友を手にかけた。街をひとり彷徨い、ライン川を見下ろし、または暗い夜空を見上げながら流した涙は、罪悪感からくるものだろう。ニースはそれからずっと、16歳までの純潔な倫理観を捨てきれず罪悪感に苛まれつづけている。

では、ダーウィンはどうか。
フィナーレの『誰も覚えていない』の中で、ダーウィンの天秤は大きく動いたのだと私は考えている。


レオとジェイが歌っているパート。これは死者の声で、ダーウィンにはレオの声が聞こえていて恐らく姿も見えており、レオの方を見ながら耳をふさぎ苦しむ姿が見て取れる。その姿は、ジェイの幻影に苦しむニースそっくりで、ダーウィンも父のように一生レオの幻影を見続けるのかと思われた。

しかし、曲が終わり本編が終幕する瞬間スポットライトに照らされたダーウィンは、先ほどまでの怯えた様子は一切なく、不気味な笑顔を浮かべているのであった。

この間に彼にいったい何があったのか。ブリッジの日本語訳詞をもう一度見てみよう。

僕は許されない罪を犯し
このまま生きるのか
僕は今僕の世界に別れを告げて
明日を生きる


ダーウィン「僕の世界に別れを告げて明日を生きる」と歌ったまさにその瞬間に、罪に苦しむ純潔な子供の世界を脱却し、自己の利益のために犯した罪を隠し通す罪人として生きていく決意をしていたとすれば、最後のあの表情は、この先も仮面を被って生き続けるという決意と自信の顔なのではないだろうか。利己的な精神が分裂しジレンマを起こしていたダーウィンの精神のうち、純潔な子供の精神はこの時点で死に、利己的精神=大人の精神が淘汰していったのだ。
末満版が「死ぬ」をわざわざ「生きる」と訳したのも、ダーウィンのこの「進化」の瞬間のためだったと考えれば納得がいく。

友達の父であっても罪人は見逃せないと言ったレオは、その純潔な精神を持ったまま肉体ごと死を遂げ、鳥籠から青空へ羽ばたくことなく消えていった。一方、自らも手を汚し純潔な倫理観を捨て、家族と自分のために罪人として生きる決意をしたダーウィンは、子供の精神だけを殺し、利己的な精神を抱えた大人として濁った空の下を歩きはじめるのだった。


罪が子供を大人にするまでの過程をまとめると

  1. 自己の利益に関わる罪を犯す、または直面する
  2. 利己的な精神の覚醒
  3. 子供時代の純潔な倫理観からの脱却、罪悪感の消失
  4. 大人への進化

となる。

「大人になる」「生きていく」ということは、罪を犯し己の倫理観をアップデートしていくことで、純潔な倫理は汚れた精神に淘汰されていくのだ。



ダーウィン・ヤングの悪の起源」「罪」とは

ここまで考察してきたように、『ダーウィン・ヤング 悪の起源』はダーウィン・ヤング個人の人生における諸悪の始まりのエピソードであると私は考えている。しかし、答えがこれひとつだとも思わない。

ダーウィンの犯した罪は、父ニースの罪を闇に葬るためのものであり、更にそのニースの罪も、暴動を率いたラナーの過去を隠すためのものであった。つまるところ、ダーウィン、ニース、ラナーの罪はすべて繋がっていて、家族の罪を起源として自らも罪を犯し、また次の罪の起源を創出する、悪の起源の螺旋構造になっているのだ。*2
そういえばDNAも螺旋構造だったね、ゴスリング。*3

悪の起源の螺旋構造(最悪)

『モマの火星探検記』も素晴らしい作品なので、広くんが気になった方には是非見てほしい。
全部繋がってるから。


加えて、本作で問われている「罪」とは、必ずしも殺人のような決定的なものだけには限られないと私は考えている。

罪悪感という話にあったように、「社会がどんな問題を抱えようが、世界のどこでどんな問題が起きようが、自分の生活範囲が豊かで平和であれば関係ない」という態度や、現代人の無意識・不認識・無関心は、階級社会における格差を是とし下位地区の人々を度外視しようとする第1地区の大人と変わりない。我々も知らず知らずのうちに自分の世界と決別し、利己的な精神を持つ大人になってしまっているのだ。せめて関心を持とう。そして選挙に行こう。


恐ろしい話でありながら、どこか身につまされる思いがする作品だった。

とはいえ、救いようの無い内容なのに何をこんなに楽しんでいたのかといえば、考えれば考えるほど点と点が繋がっていきひとつの観念が描き出されていく感覚があったから。ミュージカルにも小説にも歌詞にもヒントがたくさん散りばめられていて、何かに気づくたびに作品の仕掛けの緻密さに感心した。

原作はかなりのボリュームがあり、今回触れたのは数ある作品テーマのうちの一部に過ぎない。別のテーマに沿って読めばまた違った考えが生まれる余地があるので、まだまだ考え続けていきたい。

そしていつか必ず再演して、答え合わせをさせてくれ〜〜〜〜!!



次回、
『ニース=矢崎広の好きなところ全部乗せ=ヤング』
『言葉にしてよ、父さん』
『友との絆』

ぜってー見てくれよな!

*1:ラナーだけはむしろ逆行している。
第9地区で生き延びるために大人のように振舞い虚勢を張って生きてきて、12月革命では多くの人を傷つけ大隊長も殺害してしまったが、ヤング夫妻に引き取られ大切に育てられたことで、虚勢を張り罪を犯してきた「私の世界」から脱却し、両親に愛される無邪気な子供へ生まれ変わった。
ニースとダーウィンは明るい少年時代に別れを告げて暗い世界に足を踏み入れてしまった絶望を声を張り上げて歌ってるのに、ラナーだけは、罪人の世界を忘れ明るい未来への扉に手を掛けている。いやいや事の発端はお前なのにその御本人が「忘れるさ~ケンチャナ~」じゃねぇよ、ひとりでハクナマタタすな。

*2:皮肉なことに、ラナーの過去がヤング家のパンドラの匣となった原因には、彼を引き取り実の子供のように大切に育てたヤング夫妻の良心がある。

*3:『PHOTOGRAPH 51(フォトグラフ51)』特設ページ 梅田芸術劇場

『一生推す』って言えない

先日、ワイドショーを適当に流していて、スポーツの話題でコメントを求められたアナウンサーだかタレントだかが「〇〇選手、一生推します!」と言っているのを見て、ふと考えた*1


『一生推す』って私は言えないし、意識的に言わないようにしている。理由としては、自分にとってのあらゆる重荷になるから。


10代の頃は私も「一生推す!一生大好き!」みたいなことを軽率に言っていたと思う。でも、いい大人になるまでずっとオタクをやっていればまぁいろいろあるわけで、「一生推す」と思っていた人にあっさりと飽きてしまったこともある。何か決定的な出来事があって完全に嫌いになったわけではなく(中にはそういう例もあるけれど)スーッと熱が冷めていく。本人たちがどうこうではなく、シンプルに"飽きた"んだと思う。

そうして現場へ行くモチベーションももう無くなっている時、「でも1現場につき1回は観るって決めてたし…」「ずっと応援するつもりだし…」と、過去の自分の言葉や気持ちが呪いのようにまとわついて、半ば義務感だけで現場へ赴いたこともある。そんな気持ちで行っても全然楽しくなかった。楽しくて通っていた頃のことは鮮明に憶えているのに、そういう状態で行った現場のことは記憶にも残っていない。憶えていたとしても「つまんない」と思った記憶だけ。まじで無駄だった。

沼はハマりたてが一番楽しいもので、最初の2〜3年は絶対に楽しい。私の場合は3年以上熱が保てばそこからはわりと安定するけれど、その2,3年の間に「一生推す!」なんて今生の誓いを立ててしまったら、後々自分の言葉に縛られることになりかねない*2

推しへのスタンスなんて人それぞれだし、慣用句的に言ってる人ももちろん居るだろうけど、推しの現場に行くことに義務を感じちゃうような「オタクに二言はねぇ」スタイルのオタクは、一時の幸せに任せて「一生推す!」なんて言い切ってしまったら、いつかそれは、歯食いしばりながら自分を無理やり現場へ向かわせる呪いの言葉になるかもしれない。


以上のような「自分の気持ちが無常だから」というのが『一生推す』と言わない主な理由ではあるけど、他にも友人関係とか、推しへの面目とかもある。

まず、友達と「一生推そうね!」みたいな話をしておいて、もし自分が先に飽きてしまったときに地獄を見たくない笑 そうやって縛り合う友達は作っていないつもりだし、私が何を好きになって何に飽きようがフォロワーには関係のないことだけれど、自分が「オタクに二言はねぇ」スタンスだから、後々翻りそうなことは言いたくない。

推しへの手紙とかラジオのメールにしてもそう。申し訳ないけど、『一生推す』といった類のことを書いたり言ったりしたことは無い。別に何を言おうが向こうは覚えてないにしても、オタクに二言は(以下略)


だから私は、今推してる誰のことも『一生推す』とは思っていない*3いつか飽きるつもりで、今は楽しいから継続して現場行ったり応援したりしているだけ。いやそもそもお金貯めたいからオタ卒したいんだけど笑


縛りを作らないことで、いろんなことが楽にもなる。
自分に何の義務も課していないから、興味の無い現場やコンテンツはスキップするし、推しの現場を楽しまないといけないという強迫観念も無いので、合わなかったものは合わないと言っちゃう。無理してテーブルクロスの柄を褒めるようなことはしない。*4


無理せず、義務を課さず、好きなときに好きなだけ。欲しいものを欲しい分だけ。楽しくなければオタ活じゃないのだから、飽きたらやめればいい。

「推しは推せるときに推せ」ってある頃からよく聞くようになったフレーズだけれど、「推せるとき」=「自分が推しを推せる状況にある時」と捉えれば同意できる*5

手放しに未来を約束するのではなく、『今日はただ今日のことを、面白く楽しく、正しい心で』をモットーに、推したいと思ってるうちは推しを推す!

*1:無論、彼女の『推す』は、俳優やアイドルを推してる私の『推す』とはたぶん全然意味が違うので、あくまでも言葉を私の意味で考えるきっかけとして。

*2:この統計を取るのに、「ハマる→飽きる」の2,3年周期を2,3回繰り返した

*3:一生好きかもしれないと思ってるのは唯一キンキぐらい。英才教育で25年見て聴いてコンサート通って、ようやく「一生好きでいる…のかもしれないなぁ…」くらい。かつんも、かつんがそこに在る限りは好きだと思うけれど、本人たちが「永遠ではない」と言っているから、私も永遠は約束していないつもり。"せめて永遠ではない時を一瞬でも無駄にはしない"という約束なら、会うたびにいつもしてる(ドヤ)

*4:同じ感性やスタンスを持った友達に恵まれたから、観劇後に延々とダメ出ししてストレス発散できてる。いつもありがとう笑

*5:例えば誰かがグループ脱退したとき(察して)該当オタクが悲しみに暮れているのを横目に、他人の悲しみを勝手に教訓に昇華するかのように他界隈のオタクがこの言葉を反芻するのは、当事者としてあまりいい気分ではなかった。

総合芸術としての役者・松岡広大〜ディズニーミュージカル『NEWSIES』

2020卍リベンジャーズ!!!
2020年に潰れた舞台の中で特に傷が深かった一作にして、2021年最高の一作。そして、大切な推しの東宝ミュージカル初出演作
昨年の雪辱の全公演中止を乗り越えて、無事全公演を完走し大千穐楽を迎えられました!!おめでとう、ありがとう!!

こんなにハッピーな世界に連れてきてもらえるなんて、一年半待った甲斐あったわ...中止になったときは正直リベンジまで最低2年はかかると思っていたから、こんなに早く実現してくれるとは思わなかった。でも信じてたから!広大くんのこの言葉を!



中止から1年半、出演発表から数えたら2年以上、本当に楽しみにしてきた夢のステージだったから、終わった今もまるで夢を見ていたみたいに現実味が無いのが正直なところ。でも、あの夢のような時間と景色はたしかに目の前にあった、広大くんは間違いなく、私なんぞの理想をはるかに上回るかたちで東宝ミュージカルプリンシパルデビューしたという事実を、ここに書き残したい所存なり。

その時、歴史が動いた

去年の帝劇JB初日のチケット3回勝ち取った時から薄々勘づいていたけど*1、吾輩は持ってるおたくである(金は常に無い)『ニュージーズ』日本初演初日のチケット勝ち取りました~~~~アミュモバしか勝たん!ちなみにアミュモバくん、去年は東京楽を勝ち取ってた。優秀すぎ。

「こんなに早く実現してくれるなんて…」という気持ちと「やっと『初日おめでとう』と言える!」という気持ちで迎えた初日。

1幕冒頭の1曲目、ジャックと共にクラッチーが歌い始めた瞬間に涙が溢れてきた。止まっていた時が動き出した。ニュージーズの世界が、日本版『ニュージーズ』という作品の歴史が、こんなに美しいメロディーを二人で響かせる、大我と広大の二人から始まるなんて…!そこから終演まで「たった今、目の前で、歴史が動いている」という興奮で始終鳥肌が立ちっぱなしだった。

初日の会場はとても温かく、忘れられない公演になった。キャストの晴れやかな表情をとっても、曲ごとに起こる割れんばかりの拍手をとっても、あの場にいた全員が開幕を待ち望んできたことを物語っていた。ご存知ですか、拍手だけでも観客の「声」って聞こえるのよ。「初日おめでとう」「待ってたよ」「会いたかったよ」「リベンジ叶えてくれてありがとう」「ブラボー!」って、みんなが言ってるのがちゃんと聞こえたよ。演者にも届いていたはずだと思う。

音楽の神が手がけたミュージカル『ニュージーズ』

『ニュージーズ』という作品に初めて触れて感じたのは、ニュージーズの若さ溢れるパフォーマンスの力。ニュージーズのリーダーはジャックであり公演の座長は大我だけれど、メンバー全員が結集してひとつの「ニュージーズ」というタイトルロールを演じる主役なのだと思う。苦境にある子供たちの話であるにもかかわらず、ハッピーなエンターテインメントとして楽しめるのは、ニュージーズのファビュラスなパフォーマンスと明るい笑顔のためだろう。*2

そして最大の魅力の一つは、もちろん楽曲。ディズニー(とジブリ)で育ち、学生時代は吹奏楽に命をかけ*3、今も細々と音楽活動をしている人間にとって、アラン=メンケンは現存する神である。*4とりわけ好きなディズニー映画は『美女と野獣』『リトルマーメイド』。『シスター・アクト〜天使にラブ・ソングを〜』ではその楽曲の美しさに帝劇で泣き崩れた。ちなみに、好きなディズニーシーのアトラクションは『シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ』。

そんな神が手掛けた楽曲だから、当然どれも最高にドストライク!!本能にぶっささってくるのよ!!耳に残るのよ!!みんなシンドバッド降りた後「人生~~~~~は~ぼうけ~~~んだ~~~~~地図はな~~~いけ~れ~ど~~~~~~」って頭から離れないでしょ?!全曲あのクオリティよ!!

美しい旋律やキャッチーなサウンドが、必死ながらも楽しく生きるニュージーズの生活や、ストライキに立ち上がる彼らの闘志をキラキラと彩っていて、常に心を躍らせてくれる。特に好きなのは以下の曲。

  • Santa Fe

クラッチーのソロナンバーも含め、劇中何度も繰り返される、理想郷を夢見るジャックの歌。最終的に彼が見つける理想郷とは...!

  • Carrying the Banner

苦労しながらも愉快にたくましく生きるニュージーズの日常を明るく描き、幕開け早々観客をワクワクさせてくれる上に、この1曲で『ニュージーズ』の世界観がわかっちゃう美女と野獣でいう『朝の風景』、リトルマーメイドでいう『アンダー・ザ・シー』みたいなワクワクソング。1幕では日常ソングだったのが、ラストのリプライズで人生薔薇色ソングに様変わりして聞こえるのが、メンケンマジックよ...

  • The World Will Know

「ピュリツァ―に卸値上げられてんのに日和ってる奴いる?居ねぇよなぁ。ストライキやんぞ」ソング。途中で入る掛け声もパワー溢れるニュージーズらしくて、バチバチにかっこいい。Once and for Allもそうだけど、ロックテイストなのが馴染みやすくて好きだし、合間合間に入るトランペットのファンファーレもかっこいい。少年とトランペットの親和性が異常。「今日の俺たちが明日ニュースに」のクラッチー最高にかっこいい愛してる。

  • Seize the Day

絶賛ストライキ中ソング。デイヴィのソロで始まって一人また一人と加わり、美しい旋律が次々に重なり力強い響きになっていく様は、仲間と力を合わせて勢いを増していくニュージーズそのもの。演出から見ても、タイトルロールとしてのニュージーズの最大の見せ場。トランペットのソロで始まるOvertureも好き!少年とトランペットの親和性が(ry

  • Something to Believe In

Santa Feと並ぶ本作の聴かせどころ。アラジンでいう『ホールニューワールド』。ラプンツェルでいう『輝く未来』。リトル・ショップ・オブ・ホラーズでいう(ry

  • (番外編)King Of New York

これは曲がどうこうとかじゃない。ゆうみちゃんBIG LOVE

ミュージカル界での人気はさておき、日本における知名度はまだ低いけれど、いつか絶対ニューサウンズかウインズスコアで吹奏楽版メドレー出してほしい。やりたい。*5


楽曲単体の良さだけでなく、リプライズを効果的に利用した全体の印象も、That's Disney Musical!!と言わんばかりのわかりやすさで、誰が見ても確実に楽しめる。私の信仰を爆発させたあまりにもシビれるシーンについては、こちらで熱弁しています。

そんな神が創り給うた本作の看板『サンタフェ』のメロを、日生劇場で時にはデュエットで、時にはソロで歌う推しを見られた幸せは、『リトルマーメイド・イン・コンサート』でアラン=メンケン本人によるディズニー楽曲のピアノ弾き語りメドレーを生で聴いたときのそれを超えた。ここが私のアナザースカイ、もとい、サンタフェアラン=メンケンを信仰する松岡の女として生きてきてよかった...

総合芸術としての役者・松岡広大

パワフルなキャストの中心に立ち、ディズニーのキラキラした世界の住人としてのびのびと生きる広大くんの姿に、感慨もひとしおだった。ミュージカルは総合芸術だというけれど、『ニュージーズ』の広大くんは、これまで広大くんが役者として培ってきたものを全て出し切るほどの「総合芸術・松岡広大」だった。

身体表現・ダンス

クラッチーは足が不自由な少年だと聞いていたから「もしかしたらあまり踊らないのかなぁ」としょんぼりしていたけれど、むしろその逆で、身体能力が高くないと務まらない物理的難役で、彼は見事にそれをモノにしていた。足を引きずる表現は、おそらく日に日に痛々しくリアルになっていたんだと思う。初日より中盤で観た時の方が足の運び方が重たくなっていて、階段を降りるときの軽やかさも無くなっていた。日々深化に余念が無いのよ…

足首がぐにゃんと曲がった痛々しい姿をリアルに演じつつ、持ち前の身体表現力でしっかり踊る。こればかりは見ないとわからないんだけど、バチバチに踊ってんのよクラッチー。松葉杖ついてるのに。ほかのメンバーとほぼ同じ振りをこなし、同じ速度でターンして、松葉杖が完全に身体と一体化している。人間って松葉杖ついててもこんなにキレッキレに踊れるのか!もはやびっくり人間の域だが?!

松葉杖があろうが身体表現力の緻密さは変わらず、動きのキレから手の伸ばし方に至るまで、表現に余念がない。更に、ハンサムのときと違って役としての気持ちも乗ってるから、The World Will Knowなんかは闘志がオーラになって見えるようで、力強いまなざしも大好きだったな…

若手の精鋭ダンサーの真ん中で歌い踊る姿は、おたくだったら誰でも夢見る「こんな推しが見たい」の権化で、はぁ松岡の女やっててよかった...(2回目)


歌唱

歌については苦手意識があったって話していたけれど、それは君の周りにいる仲間たちが平均的に歌うますぎるせいです(主にハンサム勢)冗談はさておき、4月のハンサムでも「またうまくなったな~」と思ったけど、それ以上に、常にお芝居の中に歌があったのがとっても良かった。

私自身、実は歌の上手さより芝居の方が見どころとしての優先順位が高いから、いくら歌がうまくても芝居があれだったり、「歌ってます~~~~~!!!!!」っていう歌はかえってしらける。最近見た別の舞台で「歌と芝居が分離してるな~」と思ってしらけてしまう例があったから結構懸念していたのだけれど、クラッチーはお芝居と歌が地続きだった。

特に『感化院からの手紙』のシーンは、メロディがありつつも歌いすぎず、歌と台詞の間の中間色的な表現が非常に彼らしく、短いシーンでもクラッチーの心情を繊細に表現していて、とても印象深かった。立ち上がってブラボーと叫びたかった。芝居と歌の間に段差がなく、完全バリアフリーで過ごしやすい空間。なんということでしょう(???)

ナルトの時からそのスタンスは好きだし、今回『スリル・ミー』(以下「すり身」)での経験がめちゃくちゃ活きてそう*6。これを機にまたミュージカルの出演が決まったら嬉しいけど、今のスタンスがあるのもストプレとミュージカルをバランスよくやってきた成果だろうから、これからもバランスよく出演作の幅を広げてほしいな…

芝居

歌や踊りだけではなく、大好きな広大くんの"目"のお芝居もしっかり堪能できた。底なしに明るい笑顔を連発しているクラッチー。こんなによく笑う役は久しぶりで始終可愛くてメロメロなんだけど、それだけで終わらせないのが俺たちの松岡広大であり、そんな彼の最大の武器 is

松葉杖を奪われて倒れ込んだクラッチーが、言い返しもやり返しもせずに、どこか諦めたように「堪えるスタンス」に転じるような目をする瞬間があった

(以下筆者の妄想)

もしかしたら、この子は昔から脚のことでいじめられてきて、言い返せずただ堪えるうちに、今のように常に笑顔で笑い飛ばすことを覚えたのかもしれない。何もかも笑い飛ばして、脚が悪いことすら新聞を売るのに利用したら、健常者にも劣らない部数を一人前に売れるようになって、他のニュージーズにも認められた。そしていつも笑顔でいることで、ニュージーズの仲間たちの輪の中心になっていったのかなと思っている。

でも杖を奪われて転ばされたら、何も出来ずただ堪えるしかできなかった昔の癖が蘇ってくるのかもしれない。

そんな時に手を差し伸べてくれるのがニュージーズの仲間で、特にジャックは、この生活を抜け出す大きな夢を持った、クラッチーにとっては希望みたいな存在なんだと思う。ジャックが、転んだ自分を助け起こしてくれたり、サンタフェに行く夢を語ったり、スト破りをけしかけられた仲間を説得したりするとき、クラッチーは彼のことを眩しそうに見つめて、屈託なく笑う。

ニュージーズの仲間は、クラッチーが、足の不自由な少年ではなく一人の新聞売りで居られる唯一の居場所で、更には、一番の親友がそんな居場所を「家族」と呼んでくれた。感化院からの手紙で「家族同士守り合え」と伝えようとしたクラッチーの、「もう家族に傷ついてほしくない」という痛切な願いと愛情を切ないほどに感じてしまって、もうダメです。涙腺が。

(妄想終了)

と、まぁ本来ここまで考えなくていいんだけど、クラッチーとしてそこに居る役者がそういう目をした(ように少なくとも私には見えた)なら、そこに当然あるはずのクラッチーという人間の人生を垣間見たっていいじゃない。おたくだもの。みきを。

みんなのムードメーカーで場を盛り上げたかと思えば、ひとりぼっちの苦境でも仲間を想い「僕は大丈夫」と痛々しくも気丈に笑ってみせたり、明るい笑顔とそこに内包される不安や恐怖という二つの面がしっかりと見て取れて、クラッチ―という人間の本質を立体的に受け取ることができた。君はどんな思いで「クラッチー」という名前を自称しているんだよ…しんっど…


表情豊かな広大くんの目は役の背景を想像させてくれるので、彼の瞳の揺れに心情や生い立ちを垣間見るたびに、クラッチーという人間が好きになった。貧困やハンディキャップに屈することなく、仲間と力を合わせて笑顔で逞しく生きようとするクラッチーが愛おしくてたまらない。うちの子にならないかい???じゃなくて!霧ちゃんやナルトに匹敵するくらい、大好きな役になったよ。


ビジュアルもバチバチに良くて、見るたびに「エッ!なにあの宇宙一かっこいい人!!って、なーんだうちの推しじゃん☆今日も宇宙一かっこいい☆」な仕上がりで、なんかもう大好き(語彙の死)

歌もダンスもお芝居も、役者としての彼が今為せるすべてを総動員させた、まさに総合芸術としての役者・松岡広大が描き出したのが、クラッチーだった。




昨年の公演中止の時、一番つらかったのはカンパニーの皆で、広大くんもまた、私なんぞには想像もできないくらい苦しんだんだと思う。それでも「『ニュージーズ』絶対にやります」と約束してくれて、苦しみを乗り越え、数々のエンターテインメントを届けてくれた。

もし予定通り上演されていたら、すり身はニュージーズの後になっていたので、すり身での経験がニュージーズに還元されることは無かったかもしれない。逆にすり身は、2020年のニュージーズ稽古を経た状態でオーディションを受けて勝ち取っているはずなので、すり身への出演自体がニュージーズの稽古から還元されたものだと私は思っている。一度は中止になってしまっても時計を止めずに動かし続けてきたおかげで、ニュージーズでのクラッチーの好演がある。

たくさん苦しみながらもエンタメを諦めないことを決意して、舞台に立ち続けてくれた。

「エンタメって『不要』なものだっけ?そうじゃないよね。僕たちは『不要』なものこそ欲しいんじゃないの?それがないと生きていけないんじゃないの?」


「僕は、エンターテイメントは絶対に必要だってことを証明したい」


「演劇は無くならないよ」

って、何度も言ってくれた。そして約束を果たし、こんなにハッピーな景色を見せてくれたんだ。松岡広大くんは、有言実行の漢です。ああ、またこの1年半の走馬灯が見えてきた…



困難を乗り越えたことでより強くなった想いを抱きしめて『ニュージーズ』を届け、その愛を私たちに分けてくれたカンパニーに盛大な拍手と感謝を!

ありがとう、NEWSIES of JAPAN!
ありがとう、広大くん!
いつかまた、「おかえりなさい」と言わせてね!

*1:なぜ初日が3回存在したのかについては、過去のブログ読んでね。 tea-miki.hatenablog.com

*2:「本家BW版で描かれ提起される貧困問題が捨象され過ぎている」といった意見もあったが、私はBW版を観ていないから、観てないものと比較してとやかく言う大義も権利も無い。推しと宣伝が「とにかく楽しいミュージカル!」「何も考えずに楽しんで!」って言うんだから、私はDon't think! Feel!!でとにかく目の前のものを楽しむことに全力を注いだ。

*3:実はディズニーランドで演奏したこともある。

*4:アラン=メンケンとジョン=ウィリアムズと久石譲は三大神。

*5:吹奏楽の楽譜が出るくらいのビッグタイトルになるには、やっぱり帝劇に行かないといけないのかな...

*6:相方の山崎大輝くんも、歌バリ上手いけどやっぱりお芝居がめちゃくちゃ生きる役者さんで、完全バリアフリー俳優だった。

OVER THE RAINBOW~推しと過ごした一年の走馬灯と、雨上がりのスーパーハンサムライブ

行ってまいりました。SUPER HANDSOME LIVE 2021 "OVER THE RAINBOW"。

昨年初めてハンサムライブに参加してから1年。私にとっては2度目のハンサムライブ。
去年よりももぉぉぉぉぉっと楽しかった!!!!!
そして、もっともっと特別なものになった。それは、この1年に実にいろんなことがあったから。

この1年のことを前提にしたハンサムライブだったので、当日の感想だけに留められませんでした(やっぱり)というか、ハンサム行ったら、広大推しとして過ごした日々を走馬灯のように思い出したから、この際この1年間の記録として残しておく。「君と約束した日」から土砂降りや晴れ間の中を走りつづけ、一緒に「虹」を見るまでのこと。


「君と約束した日から止まらずに走ってきた」

2020年2月16日、私の人生初のハンサムライブがめちゃくちゃ楽しかったことについては、昨年の12,000字ポエム読んでね。

tea-miki.hatenablog.com


現役ハンサムのトップに立った広大くんは、あの日、私の大好きな強い眼差しでまっすぐに言ってくれた。

「皆さんが1年辛かったこと、悲しかったこと、全部僕らにぶつけてきてください。僕らがパフォーマンスでそれを笑顔に変えてみせます。僕たちが皆さんの希望になるから。それは約束します」

「応援してくださいとは言いません。応援してもらえるような男に、僕たちがなります」

この言葉を聞いたとき、私は、これはこの先ずっと私を支え道しるべになってくれる言葉だと確信した。そして実際に、この言葉はいつも私の心に寄り添い、勇気づけてくれた。

この1年、どんなに辛い時も。



国技館が割れんばかりの歓声に包まれたあのハンサムライブからほんの数週間のうちに、世界が変わった。感染症の蔓延により、舞台やライブといった多くの興業が中止を余儀なくされ、広大くんが出演していた舞台『ねじまき鳥クロニクル』も、東京公演を中断、続く地方公演もやがて中止が発表された。

そして、広大くんの東宝ミュージカルデビューとなるはずだった『ニュージーズ』。初めての東宝ミュージカルで、憧れのブロードウェイ作品が、ディズニーミュージカルなんて…決まったときは嬉しさと興奮で、会社のパウダールームで涙目になりながらインスタに長文のコメントを打ったりしたっけ。主演がジャニーズだからチケット取るのまじで死に物狂いだったな。なんとか東京楽のチケット勝ち取ったんだった。こんな状況になっても、ニュージーズがあるからと思って、日生劇場で演舞する広大くんを見るために希望を捨てずに生きてきた。

そんなニュージーズも、緊急事態宣言の発令に伴い全公演が中止となった。ハンサムで大声で「こうだーーーーーーい!!」と叫んだときに覚えたあの多幸感は、出口の見えないトンネルの向こうに閉ざされてしまった。

この頃、広大くんは頻繁にインスタライブでファンとコミュニケーションをとってくれていて、ニュージーズの稽古がとっても楽しいことを、座長のことが好きで仕方ない様子でよく話してくれていた。なんかジョアのダンスとか踊ってた(笑)
発表の前日の夜だって、彼は笑顔を見せてくれていた。あとでどこぞで聞いた話によると、中止発表の少し前から稽古はストップになっていて、しばらくカンパニーの人たちとは会えていなかったらしい。

広大くん…君はどんな思いで笑顔を見せてくれていたのよ…そんな時こそ、あの時みたいに大声で君の名前を呼びたいよ。大好きだよ、側に居たいよ、待ってるよって伝えたいよ。あんなに楽しみにしてたのに、何も知らなくて、何もできなくて、ごめんね。

彼が「絶対に」と言ったら、それは絶対なんだと私は信じている。憧れのブロードウェイミュージカルに出る広大くんに、絶対に拍手を送る。



中止になった公演もあったけれど、予定通り全公演実施できた公演もあった。『迷子の時間-語る室2020-』。永遠の新規が、推しとマイスイートハニーの共演に狂喜乱舞した秋の話はこちら。
tea-miki.hatenablog.com


この公演のパンフレットで広大くんは、「自粛期間に『俳優の仕事は無力だ』と感じた」と話している。胸が痛かったけれど、そのタイミングで久しぶりに舞台に立つことになった本作で、演出家に頂いた言葉が彼を前向きにさせてくれたということも話している。いいタイミングでいい作品と演出家に出会えたんだと思う。

話自体もとっても面白くて私も大好きな作品になった。何よりも、稽古中も本番中も水を得た魚のようにずっと楽しそうに演劇している広大くんが見られたことと、ふたつの公演中止を乗り越えてスタオベでまた拍手を送れたことが嬉しかった。舞台の上の彼は、やっぱり私にとっての希望だった。


このほかにもAAAにハンサムとして出た。残念ながら無観客になってしまったけれど、先輩・後輩・仲間たちと楽しそうにパフォーマンスする広大くんの笑顔が見られたし、ハンサム同士の絆が見て取れる素晴らしいステージに元気をもらえた。年末年始には、ニュージーズで立つはずだった日生劇場にも立った。2020年は映像にも結構出ていたし、レギュラーのラジオ番組も始まった。思い返せば、土砂降りの大雨も降ったけれど、晴れ間が射す瞬間も多くあった。

そしてその間にも、チーム・ハンサム!としてOVER THE RAINBOW Projectに参加し、曲作りやアルバム制作を進めていたらしい。次の春、ライブでファンに届けるために、走り続けてくれていた。そうして迎えたのが、『SUPER HANDSOME LIVE 2021 "OVER THE RAINBOW"』だったのだ。


「たどり着いたこの場所は 僕らの夢が続く証」

ここからようやく当日の感想です()
好きな曲や印象的な曲の感想を残しておく。なんかもう楽しすぎて全部覚えていられなかったから記憶が薄いし、こうして振り返ってみると、まじで私広大しか見てなくてビビる。

New Beggining

  • ビジュアルバチバチに決まった推しが目の前に降臨してさっそく記憶が飛ぶ()
  • 1曲目のパワー漲る広大を見ると「うわあああああはじまるううううううう」ってテンション上がる。
  • 稲光の映像が流れてる。雨が降って虹がかかるまでの物語の始まりなんだぁぁぁぁかっけー!!
  • センター後方から歌いながら前にできて"Starting from now"で天を指す振りが最高にかっこいい。
  • 光一おじさんの得意技「命の白のシャルドネ」っぽい振りも入ってて、顎のラインが美しすぎる広大さんの優勝。
  • 2サビセンターで踊って「見逃すな」で後方に下がりながら見逃すなジェスチャーする広大さん優勝。
  • 間奏で客席に背向けて手繋ぐとき、センターに向かって歩きながら手繋ぐ相手とばっちりアイコンタクトとる広大のバチバチの目力を目撃した。優勝。三冠王
  • 形はさまざまだけど、みんな統一して千鳥格子が入った衣装がかわいい~
  • 広大はブルゾンに布が足されたように丈が長め。丈の長い衣装って背髙い人ほど似合いそうだけど、広大はロング丈が似合う。裾を翻しながら踊るのがかっこいいんだ~~~~~~~~

Bang!~Festival Night

  • レッスン動画出てたし配信で見たからやるのわかってても、漏れなく撃沈する鬼のメドレー
  • もう正直記憶がない
  • "Everybody goes"で顎くいって上げる瞬間、クールな目で個性丸出しのアレンジしてきたの好きでしかない好き好き好き
  • 壮一さんの「明日の扉」からのセンターでサビ、継いでくれたのめちゃくちゃ嬉しいいいいいいいいいいいいいいいい
  • 間奏が超ゴリゴリのパワーダンス。その右手に殴られたい。
  • Festival Night覚えてない

ストスマイル

  • 「恐れないさ」で天を2回指す振りと、その瞬間の17歳から変わらない君の笑顔こそベストスマイルだよ~~~~キラキラ~~~~☆
  • ここまでバチバチに踊ってるのにまだシャカリキしてる広大くん、さすが身体能力とスタミナの鬼

ご挨拶

  • 「楽しんでます!見りゃわかるか☺」かわいいかわいいかわいい
  • すり身で狂気の姿を見た直後なので、キラキラして楽しそうな推しの姿がめちゃくちゃ沁みる…楽しいか…そりゃよかった…
  • 「オンユアマーーーーーーーーク✋」好きすぎわろたw今回やってないしww

ねぇ神様お願い

  • 近くに石賀くんのファンがいたっぽくて流れ弾がすごかった。ありがとうございました。甘い歌声が好きです。
  • たいゆちゃん歌うまいよね~~~~~たいゆの歌も好き

With You

  • これも大好きなハンサムソング。今回は全員で歌うんじゃなくて選抜メンバーだったけど、入ってくれてうれしい(;;)
  • 裕太たちが歌うコーラスパートに勝手に入る広大さん笑
  • 「こっちのパート歌ってるの?笑」って顔する仁くん
  • 「うん、覚えちゃった☆」とキラキラ笑顔の広大さん
  • 裕太やみぞたくも気づいて、みんなでめちゃくちゃ笑ってる(尊)

ガールフレンド

  • 配信でトミ子のガニ股ダンス見て家で爆笑したのに、現地にきたら制服姿のたいゆちゃんが立ち位置ドンピだったせいでトミ子全然見られなかった…最終日はガニ股堪能しました。ポスト塁子最高だったよ
  • 跪いたなゆたの「好きになっちゃうんだ~」がめちゃくちゃかっこよくて毎回ちゃんとギュンッてなった
  • ぷんぷんするたいゆとか「(ねぇねぇ)好きになったから~♬」のたいゆとか(可愛い)

TWILIGHT

今回のアルバムで一番好きな曲。
間奏のコーラスも4人で生で歌ってるのに驚いた。大サビのフェイクも、音源では広大だとは思わなかったスマン…そんなハイトーンが出ると思ってなかったから、これも現地で聴いて驚いた。広大と言えばダンスっていうパブリックイメージがどうしても先に立つから、このバラード選抜に広大が入ってるのが感慨深く、すごく嬉しかった。ああ~~~~~~~~歌がまた一段と上手くなった(;;)私は今、推しの物凄い進化の瞬間を見ている。


落ちサビの広大のパートは毎回泣きながら聴いた。

「君がもしもあの日のように悲しみの淵に居たって、大丈夫さ、心配しないで。めぐり会える。もうすぐ」

1年前を思い出さずにいられない。
今回のハンサム開催のちょうど1年前は、ニュージーズ中止の発表が出た頃だった。在宅での仕事を終える頃に東宝からのお知らせを見て、窓の外の夕暮れ時の空を見て呆然とした、「あの日」。ハンサムに来る少し前に「あれから1年か」と思いを馳せながらこの曲を聴いたりしていたから、「めぐり会える」時がこうして来たことへの感慨で胸がいっぱいだった。

「大丈夫さ、心配しないで」で優しく微笑んで、「めぐり会える、もうすぐ」で力強く前を見据える目。ああ~この1年、よく生き延びた…この1年も広大くんを好きでいつづけて良かった…

歌詞に合わせて表情作る広大を見ていて、俳優が歌って踊る意味を考えるなどした。普段お芝居をする人だから、ああいう表情をライブのステージでもパッと出せるんだと思う。「膨れっ面の頬に触れることだったり」で魅せる微笑は、膨れっ面さえ慈しむ愛情に満ちてて、心臓をグサグサ刺される~~~~~~

みぞたく不在回はまさきが入っててびっくりした。最終日昼に入った友達から、元々代役で入ってたのを本番にも採用したらしいと聞いた。FROGSも好きだけど、この2016までに入った子たちの雰囲気すごく好き。めちゃくちゃよかった…

大楽入る前に、前楽で翔真が話した内容を友達から聞いたから、最終公演は冷静はいられなかったな。
翔真が泣きながらなんとか2サビ歌いきって振り向くと、みぞたく、裕太、広大が並んでハーモニーを奏でていて、その光景の頼もしいこと…歌いながら翔真を迎え入れて背中さすったりして、4人で想いを共有しているような最高のチーム感を見せつけられた。嗚咽をこらえるのに苦労するほど泣いた。

という間奏からの落ちサビだからもうどうしようかと思ったけど、最終公演の広大はあの状況でも泣かず、「めぐり会える、もうすぐ」を歌いきるまでずっと優しく微笑んでくれていた。その笑顔が頼もしかったなぁ…こっちの涙も受け止めてくれるようでさ…大好きだよもう…

最終公演のTWILIGHTが最高過ぎて、この後のコント映像全然入ってこないくらいにはずっと泣いてました。ごめんトミ子。


Dress up

  • このパフォーマンスを見られて8000円は安すぎない??HA???
  • 衣装が超ドストライクに好き。ピンクが似合う男は真のイケメン。淡いピンクのスリーピース。ちょうど広大にもスリーピース着てほしいと思っていたところだったよありがとう優勝。
  • ずっとゴリゴリに踊るより、こういう緩急ある曲のほうが好き。MASQUERADEも好きだったし、毎回曲がかっこよくて有難い…
  • SHUNさん曰く「抜き感と遊びが大事」だそうです。こういう曲を経験してくれると、今後のパフォーマンスもまたどんどん好きになれる気がする。最高の振り付け演出ですありがとうございます。
  • ああ~~~~~~今曲かけながら書いてるんだけど、歌声がめちゃくちゃ好きだわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
  • 「その瞳で3, 2, 1」「はぐれないで3, 2, 1」の振りが毎回好き
  • 「あーーーーーーあああ~あああ~あああ~あーーーーーーー」でうねうねするやつ好き
  • 「魅せつけよう」はフリーなのかな?急に緩くなるの好き
  • 「ラビリーンス」
  • Cメロぐにゃ~~~~しながら彷徨う視線(好き)
  • "lovin' each other" 好き!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
  • 大サビの「フローオッオッオー」で一瞬椅子乗るときの顔~~~~かわいい好き~~~~~~~~~~
  • "The love is going on" はい顎のラインが美しい最後まで好きごちそうさまでした

振り向いて…トゥナイト

  • 来ました広大不参加の曲で一番好き!!!!(曲だけは)少年隊みたい!!!!!!!
  • 曲聴いた段階でも好きだけど、ライブで視たら8036倍好きになった。君をホーミーターイ
  • けすけの顔が良すぎて、真顔なのに顔芸するより面白い
  • 配信1回じゃ全然振り入れられなかった~~~~一緒に踊りたいから来年もやって
  • って書いてたら、広大がインライで振りトゥナ弾きはじめて爆笑してるww

ALICE

  • TikTokの好きな曲で唐突にALICE挙げてたのはこれか~~~~~~
  • 2014の円盤で見た憧れの曲だから、生で見て「うわぁ…ハンサムライブに来たわ…」という感動がひとしお
  • 「ビル風が冷たいね」のパートは変わってないけど、6年経ってずいぶん大人になって、歌も上手になって…うぐうぐ
  • この衣装もみんな可愛い。けすけのジャケットの生地がよかった。中身入ってなくていいから生地だけ触りたい。

ゲームコーナー

  • お笑いライブ初めて来たな~~~(三四郎
  • 階段で相田さんとこそこそ話してるのが見られて嬉しい。ハンサム以外の共演者と素で絡んでるのを生で見るのって貴重かも。
  • キュンファイ本編を食うけすけと仁くんによるおじいちゃんたちのヨガも涙出るほど笑ったけど、かなに指輪はめようとしたのに入らない翔真の「…ちょっと太った?」がトドメだったww13キロ増量したからww
  • 念願の松子と琢子を生で見られた喜び
  • たいゆの告白に全TDCが悶えてて楽しい
  • 琢子「でも先輩に『クソ野郎』っていう子はなぁ~」←天才
  • 琢子まじでかわいいうえに頭の回転速いし、頭の回転が速いことを自覚してゴリ推ししてくるあたりが最高に推せ推せ
  • でも私は、設定がブレブレでも松子派。サイズ感は一番かわいいし(断言)
  • でも投票ではかつみくん渾身の九州男児の告白に全力で拍手した

OVER THE RAINBOW

  • ライブでハンサムが実際に歌ってるの見て、一層この曲が好きになった。この1年走馬灯曲。ハンサムはみんな笑って歌ってるのに、こっちはもう涙無しには聴けないわよ。
  • 階段上センターで、全ハンサムを背負って歌い出す広大くんが最高にかっこいい
  • 「今日この瞬間のこの景色を見るために、ずっと冷たい雨に濡れて走ってきたね」でキラキラした瞳で客席を見渡していて、広大くんが今日無事にこの景色を見られてよかったなと心から思ったし、その景色の一部になれていることも嬉しかった。

Shall We Smile?

  • 開幕直前に振りあるの知って、慣れないTikTokで慌てて練習してよかった(泣)
  • ずっと立ち位置だったから一緒に踊れて本当に楽しかった…最高の思い出ソングになりました、赤堀さんありがとうございますほりばんは!!!!
  • バルコニーとか奥の方にもたくさん手振ってくれて、まんべんなく全員を楽しませようとするその心意気が好き
  • 「空へ突き上げるピースサイン舞台上も客席も揃ってピースサイン突き上げる瞬間の多幸感がMAX

日替わり

  • ってこの辺だったっけ?
  • 配信入れて3回見て、2回キミノリズムだった笑 けすけのリズムとかつのリズム見られた~~~~~!!!!!!!
  • 広大のA(C)、スタミナ無限大で暴れまわるし顔やかましいし可愛い~~~~~
  • 間奏の喧嘩コントもちゃんとやってくれて楽しい笑 容赦なく新原くんに勝ってて最高(新原くん「広大くんに勝てるわけ無いでしょ。だって忍者だよ???」)
  • SecretKiss見られなかったから、ブルレイに日替わり全収録お願いします。

Beautiful Stranger

  • 続投嬉しいいいいいいいいいいい次世代ハンサムの代表曲になりつつあるね嬉しいいいいいいいいいいい

  • 楽しすぎて記憶が薄い
  • 間奏のフード被り芸最高。衣装にフード付けてくださったスタイリストさんありがとうございます
  • 被る瞬間もかっこいいし、フードの奥で眼光ぎらつかせながら「そこで待ってろ!!」もかっこいいし、脱いでご尊顔が再び現れるのもかっこいい。一度で三回おいしい。お値段以上、フードプレイ。
  • 水田のジャケットプレイは石賀くんが受け継いで、広大はフードプレイでいこう。

親孝行~GET IT BACK

  • 楽しいの絶頂。腕が壊死する。
  • 記憶容量の限界
  • ハンサムひとりひとりのエネルギーがステージからはみ出してきてて、ものすごいハンサムを浴びた
  • GET IT BACKのイントロをみんなの真ん中に立って歌う広大くんを見てたら、推しにこんなに素敵な仲間がいることも、その真ん中に立つ素敵な人を好きになれたことも、広大くんがハンサムとして全力でパフォーマンスするこの瞬間に共に在れることも、全部幸せだな~とじんわり泣いた。
  • ヘドバンしながらあんなに歌えるみぞたくすごい笑
  • じたばたヘドバンしながら「会いたい また会いたい 笑いあってバカしたい」って歌うから、彼らの想いが顔面にビシバシぶつかってきて痛いほどだった。ありがとう…ありがとう…
  • 裕太の落ちサビで「フゥゥゥゥゥゥ!!」ってみんなで声出して煽ってたのすごい良かった。去年よりもみんなが裕太の近く・隣に寄り添ってる感じがした。
  • 「待ち合わせして 満面の笑み 桜の下で!」この曲を作ってくれた時の彼らの思いが今叶ってるんだな…ありがとう…

一人じゃないからね

  • 開始早々、既に広大くんの涙腺が限界を迎えておる(刮目)
  • 配信で観たとき落ちサビのこせまつやばいなと思ったけど、最終公演もここがやばかった(広大の涙腺が)

DEAR MY GIRL

  • イントロで下向いて、Tシャツの裾引っ張って涙ぬぐって、もう一回手でぬぐって、歌い出し直前にパッと顔上げた時の笑顔が眩しかった。めそめそしないで笑顔を見せようとしてくれる心意気が好き…
  • 「せーの!!」ってみんなをリードして盛り上げてくれるのも、トップに立ったんだな~って感じがして感慨深い。
  • これも立ち位置ドンピで最後一緒に踊れて感激(;;)ありがとう大好きだよココロから感謝してる~~~~~~~~~~~~~~~~~

ご挨拶

「僕たちが皆さんの希望になるから」
前回のハンサムで広大くんが約束してくれたこと。この一年辛いときに何度も思い出した言葉を、広大くんも憶えていた。

「一年前に約束しましたね。『僕たちが皆さんの希望になります』。自分で言っておいてすげープレッシャーだった笑」

私たちがこの言葉に救われる分だけ彼にプレッシャーを感じさせてしまったのかなとも思ったけど、きっと広大くんは、私たちとの約束で自らを縛ることで、自分を奮い立たせて走り続けてきたんだろうと思う。

そして、あの日してくれたもうひとつの約束を一字一句違わずに繰り返す。
「応援してくださいとは言いません。応援してもらえるような男に僕たちがなります」
あれから止まらずに走ってきて、また明日からもこの約束の有言実行を目指して走っていくんだ。そう確信した時点で、明日からもずっと応援したいと思えている。君は私の自慢の推しだよ…!


うぇーーーい!!ハンサムでガン泣きする広大くん、生で見られたぞ~~~~~!!!!!!前回はあそこまでボロボロにはなってなかったから刮目した!!!!!!!自分の番が来た瞬間、率先して(けすけをはじめ)みんなの顔見にいったくせに「みんなの顔見るともうダメなの~~~~泣」って崩れちゃう、仲間想いの広大くん、刮目!!!!!!!!!!!

またね

  • ガン泣きしすぎて歌えないかつみくんにもらい泣きしてまたガン泣きしてしまう
  • ガン泣きしてるかつみくんに気づいて寄って行く広大くん
  • 手を取って顔を覗き込む広大くん
  • その顔をもろに見てしまうかつみくん
  • 再び涙腺が崩壊するかつみくん(尊)
  • ということを後輩に仕掛けておきながら、自分もガン泣きしてる広大くん(尊)
  • あまりにもガンガン泣くから2番の自分のパート歌えないんじゃないかと思ったけど、身体折りながらもしっかり声が出てて、本当に…立派だった…
  • "I promise"で何度も小指立てて約束してくれた。元気でいて、また会おうね!


前回はメンツが様変わりした最初の年で初参加が多かった上に、先輩たちとあからさまに比較されるし、みぞたくが居ない、広大も1回しか出られないっていう状況で、裕太が背負ってるものがめちゃくちゃ大きいように見えた。でも今回は、2回目以降の経験者がほとんどで前回よりも経験値の差が埋まっていて、みんな横並びで足並みをそろえて走っていた。とっても良かった…とっても好きです、新世代ハンサム。

と思うと同時に、案の定「松岡しか勝たん」となっている。このまま広大のように応援したい子が出てこなければ、いつか広大がハンサムを卒業するときが、私のハンサム卒業になってしまう…ハンサムっていうコンテンツ自体が楽しいから卒業したくない…でも松岡しか勝たん…広大くん、一生卒業しないで…笑*1

まぁまだわからない卒業話はさておき、ハンサムを見るたびに出る結論はいつも同じ。
現役ハンサムもいい子ばかりだし、先輩ハンサムが作った歴史への憧れもあるけれど、やっぱり私は広大くんがいい。広大くんが一番好き!




「長く降った雨が上がり 大きな虹がかかる」

ねえ あの日君がくれた言葉 覚えてる?
そっと優しい声で 背中押してくれたね
もう一人じゃないと思えたのはあの時のおかげだよ
貫く強さを 教えてくれてありがとう

"OVER THE RAINBOW"

この曲を現地で聴いて、私にとっての希望として輝きつづけ、辛い時には寄り添ってくれた彼との1年を思い起こした。去年のハンサムでの力強い言葉にこの1年何度も支えられ、SNSを通じてコミュニケーションをはかったり、予断を許さない状況でもエンタメの力を信じて舞台に立ってくれた広大くんの姿に、たくさん元気をもらった。

過去のハンサムをDVDで見ていた時は「みんなめっちゃ泣くじゃんw」って思ってたけど、今ならよくわかる。短くない時間応援してきた推しが歌うことで、ハンサムのオリジナル曲のメッセージが、自分たちが過ごしてきた時間と重なるんだ。私にとっては、広大くんが歌うから意味がある。1年間リアルタイムに応援してきた時間がバックグラウンドとなって、今ここで歌う彼の歌に1年分の意味が込められる。1年の走馬灯を見ているような気持ちになった。これがハンサムライブなんだな…

今回は2020年という土砂降りの1年を経たライブだったこともあって、テーマのメッセージ性も強く、こうして集まれる喜びもひとしおに感じられた。こんなことにならなければ本当はそれが一番良いのだけれど、それがあったから今年のハンサムがこんなに楽しくて、胸に刺さった。



去年の夏、閉じていた劇場に再び灯りが灯りはじめた頃、こんな写真を広大くんにDMで送ったことがあった。

車窓から見える虹

帝国劇場での観劇の帰り、希望に溢れた公演にたくさんの元気をもらい胸がいっぱいになって、ふと電車の窓の外を見ると、空に大きな虹が架かっていた。それを見て無性に「広大にも見せたい」と思った。

帝国劇場に再び灯りが灯った日は、広大くんの事務所の先輩である日本が誇る若きスターが、この世を去った日でもあった。それはまさに、出口の見えないトンネルに閉じ込められた上に天井が崩落してきたような衝撃と絶望で、私自身、あれから数日は寝食もまともに取れなかった。

そんな私に生きる力を思い出させてくれたのが、この日に帝国劇場で浴びたエンターテイメントであり、そうして元気をもらったからこそ私は空を見上げてこの虹を見ることができた。だったら、私がもらった元気を広大くんにも分けてあげたい。そう思ったことを憶えている。

土砂降りの雨のなかでも一緒に歩んできたからこそ、あの日広大くんに見せたいと思った虹を、今回のハンサムで一緒に見ることができた。しんどくても応援する覚悟をしてよかった。「大変な時だけど一緒に乗り越えよう!楽しもう!」っていう気持ちが全面に出ていて、100%楽しいしか無い時間だった。*2彼らが一年かけて作ってくれたものを、一年分の思いを乗せて楽しめたと自負している。

On A Sunny Day
晴れ渡った青い空にかかる大きな虹が
どこまでも君と僕を繋ぐよ
We Still Feel The Same
君と約束した日から 止まらずに走ってきた
たどり着いたこの場所は 僕らの夢が続く証

"OVER THE RAINBOW"


今回のハンサムライブも本当に楽しかった!辛いことも多かったけれど、広大くんを応援してきて良かったと思える1年だったと、今なら言える。
ありがとう!大好きだよ!
元気で居て、また会おうね!

*1:けすけも絶対卒業しないで

*2:最終公演はみんなぎゃん泣きで湿っぽかったけど!wwそれでこそハンサム!!!